第12話 公園にて
結局、翌日も会社を休んだ俺は、徒歩で近所の内科に行った。
医者は検査しないまま「胃炎でしょう」と薬を処方してくれた。一週間分だ。これで改善しなかったら、また来いということらしい。
今は胃の痛みが落ち着いているし、母しかいない家にも帰りたくないので、カフェに寄ることにした。コーヒーは胃に悪いよな?ミルクを多めに入れよう。
Caféテラス。そのままの店名だ。ここはポーションじゃないミルクを出してくれるので気に入っている。植物性はいまいち美味いと思えない。好みの問題か?
スマホの他にはほぼ空のカバンしか持ってきていない。カウンターに腰かけ、どうやって時間を潰そうかと悩んでいると、店員が声をかけてきた。
「今日はラフな格好ですけど、お仕事ですか?」
中々失礼な質問である。
「医者行った帰り。」
手を左右に振りながら否定の意を示す。
すると、店員は、マスターの方をちらりと見やって、こっそりと耳打ちしてきた。
「この一月ほど前から、石田さんの別れた奥さん見かけたって話、よく聞くんですよ。何日か前に、『そうかなー?』って人が来店されたんで、一応、お耳に入れときますね。」
鉢合わせるのは気まずいでしょう?と付け加えて、呼ばれたテーブルに行ってしまった。
あの店員は祥子を知らないはずだ。マスターは面識あるが、客の情報は漏らさないだろう。ということは、あの店員が「俺の元嫁かも?」と思うくらいの情報が出回っているのか?休みに来たはずなのに、余計に混乱してきた。
本当に祥子なのか?他人の空似なのか?はたまた、誰かが噂を流しているのか⁉
「んっ⁉」
ふと嫌な予想が頭を過った。
もしかして、真白が俺の子じゃないって話も、誰かが意図的に流して――母しか考えられないが――いたのか⁉
もし、本当に万が一にも真白が他人の子だとしても、それをどこで知って噂にしたのか――頭がもんもんとしてきた。帰って寝よう。
結局、俺は30分程で店を出た。
帰宅して、母の靴がないのを確認する。買い物か、お茶飲みか。しばらくは平和に過ごせそうだ。ストックしてあるペットボトルのコーヒーを持って部屋に入る。
畳の上にたたんだだけの布団を敷く。横になってペットボトルを額に当てる。気持ちいい。熱が出てきたのだろうか。まあいい。何も考えずに休みたい。
ひと眠りしたら空腹を感じてきた。弁当でも買って公園で食べよう、そう思って階段を下りる――と母がいた。
「会社どうしたの?具合悪いの?」
ベタベタと俺の体に触りながら聞いてくる。気持ち悪い。
「ん-。昼飯食べてくるから。」
玄関までしつこくついてきた母を適当にいなして外に出た。近いからAマートかな。自転車は置き場に困るので、徒歩で向かう。
職場でさえ心配されるほど顔色が悪かったのに、一緒に生活していても気づかないものなのか?――いいや、自分の言いたいことを聞いてくれる人がいればいいんだ。俺の体調なんて気づいてなかっただろう。
逆に、父はなにか言いたいことがあるのか、よく目が合う。昨日の朝は、手が伸びていた。母が居間に来たので、何事もないフリをしていたが。珍しいな。なんだろう、気になる。
公園に差し掛かったところで、高校生とすれ違った。時計を見ると午後2時半を過ぎていた。テスト期間か、期末テストが終わった後の時短なのか。
中学生はどうだったかな――などと思っていたら、公園に真白の後ろ姿が見えた。
「え⁉」
思わず声が出たが、幸い聞こえる距離ではない。
男子生徒と一緒に見える。
――誰だ⁉
不自然にならないように隠れて様子を窺う。
男子生徒は真白から適度に距離を取っている、と思う。近すぎないし、ボディタッチもない。
友人か?
ベンチで話し込んでいるようで、時々腕を動かしジェスチャーしているのがわかる。興奮している、とは違う。あんなに手を動かしていても声が大きくならないのは、普段から会話しながら身振りを付けるのが癖になっているからか。
どうやら、健全な友人関係のようである。
学ランだと高校か中学かわかりにくいな、などと思いながら、尚も様子を窺う。
「?…見たことあるぞ。」
というか、似ている、独特のジェスチャーとか。
「仁恵さんの息子?」
近くでバッタリ――ではない。仁恵さんの家とは中学が違うくらい距離がある。わざわざ真白の家の近くまできたのか?
面白くない考えが浮かぶ。
バーベキューで会った子は、とても気遣いができた。真白にもいろいろ手助けしていたし、十分な面識はある。が、こんなところで二人きりで会う関係なのか――?
ぐうううううぅぅ~
盛大に腹が鳴った。そうだ、飯買いに行こう。公園で食べるのは無理そうだから、外食しようか、持ち帰ろうか…。
結局、Aマートで弁当を買って、家で食べた。
部屋でうさとにらめっこしていたら、真白が帰ってきた。俺はもう弁当を食べ終えているから、あれから1時間くらい経ったのか。
なんとも面白くない。だが、真白も成長している。思春期だし、親しい異性の友人がいても不思議でない。うさを眺めながら、「俺があれくらいの頃は…」などと昔を思い出す。うん、男友達とバカやってた記憶しかない(笑)。若かったな。
そんなしていたら、真白が部屋をノックした。
「お父さん、いる?」
「ああ、いるぞ。」
つい身構えてしまう。なんだろう。
静かに襖戸を開けて真白が入ってきた。制服のままだ。部屋に荷物だけ置いてすぐに来たのだろう。
「どうした?」
とりあえず声をかける。
「うん。さっきね、お父さんの会社の高橋さんの子の高橋…裕貴さんと会ってたの。」
うん。高橋さんは何人もいるぞ。「誰だ?」ってつい意地悪したくなるのを我慢する。
「仁恵さんの息子?」
「あっ、そう。一昨年のバーベキューで会った『お兄さん』。」
真白の様子を窺う。不審な点は…もじもじしている。当たり前か!父親に異性の話をしてるんだから‼
こうなったらしっかり聞き出してやる!と、腹を括る。居住まいを正して、聞く。
「さっき公園で会ってたよな?」
「ヤダ⁉」と言って一瞬後ろを向き、またこっちに向き直る。俺の真白はいちいちかわいいな。
「え、話聞いてた?」
「いや、見ただけ。ジェスチャーが仁恵さんに似てたから。」
「ああ。あれね、『お母さんのマネ』って。」
と言いながら、真白も俺の正面に正座した。
――なんだ。わざとか。じゃ、何の話をしてたんだ?
「は?仁恵さんの…母親の話してたのか?」
なんだか拍子抜けする。しかし、それを俺に報告に来る必要はなくないか⁉
だが、俺の思いとは反対に、真白は頷く。
「高橋さんがね。『お母さんがいつも玉砕してる』って残念がっててね…。」
だから、どの『高橋』だ?ってか、『お母さん』って仁恵さんか?
「…ちょっと待って。『高橋』が多くて混乱してる。」
額を抑えて考える。真白が言ってるのは、『お兄ちゃん』が「残念がってる」って話か。なんとなくわかった。わかったが。
「――俺に関係なくないか?」
真白は静かに俺を見ている。
なんなんだ?もうちょっと思ったことが表情に表われると助かるんだが。言っても仕方がない。――が、この空白の時間に耐えられない‼
「結局、なんなんだ?」
素直に聞いてみた。
「だからね、お父さん…ふう。」
うん。真白がかわいい。
「真面目に聞いて。それと、『息子さんから聞いた』って高橋さんに言わないでね。ね?」
なんだ?本当にわからなくなってきた。なんでそこに俺が関係してくるんだ?俺は、混乱したまま頷いた。
真白はゆっくり、丁寧に、言い聞かせるように話し出した。
「お父さんの会社の高橋さんは、お父さんが好きなんだって!」
――何言ってるんだ?真白は。
「いやいやいやいや。職場でも何度か言われたよ?冗談だって(笑)」
真白が俺の膝を叩いた。
「もう、お父さん!真剣に聞いて‼」
珍しい。真白が怒っている。それも可愛い。相変わらず表情の変化は少ないが、明らかに怒っている。
で。真面目になんの話だ⁉
俺は、娘から、「会社の『高橋さん』がどれくらい俺を好きで想っているか」を切々と聞かさる羽目になった。
「ふうぅ…」
天を仰いでため息を吐いた。
「てっきり、『付き合ってます』とか言われると思った」
一気に体中の力が抜けて脱力する。――なんだよ、俺の覚悟は?
「真面目に聞いてた?――じゃないっ‼なんて…」
突然、パタパタして慌てて自分の部屋に駆けていった真白は真っ赤になっていた。
「はぁっ⁉」
なんだよ、その反応は‼真白が「付き合いたい」ってことだろ?
「そんなんっ、ダメに決まってるだろ‼」
思わず畳を叩いて叫んだ。
夜。真白と二人、俺の部屋で夕食をとる。体調の悪い俺を気遣い、真白が作ってくれた手料理だ。「慣れなくてごめん」と言っているが、どうして。ちゃんと美味い。
静かな時間が過ぎていく。
「ねぇ、お父さん。どうして再婚しないの?」
俺の様子を窺うように、真白が言った。
「私、新しいお母さんほしいな。――兄弟も欲しい。お兄ちゃんとかお姉ちゃんとか。」
俺はまた気を遣わせているのか?真白の本心なのか?表情からは読み取れない。
「ばあちゃんとうまくいく人でないと、ムリだ。」
再婚は――俺も考えなくもない。いつまでもひとりで真白を守り続けるのは難しいから。
それでも、新たに選んだ相手が、前の嫁のようになったら…と躊躇ってしまう。母もまた反発するかもしれない。もうあんなのは懲り懲りだ。考えたくはないが、真白と上手くいかない可能性もある。
「まだ、おじいちゃんも…おばあちゃんも若いんだし。――お父さん、この家出ないの?」
思いがけない一言だった。
真白を見つめ――言葉が出ない。
「考えたことなかったなぁ。」
そういう考えもあったんだな。
もし、あの時家を出ていたら――ふと思ってしまう。母と祥子の不仲を仲裁できなかったのは俺の責任だ。結婚して「守る」と決めたのに、ちゃんと守れなかった。三人で家を出ていればよかったのだろうか?少なくとも、祥子が出ていくことは防げたかもしれない。
一人っ子の俺は、ずっと両親と暮らすと思い込んでいた。
「この家は嫌だよな?俺でもそう思う。」
俺をじっと見つめたまま、真白は僅かにわかるくらい頷いた。
俺は、音を立ててスープを啜った。
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