第8話 たまには愚痴でも?
翌朝。会社の玄関でアイちゃんに会った。
「おはよう。夕べ棒に聞いたんだけど、合コンやったんだって?」
「おはようございます。そうなんですよ!急に決まったもんだから、人数合わせに相沢さんと棒さんに来てもらったんですけど…」
おや?単なる人数合わせか。
「まさかの!棒さんが女子全員にその場で手書きのカード作ってくれて!!イラストが可愛かったんです!」
ん?なんか変な言葉が混ざってたぞ。
「棒はデザインの専門学校出てるんだよ。『まさか』は酷くないか(笑)」
「だって似合わないでしょ!?いっつも仏頂面で、『書き方』の手本みたいな字書いてて、細かいことに五月蠅くて!『付き合ったら絶対苦労する』って友達にも言ったんですよ?」
ああ、そうか。俺は片手で顔を覆った。俺の棒への偏見の原因の半分は、アイちゃんにあったんだな、と気づいた。
「棒は先輩だろ。正直とは思うけど、ちょっと言い過ぎじゃないか?」
ここは会社の玄関入ってすぐの廊下。誰に聞かれているかわからない。アイちゃんのためにも棒のためにもフォローしとく必要がある。
「一緒に仕事してると、先輩の指導は五月蠅く感じるものだよ。俺だって、相沢には裏で何言われてるかって思うと…遠慮なく、直接言う奴だけど(笑)。こっちもきちんとできる人材に育って欲しいから、細かいこと言うんだよね。」
「細かすぎませんか?メモ書き置く場所決めとけ、とか電話の『かけ直す』と『折り返す』の違いがどうとか。」
「仕事をスムーズにできるように、とか、社会人としての常識の部分だね?棒は几帳面だから、特にそういうことが気になるのかもしれないな。逆に、アイちゃんだってどう思われてるかとか気にならない?」
「あー。『五月蠅い』とか言われてそう(笑)」
手を叩いて笑っている。アイちゃんは、自分を客観的に見れるタイプだ。
「主観と客観。また、立場の違いって思ってて。」
片手を顔の前に立てて、「ね?」と念を押す。アイちゃんはちゃんと考えられる子だから、これで分かってくれるだろう。
玄関が混んできたので、その場で別れて事務所に向かった。
「おはよう」
いつものように事務所の入り口で声をかけ、自席に向かう。
「今日遅~い!石田さん、アイちゃんと何話してたの?」
と仁恵さんが駆け寄ってきて抱きついた。まったく。
「え!?棒の話。どうしたの?」
遅いって、話し込んでたからいつもより遅くなったが、まだ始業時間まで余裕がある。
なんで?と頭の中を「?」マークにしているところに「じゃぁ(ハートマーク)」と言って去ってしまった。なにが?ますます「?」である。まったくわからん。
「おはようございます」
デスクにカバンを置いたタイミングで平井さんの声が聞こえた。
「おはよう。仁恵さん、どうかしたの?」
率直に尋ねてみる。が、「さあ?」と首をかしげるだけで、なにもわからなかった。
予鈴直前になって、相沢が駆け込んでくる。いつものことだ。社会人として、それはどうかと思うのだが――とかいうと、アイちゃんに煙たがられるのだろう。相沢にも。
「おはよう。いつもギリギリだな。」
「や、そんなことないですって。まだ予鈴前だし。」
棒とこいつ、足して2で割ったらちょうど良くなるのか?などとつまらないことを考えてみる。ダメだ。棒の長所だけが消えてなくなるような気がした。
「石田さん、今日はさっぱりした顔してますね。気分転換になりました?」
相沢が俺に気を遣っている。そりゃ、そのくらいはできるよな。
「なんだか、勢いにやられて終わった感じだったけど。でも、気が紛れたよ。ありがとう。」
「そうっすよね。棒の相談だったんで。石田さんもたまには愚痴言える人と飲みに行ったらどうです?俺らじゃ役不足でしょうし、同級生とか肩肘張らないでいい人いるでしょう。」
「バカ、『役不足』じゃなくて『力不足』。または『荷が勝ちすぎる』と言いなさい。『役不足』というのは――」
正しい日本語講座が始まった。
週末。相沢の言葉に後押しされたわけではないが、旧友に連絡を取って飲みに出掛けた。といっても地元だが。
友人の名前は
席についてすぐ、ビールと適当な物を注文した。
「石田の誘いは珍しいな。」
学生時代の面影はあれど、いい感じに脂ののった男になったな。比べて俺は――くたびれている。銀行マンと中小企業の違いも大きい。
「後輩の勧めでな。――聞きたいこともあったし。」
乾杯のビールをあおって、桐生が聞き返してきた。
「聞きたいことって?」
「んん…」
言いにくそうにしている俺の様子を察して、メニュー表を渡してきた。
「すぐ出てきそうなもん、適当に頼めよ。――まあ、時間はあるし、言えそうになったら話せ。」
桐生は店員を呼んで、冷ややっこやキムチ胡瓜、酢の物など、すぐできそうなものを頼んだ。
「うち、いま勇馬が小6でさ、大変なんだよ。水泳も英会話もやめてサッカー一本!プロスポーツ選手になれるわけないのに、だよ?子どもの将来考えたらさ、『母親ならもっと現実見ろ‼』って思うわけさ。」
愚痴りながら、一気に中ジョッキを空にしている。
「お前もいろいろあるよな。」
俺はちびちびとビールを飲みながら言った。
「うちは真白がいい子過ぎる。いつも周りの顔色窺って、気を使って…可哀そうだ。」
普段、誰にも言えないことがぽろりとこぼれた。そのまま、とつとつと話し続ける。
「今じゃ母さんは真白を透明人間みたいに扱う。親父は何も言わない。いつもだ。親父は祥子の時も母さんを止めてくれなかった。いつも怒鳴り合って…」
知らずきつく握りしめたお冷やグラスの中で、氷が音を立てた。
桐生が俺の背を軽くとんとんと叩く。
「真白ちゃん、かなり人見知りだろ?それを差し引いても大人しいよな。『いい子過ぎて困る』なんて、なかなか聞かない話だぞ?」
「うちの中が居心地悪いんだ。俺でも嫌んなる。真白はもっと嫌な思いしてるはずだ。」
二人で出てきた物を摘まむ。胡瓜のコリコリ感がくせになる。つい箸が進む。
「嫁さん、サッカー好きなのか?」
「それもある。でも、それより、勇馬の勉強嫌いが大きいと思う。サッカーに逃げてるように見えて、心配なんだ。」
「親の願望を子どもに押しつけてってのとは違うのか…」
思ったことを口にする。遠慮なく話せる関係が気持ちいい。
「嫌がってる子どもの姿を見てたくないって。サッカーは今のところ楽しそうにやってるから。――そのうち、壁にぶち当たったら辛くなるんだろうに。」
桐生がビールを追加している。俺はウーロン茶を注文した。
俺たち親世代は、自分の経験から子どもたちに五月蠅く言ってしまう。
対して子どもは、『今』が全てだ。今まで生きてきた年数は少ないし、そんなに我慢ができるわけでもない。まして、小学生の頃から立派な心がけを持って何かに打ち込むというのは、好奇心が強くて集中力の足りない時分に酷というものだ。熱中していてもすぐに飽きる。
「今はサッカーでいいんじゃないか?どうせ、来年中学校に入って部活始めたら、サッカークラブは続けられないだろうしさ。」
「そうだよな…。そうなんだよ、部活!中学によって部活違うらしくて、越境とかする人もいるんだって?」
「ん~?うちは、男子バレーボール部がなかったかも…」
「そうなんだ。小学校からバレーやってるヤツは滅多にいないもんな。」
確かに。公立中学校だと、決められた学校に入学するが、希望する部活があるかは別問題だ。スポーツを頑張りたい子にとっては、強豪校に入りたいだろう。けれど、適当に籍だけ置いておきたい子には、厳しいところは難しい。ちなみに、真白は家庭部だったはず。裁縫が好きらしい。家庭科なので料理もある。俺に食事を用意できるようになりたいらしい。
本当に健気で、ちゃんとした家庭を作れなかったことが申し訳なくて――。
泣きたい。――今は堪える。
「真白は家庭部に入った。裁縫が好きでってのもあるけど、料理を勉強する意味もあるみたいだ。元々、運動部って感じでもなかったしな。」
「さすがの真面目だな。大学のサークルと違って、中学は強制加入だろ?勇馬はうまく馴染めるんだか。不安しかない。」
「どこの親でも、大なり小なり不安はあるだろうさ。」
刺身の盛り合わせ、枝豆、鶏唐など、最初に注文していた料理が出てきた。枝豆を摘まむ。
「お前、どうした。体調悪いのか?あっさりした物ばっかりで。酒も頼めよ。俺一人飲んでるの、変だから。」
刺身を食べながら、桐生は俺にも勧めてくる。どうせ割り勘だが、目の前にあっさりした物があれば、こってりした物は避けたい気分だ。…また胃が痛くなるのも怖い。
「俺はお前ほど強くないからいいんだよ。普段から飲んでないし、酔いが回りそうで。」
「なんだよ。お前から誘ったくせに。何か気になる事があるんだろ?酔ったほうが楽になるぞ。」
「酔っ払って、全部忘れられたら――そのまま全部片付いてたらいいのにな。」
「石田、どうしたんだ?お前ちょっと、心が病んでる発言だぞ。」
さすがに呼び出してなにも話さない訳にもいかない。
「ちょっと、ダブルパンチで。心が折れてるかも。」
「じゃあ、軽めのボディから聞こうじゃないか」
次はアッパーか?――いやいや、相談に乗ってもらうのは俺だ。
「じゃあ、軽めの方から。」
「おし、来い!」
桐生は鶏唐を頬張って、身を乗り出してきた。
「俺、『こいつには負けたくない』って思った奴に負けた…」
桐生の目が点になった。
「は?お前、格闘始めたとか?」
は?――俺は、説明が抜けていた事に気づいた。
「まさか。男としての魅力の話だよ…。向こうには彼女がいるって。」
「なにかと思えば、なんだな(笑)」
桐生はビールを飲み干し、おかわりを注文してから話し出した。
「お前、大学で地味なサークルやってたから、――変なのに引っかかってたし(笑)――気付いてないんだよ。女子たちには『硬派』って言われてて、裏で人気あったんだぞ?結婚相手も――うん。祥子さんだって美人で人気あったし、よく結婚まで持ってったよ!本当びっくりした。」
「ああ~…。考えてみたら、俺の20代、祥子で終わったんだな。」
俺は、イスの背もたれに体を預け、天井を見上げてため息を吐いた。そのまま続ける。
「けど、その後がない。ずっと真白にかかりっきりで、もう未練なんてないはずなのに――なんなんだか。」
「それは、お前がずっと『子ども優先』で生きてきたからだろう?もうちょっと、周りに目を向けてみたらどうだ。新しい出会いもあるんじゃないか?」
「…俺、もう枯れたんじゃないかって。」
向かいで桐生が笑った。
「『男盛り』だって!まだまだ、俺たちは終わりじゃない(笑)。お前がずっと、真白ちゃんにべったりだったから、そういうことに気付かなかったんだよ。」
「そうか?俺、もう『終わった』って思った…」
嘘でもいい。励ましの言葉が嬉しい。俺は、こんなに弱っていたのか…?
「棒に負けたことがこんなにショックなんて…(笑)。まあ、あいつはまだ20代だから、俺みたいになってたら大変なんだけどな。」
「――なんだよ、若いのに負けたのか?それは、ま、人間としての味を知らないんだな。」
なんか、知ったような事を言われている気がする。あの時の男子会に桐生は参加していないのに、だ。
「恋に恋するお年頃――じゃあるまいに(笑)。で、本題は?」
「もう聞くのか!?俺に気ぃ遣ったのって、最初だけ?」
さすがに長い付き合いだ。遠慮がない。
そして俺は、自分からは切り出しにくい。
「ちょっと待ってな。さっきちょっと出たんだけど、まだ決心が付かない。」
「んじゃ、もうちょっとだけ待つぞ。」
またビールを追加している。一緒に下駄ピザも注文した。まんま、下駄に乗ったピザだ。鼻緒の部分は海苔で作られている。――重いぞ。俺は、自分用にレタスとソーセージのコンソメスープを頼んだ。
ビールが出たところで、桐生は切り出した。
「さっき出てきたって――聞きたいのは、祥子さんのこと?」
俺は、姿勢を正して深呼吸した。
「そうなんだけど…さ。なにから聞こうか…どう質問したらいいのかわからなくて。ふう。」
隣で桐生の大きなため息が聞こえた。
「聞きたいってのは、学生の頃の?それとも、就職してから?その後の事でも、知ってることは話すよ。聞け。」
桐生は俺を気遣って、質問しやすいように誘導してくれる。ありがたい。だが、さっきのため息が気になる。
俺たちは、大学の学園祭の実行委員として祥子に会った。お互いの校舎は電車で三駅の距離。設備の問題(特にトイレ)や安全面から、学園祭は毎年合同で俺たちの大学でやっていた。他にも、地元の祭りに合同で屋台を出すとか舞台に参加するとかの企画もあった。「地域活性化を図る」とかいう名目だったが、そこに通う学生は地元出身が多い。
俺たちも祥子もそうだ。なら、俺の知らない噂話なんかをいろいろと聞いているのかもしれない。あるいは、今まで俺に聞かせないようにしていたのか?
「けど、俺が知ってるのもホントかどうかはわからないぞ。人から聞いた噂がほとんどだ。――けど、何年か前に彼女に会ったんだ。」
離婚後の彼女が何をしていたのかは知らない。離婚届も両親が預かってたし、俺には何も言わずに出て行った。それも二度も‼
ついイラッとした。桐生の話を遮る。
「離婚後だよな?他には何か聞いてないか?――祥子の噂は…俺も聞いた。真白置いて遊び歩いてたって。母さんと仲悪かったし、二人とも仕事してなかったから家にいたし。うちん中にいるのが嫌だったんだろうって…思うよ。」
言いながら辛くなってきた。だんだん尻すぼみになる。
話したそうにしている桐生をじっと見つめて、――尋ねた。
「俺の知らない、よくない話があるのか?」
逆に聞き返す。
しばらくの間があり、桐生が答えた。
「ん。――まぁ、いろいろな。」
「ふうぅ。」
俺の覚悟が鈍っていく。せっかく、こうして桐生に来てもらったのに。まさか――不倫か?おばさんの話と繋がってくるが、まさか?
「よっぽど言い難いことらしいな。けど――『噂』なんだろ?」
俺は、自分の心に保険をかける。
また大きなため息をついた桐生は、テーブルの上の両手をぐっと握って目を閉じ、――ふと力を抜いてこっちを見た。
「真白ちゃんはお前の子じゃないらしい。」
「――は⁉」
何を言われたのか、俺には理解できなかった。
「だから、真白ちゃんは祥子さんが外で仕込んできた子だって!」
呆然としている俺の腕を掴んで、桐生が繰り返した。
「――どういう…だって、浮気は…モテてたけど…」
「俺もさっぱりわからない。ただ、そういう話が流れてきてたのさ。」
「いつ⁉」
「勇馬が生まれた後。だから、12年何か月以内に聞いた。」
どういうことだ???12年前って事は、真白は1歳?2歳?祥子が消えたのは…?
「――そういうことか!」
やっとわかった。両親が――俺にべったりだった母が――初孫を可愛がらない理由!祥子が出て行った理由!
「その話をした人は、俺と祥子の名前知ってた?」
興奮しすぎて、既にまともに頭が回らなくなっている。その一方で、妙に冷静な俺がいた。
桐生は天井を睨んで、眉間にしわを寄せた。が、すぐにこっちを見た。
「名前は言わなかったって聞いた。ただ、『颯太と親しい友人が女房に逃げられたと思ったら、他人の子ども育ててた』って。勇馬が生まれたときに、お袋から聞いたんだ。『お前によく似た子で良かった』って泣きながら変なこと言うからさ。」
話が入ってこない。情報が多すぎる――。
「つまり、『お前と親しい』イコール『俺?』」
「いや、俺の周りで『女房に逃げられた』っていったら――わりぃ。」
注文していた下駄ピザが出てきた。――なぜこのタイミング‼
「誰がそんなこと言い出したんだよ⁉」
俺は、感情を向ける先を見つけられず、何度も自分の腿を叩いた。ぽたぽたと手の甲に涙が落ちる。
桐生が止める。「まぁまぁまぁ。他の客の目もあるから、な?」
俺が落ち着いてきた頃、何杯目かわからないビールを飲んでいた桐生が言った。
「お前の目から見て、真白ちゃんはお前の子か?なら、それが真実なんだろうさ。」
俺はずっと、自分の子だと信じていた。そう思っていた。今も強く――そう考えながら、頭の中の冷静な部分が何かに引っかかる。
「俺は何年も会ってないから、子どもの頃とは変わってきただろ?」――と続けている桐生の声は耳に入っていない。
――待てよ。
疑問に感じたことはある。出奔した祥子が真白を置いていった時!
人形のような幼子に、「本当に真白なのか?」と疑問に思った記憶がある。
だが。
「真白は俺の子だよ。見た目は祥子にそっくりだけど、性格は俺に似てる。」
気遣わし気にこっちを見ている桐生をよそに、店員を呼ぶ。
「ウイスキー、ロックで!」
隣でため息が聞こえるが、今は酔いたい。俺は、置かれたグラスを一気にあおった。
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