第3話
O山郡K原市は人口僅か二万人程度の小さな市だった。平成の大合併で周辺の過疎地域が統合されたこともあり、山村に住んでいる人が半数近くに登る広い市だった。
波城神社のある村に行くためには長い山道を超えていく必要があった。
途中までは車で乗り入れられたものの、村まであともう少しというところで運悪く倒木が道を塞いでおり、そこからは歩いて向かうことにした。
どこまでも続くのどかな風景を横目に歩いていく。
「いやあ、本当に何もない山道ですね。まさに隔離された集落って感じだ」
「あと二、三キロぐらい行けば民家が見えてくるはずだね。運動不足解消にはちょうどいいよ」
「かなり不便なところですね。人の往来もそう簡単じゃなさそう。
これだとわざわざ村に行く人も限られてたでしょうし…波城神社について誰も知らないのも納得です」
「誰か村の人に話が聞けるといいんだけどねぇ。当時は秘密にされていたでしょうが、信仰が途絶えてしまった今となっては隠す理由もないでしょうし」
そんな話をしながら歩いていると、遠くのほうにポツポツと民家が見えてきた。
民家の周りは畑に囲まれており、閑散とした雰囲気を醸し出している。
高低差の大きい山間に切り開かれた土地であるためか、歪に入り組んだ田畑がさまざまな形で組み合わされており、統一感のない印象を与えた。
村を横切るように続いている一本道を歩いていくと、農作業をしているご老人にすれ違った。
七十は超えているであろう見た目だが、日焼けした肌に筋肉質な体つきをしている。
「すみません、少しお話しを聞かせてほしいのですがよろしいでしょうか」
「ああ、こんなところに若い人が珍しいね。
何にもないところだけど何しに来たのかな」
「ええ、この村の外れのほうの山間に神社があると思うのですが。大学からの依頼でそこの歴史調査をしていまして。
日本の山村の信仰や当時の暮らしを後世に残すことが目的ですね。
波城神社という名前だったかと思うのですが、ご存知でしょうか」
──大学の調査だとそれっぽい嘘を言った。
まあ探偵と言って怪しまれるよりマシだろう。
「ああ、ナミシロさんね。随分久しぶりに聞いた名前だなあ。
昔はねえ、あそこで祭りなんかやってて、俺も子供の頃親に連れられてよく行ってたよ。
村でもさ、一応神輿だって出してたんだ。
祭りの日はね、独特な高揚感があって楽しかったよ。
あそこの神主が辞めちまってから何年経つんかなぁ。
平成の初めの頃にはもう誰もいなくなっちまったんじゃないか」
今から三十年以上前か──
「地元の皆さんからかなり大切にされていたと聞いていますが。
神主さんが辞められたのは何かきっかけがあったのですか?」
「ああ、そりゃね、御神体が盗まれちまったんだよ」
「盗難ですか…御神体というと、その、能面というんでしょうか」
「ああ、それそれ。
村の若い衆にとっては祭りがメインだったけど。
神社の関係者だとか村役場の連中にとっては能面を使った祭事のほうが重要だからな。
ほら、あの神社はさ、鬼コさんを祀ってたんだろ」
「ああ、確か、鬼を鎮めるために建てられたと言うのが波城神社の成り立ちでしたね」
「まあ今となっちゃただの昔話だけどな。
巫女が神の使いって役回りで、あの能面を着けて舞を踊るんだ。
そんだら祀られてる鬼コさんはそれを見て気が鎮まる。村に災いが降るのを避けられるって訳だ。
特に厄災があった年はな、村の住民全員でその祭儀を囲んで祈るんだ。
まあ信じてたんだな。
そんなもんだからな、能面は大切に保管されておった。普段はな、村人や神主でさえ能面に触る事も許されておらん。
巫女さんだけが鬼コさんの祭事に蓋を開けていいことになっておる」
「そんなに大切にされていたものが…盗まれてしまったのですか」
「そうそう。年に一回に唯一外の空気に触れるその日にな、無くなってしもうた。
村中大慌てでなあ。やれ祟りが起きるだとか村が滅びるだとか。大騒ぎだ。
神主なんて側頭して寝込んじまったわ。
まあそんなに大切なもんだったんだ。
でもな。
結局何も起きなかった。
その年も、次の年も」
「儀式は出来なくとも何も変わらなかったと」
「そうだ。
所詮は迷信だったってことだ。
そりゃあそうじゃろと今となっては思うがな。
信じておった連中は肩透かしだ。
あれだけクソ真面目に行ってた神事だったからな。今まで何だったんだと。
そんでもう祭事も祭りも取りやめになっちまった。祭りぐらいは残せばいいのにな。
若い衆にとっては祭事にはそんなに興味なかったけど。年に一回、屋台が出て山車を担ぐ。ナミシロさんに詣でにいくってのは楽しかったからなあ。
娯楽なんて殆どない村だからな」
「神主さんは、神社を守る方々はどうなったのでしょう。
御神体が無くなって、それで神社を閉じてしまうなんて、そんな割り切れるものでも無い気はしますが」
「どうだったんだろうな。
神主からするとなあ、当然思い入れはあったんだろうがな。
やっぱりあの神社の存在意義は御神体と、その神事にあったんじゃろ。
おまけに村の連中も儀式が無くとも困らないと知ってしまった。
信仰心が薄れてしまったんだな。
そのまま神社を続けたところで中身は空っぽじゃ。
それで神主、たけさんと呼んでおったが、あそこを閉じてしまったんじゃ。
何百年も続いたものを自分の代で閉じてしまったんだからな。居た堪れないよ」
「そんなことがあったのですね。
それでは元神主さんは今どこにいらっしゃるのでしょう」
「土地は持っておったからな。
しばらくは畑だなんだで暮らしておったが、まあ歳食ってな。今頃はどっかで隠居生活だよ」
当時の状況が明るみになるに連れ、あの写真の謎は深まってきた。
写真が撮られたのは、明らかに波城神社が廃墟となってからだろう。
それではあの黒い影は誰だったのだろうか。
背丈からは少女のようにも見えた。
巫女が行う儀式と。
鬼を祀る神社か──
「貴重なお話ありがとうございます。
これから波城神社へお伺いしようと思います」
「まあ、今行っても大して面白くはないと思うよ。
とはいえこの村の歴史が残らないのも寂しいからね。
もう今は老人しか残ってないからなあ。
遅かれ早かれこの村はなくなってしまうからさ。よろしく頼むよ」
老人はそれを伝えるとまた農作業に戻って行った。
私たちは当時の状況を聞けたことに一定の成果を感じつつ、先を急いだ。
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