そっけない婚約者に毎日笑顔で話しかけたら、いつの間にか溺愛されていました

村沢黒音

1 つれない婚約者


 イリーナが初めてカリスと顔を合わせたのは、8歳の時だった。


「イリーナ。この子がカリスくんだ。お前が将来、結婚することになるお人だよ」


 父に連れられて訪れた大きなお屋敷。

 そこで出会ったのは、恐ろしく繊細で恐ろしく美しい――1人の少年だった。


 銀糸のようなプラチナブロンドの髪。冷めた碧眼には子供らしくない理知的な光と、何事にも興味がなさそうな冷徹な色が宿っている。顔立ちは整っていて、精緻に作られた氷像のようだった。


 その姿を前にして、イリーナは息を潜めた。声を出すことも忘れて、その少年に見惚れてしまう。

 父親が急かすように咳払いをしたことで、ようやく我に返った。


「こんにちは、カリス様。イリーナ・カルリエと申します」


 イリーナはスカートの裾をつまんで、礼をした。


 が、相手の反応は無。

 その表情には何の感情も宿っていない。無表情にイリーナの顔を見つめている。


 やがて、少年は冷めた声で応えた。


「……うん」


 イリーナの家は伯爵家だ。公爵家であるカリスと――シュラール家との婚約は、父同士が取り決めたことだった。イリーナからすれば格上の家で、その上、こんなに綺麗な顔をした男の子だ。

 自分とは何もかも釣り合わない婚約だと思った。


 だからなのだろうか……少年はひどくつまらなそうな顔で佇んでいる。まるでイリーナに興味がないといった様子だった。


 その空気を幼いながらもイリーナはひしひしと感じとっていた。だけど、せいいっぱいに笑顔を作ってみせた。一方、カリスは人形のようにまったく表情を変えない。


 気まずい空気が両者の間を流れる。

 と、カリスの肩で何かが動く。きゅいきゅい、という甲高い鳴き声が響いた。


 その姿を目にして、イリーナは目を輝かせた。カリスの肩に乗っている生物――大人の掌に収まるほどのちいさなちいさな生き物だ。

 ふわふわで水色の毛に全身が覆われている。両耳は長くぴんと屹立し、顔立ちはリスに似ている。


 幻獣事典で目にしたことがある。『カーバンクル』だ。カーバンクルはカリスにひどく懐いているようで、甘えるようにきゅいきゅいと鳴いている。


「まあ、かわいい。これがカリス様の使い魔なのですね。お名前は何とおっしゃるのです?」

「……リュビ」


 と、カリスは細い息で答える。カリスが腕を伸ばすと、リュビがその上を伝って降りて来た。イリーナのちょうど眼前にやってくる。


 イリーナはほほ笑んだ。今度は無理に作った笑顔ではなく、自然と零れた笑みだった。


「リュビさん。よろしくお願いしますね」


 リュビは顔を上げて、イリーナと目を合わせる。

 が、つれない態度でぷいとそっぽを向いてしまうのだった。




 それがイリーナと、婚約者であるカリスとの初めての出会いだった。





 ――あれから、8年の月日が経った。




「それじゃあ、イリーナ。また明日ね」

「はい。失礼いたします」


 王立グルービア学園の門前。

 イリーナは学友と別れ、帰路につこうとしていた。


 近くから翼のはためく音が聞こえてくる。ペガサス(翼の生えた馬)が車を引いて、空へと飛び立とうとしていた。


 ここ、王立グルービア学園は、貴族の少年・少女ばかりが通う名門校だ。多くの生徒は徒歩ではなく、家が所持する天空車を使って学校に通っている。イリーナの友人たちも毎日、実家からの迎えが来る。


 徒歩で学園に通う生徒の方が希少だ。

 そして、イリーナはそのうちの1人だった。


 天空車を所持するには車を引くペガサスの飼育はもちろん、幻獣の面倒を見る『幻獣使い』を雇う必要があり、お金がかかる。まず庶民では手が出せないほどの金額になる。


 イリーナの家は1地方を治める伯爵家。別にお金に困っているというわけではない。


 彼女がこうして、わざわざ徒歩で学園に通う理由は1つ――


「カリス様! 今、お帰りですか?」


 門前でその姿を見つけて、イリーナは顔を輝かせた。


 カリス・シュラール――イリーナの婚約者だ。

 目立つ容姿をしているので、すぐにわかる。


 カリスは学園の制服に身を包んでいる。氷像のような綺麗な容姿はそのままに彼は凛々しく成長していた。すらりと伸びた背丈。輪郭は繊細さを残しつつも、年相応に精悍さを備えている。


 今のカリスは「綺麗」と「かっこいい」で、半分ずつ評価が別れるところだろう。

 事実、学園ではもっとも人気のある男子生徒として、多くの生徒からの熱い視線を集めている。


 イリーナが駆け寄ると、カリスはいつも通りの冷めた視線を寄越した。


「うん」


 と、興味なさげに答える。


 カリスと初めて会ってから早8年。イリーナは彼の笑顔を一度も見たことがない。長年付き合ってきて、彼が表情を変えたことがあるのはたったの一度きりだ。


 カリスはイリーナから顔を背けて、すたすたと歩いていく。イリーナへの興味は「ゼロ!」といった雰囲気だった。

 しかし、イリーナは小走りでカリスの後を追いかける。主人を見つけた犬のように、ふわふわと笑った。


「カリス様。途中までご一緒してもよろしいでしょうか?」

「うん」


 カリスはイリーナの方を見ようともせずに答える。

 が、イリーナはその返答で更に相好を崩した。


「嬉しいです。ありがとうございます」


 カリスの態度はいつも素っ気ない。ずっと無表情だし、口調は冷たいし、目もほとんど合わない。


 だけど、イリーナはカリスのことが大好きだった。

 姿を見ればほわほわと心が暖かくなるし、こうしてそばにいられるだけで幸せだ。だから、カリスが歩いて通学していることを知り、家からの迎えの車を断って、自分も徒歩で通学しているのだ。

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