5.奇跡
あれから1ヶ月以上経った。
季節はすっかり春めいてきて、北風はまだ時折吹くが、芯がなくなってきた。
ヒルデガルドこと、ヒルダ嬢の回復は目覚ましかった。
治療開始後2週間目以降は、普通の丸薬に切り替わり、健康な人と何ら変わらない生活が送れるようになっていた。
まだ3ヶ月ほど、薬を飲み続ける必要はあるが、それ以降は、もう何の制約も存在していないのであった。
私たちは、ケッヘン子爵家にやってきた。今回は、ヒルダ嬢のお茶会に招かれて、である。
あれから、彼女とは、年が近いこともあり、また、猫好きなこともあって、すっかり仲良くなった。
最近は、孔明の往診の時以外にも、ちょくちょく会うようになっている。
ちなみに、今日は、クラウゼンにできた、アストラ王家の別邸から来ている。お供はシータだけである。
今日のお茶会に際して、私は、ヒルダ嬢にちょっとしたお土産を用意している。
それは、クラウゼン・メッセへ出展する製紙と印刷技術の、デモンストレーションとして試作したもの。
分厚い紙を冊子状に綴じて、そこに物語の文と絵、そしてページをめくると、絵の一部が立体的に飛び出して来る・・・
そう、前世の記憶では、飛び出す絵本とか、仕掛け絵本とも呼ばれていたものである。
物語は、私が考えた。猫の騎士が主人公の少女を助けて悪人を懲らしめる・・・というもの。
何か、どこかで読んだことのあるお話を適当にアレンジしたものである。
絵と文字は、画伯と化した支援ロボットが一品不乱に描いてくれた。
他に、巨大な魔物の鳥に掠われたお姫様が仇討ちに行く話・・・
(これ、どこかで聞いたことあるなー・・・)
のものとかも作ったが、今回は持参していない。
「ごきげんよう。ヒルダ様。本日はお招き、ありがとうございます。」
私は、ヒルダ嬢に挨拶をした。
「ようこそ! シャルナ様。本日は遠いところをわざわざおいでいただき、ありがとうございます。」
ヒルダ嬢が返す。
私は、お茶会の会場へ通された。日当たりの良い明るいサロンである。
私が一番乗りだったようで、他の客はいなかった。
私が一番遠い所から来ているので、どうしてもそうなる。
「これ。本日のお土産ですの。気に入っていただけると、嬉しいですわ。」
私はそう言って、仕掛け絵本を渡した。
リボンをかけているだけなので、一目で本だと判る。
「ありがとうございます! あら、まあ! 素敵なご本。ここで読んでも構いませんか?」
ヒルダ嬢の眼がパッと輝いた。
長年の療養生活を送ってきた彼女は、無類の本好きなのである。
彼女は、リボンを解いて、丁寧にそれをまとめてテーブルに置いてから、本を開いた。
「うわあああーっ! これ、これ。開くと絵がっ...」
彼女は眼を丸くして、そう叫んだ。
突然、発せられた大きな声を聞きつけて、使用人が飛んで来たが、ヒルダ嬢が手にしているそれを見て、一緒に驚いている。
多分、こういうものを見たのははじめてだろう。この世界の本というのは、耐久性を考慮して、羊皮紙で、そこに手書きの文字が並んでいるだけのものが普通である。
彩色の絵が描かれたカードなら存在するが、本のスタイルのものはまずない。
しかも、それが立体的に立ち上がる! そんなもの見たら、そら、感動するわな...
ヒルダ嬢は、最初の見開きをじぃーっと読んだ後、本を綴じて、言った。
「シャルナ様。素敵な贈り物。本当にありがとうございます! 後でゆっくり読ませていただきますわ。ここで見てしまうのは勿体ないですもの。」
やがて、他の客も相次いで到着した。
と、言っても、後、二人である。
一人は、ケッヘン子爵家領の隣に所領がある、こちらも子爵家の三女。幼なじみだそうだ。
もう一人は、ケッヘン子爵の古い友人の子息。ヒルダ嬢も今日、会うのがはじめてだそうだ。
お茶会がはじまった。まずは自己紹介から。
ヒルダ嬢の幼なじみはクララと言う。ヒルダ嬢と同い年だそうだ。
男の子は、オットーと名乗った。おそらく貴族の子弟と思うが、家名は名乗っていないので、たしかなことは言えない。
年は14歳とのこと。ひょっとしたら、親同士が決めた、ヒルダ嬢の許嫁なのかも知れないな・・・と思った。
こういう機会に、何となく二人を会わせることは、貴族の世界では全く珍しくない話だ。
話は、和やかに進む。
年頃。ということもあるのだろうが、みんなの話題は、今、街で流行るものの話題となった。
そして、俄然、私に注目が集まる。それは、私だけが遠い異国から来た者だからだ。しかも、世界中の物資が行き交うアストラからとなると、みんな、私の話を聞きたがるのである。
「今、アストラの王都では、オ○ロゲームと言うものが流行っています。」
私はオ○ロゲームを簡単に説明して、付け加えた。
「どこかの国の王様同士がこれで戦ったとか。噂が出ています。」
みんな、ケラケラ笑った。
この世界では、王同士が戦うのは、戦争か剣術大会ぐらいしか、あり得ないからである。そして、現役の王が剣術大会で相まみえることなどまずない。
オ○ロゲームは、さすがに西方地域にまでは拡がっていないようで、みんな、興味津々だった。
「今度、お持ちしますわ。私の実家が、クラウゼンに支店を出しますので、私もまた、こちらへ来れると思いますので。」
私がこう言うと、みんなが嬉しそうな顔をした。
「先ほど、シャルナ様から、このような素敵なご本をいただきましたの。」
ヒルダ嬢が、さっき渡した、仕掛け絵本をみんなに見せた。
「開くのは最初だけで勘弁して下さいね。私もまだ、そこから先は見ておりませんので...」
ヒルダ嬢は、ちょっと弁解しながら、最初の見開きを開いて見せた。
「おおーっ! これはすごい! このような本を見たのは初めてです。」
オットー少年が上ずった声を上げた。
「ええっ? これ、紙なのですか? 紙で本が作れるのですか?」
今度はクララ嬢が驚く。
「アストラには、こういう本があるのですか?」
オットー少年が尋ねたので、私は首を横に振って、。
「いいえ。これは私が考えたものですの。実際に作ったのは職人さんですけどね...」
「ええーっ!」
一同が声を上げた。
お茶会はこの後も、和やかに続いた。
この家の使用人たちは、皆、それをにこやかに見守っていた。
皆が彼女の病状に絶望し、暗鬱な空気に包まれていたのが、一転、こんなお茶会を開くことになるとは、誰も予想していなかった。
だから、目の前で起きている奇跡をゆっくりと味わっているのである。
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