第3話

 それから幾日か経ちまして。


 怪文書は相変わらず貼られていますが、あれ以来、剥がすことをやめ、むしろ視界にすら入らないよう、記憶を封印するように暮らしておりました。

 

 そんなある日、いつものようにゴミ捨て場の清掃をしていたところ、裏手の単身者向けのアパートがにわかに騒がしくなりました。


 どうしても気になって目をやります。


 アパートの前で古くからよく知っている管理人の男性と、大柄なスーツ姿の男が話し込んでいます。


 野次馬なのか、この近所の人やら通行人やらが中を覗き込んでいました。


 ふと視線をアパートの上にやると…ちょうど三階の一室の窓から、例のあの女の子──あの掲示板の前で、雨の中で立っていた女の子が外を覗いていました。


 見間違えかと思いましたが、いやいや、しっかりとそこにいるようでした。


 ただ、あの日とは違い落ち着いた表現で、じっと人々の慌てている様子を見ているようです。


 やはり、あの日見た少女の顔は見間違えで、女の子はただあそこに偶然居合わせただけ。普通に立っていただけだと、そんな気すらしてきました。

 

 そのうちスーツの男との会話が終わったらしい管理人がこちらを見つけると、足早に向かってきて、事情を聞くことができました。


 「やあAさん、騒がせてすまないね。大変な事になったよ。いや実はね、隣人同士のいざこざがあってね。


 ああ、あれね、刑事さんだよ。まあ参考程度にって色々聞かれてたんです。


 あの二人、元々折り合いが悪かったんだけどね。いよいよ我慢出来なくなって取っ組み合いになったらしくて。


 取っ組み合いの喧嘩になったところで、片方が倒れたとき打ちどころが悪くて。死んじまったんよ。ほんと、勘弁してほしいよ」


 ちょうどその時救急車両に向けてブルーシートに包まれたそれが運ばれてきた。遺体を包んでいるのであろう。


 そのシートの隙間から僅かに衣服が、腕が、手が覗いている。

 そこに──泥がみっしりと付着していた。


 「びっくりしたよね。なんか変わった人だったから。えぇ、あの人はどんな人だったかって?


 Bさんっていう人でね。


 そうだなぁ、所謂ゴミ屋敷っていうのかなぁ、泥みたいなものを部屋中塗りたくって。まあ臭くってたまらなかったよ」

 

 もしかして、その部屋は。三階の──?

 

 「ああ、そうそう301、ちょうどここから見えるだろ、あの角部屋だよ。」

 

 ──それはさっき例の女の子がいた部屋だ。

 

 「え?女の子を見たって?いるはずないよ。ここは一人暮らし用のアパートだよ。もちろん301の人も一人暮らしだよ。


 それに、今の今まで警察やら救急の人が入って部屋中歩き回ってたんだ。そんな子がいたなら間違いなく気づいてるよ」


 そういうと、管理人はまた警官に呼ばれてそそくさと去っていった。

 

 301号室に目をやる。


 もちろんそこに女の子の姿はなかった。

 

 例の怪文書を貼っていたのは301の住人、Bで間違いないだろう。


 あの怪文書を使って、何を伝えたかったのだろうか。


 そして、あの少女は誰だったのか。

 

 掲示板には、泥で貼り付けられた怪文書が今も貼られたまま。

 

 この夏私が経験した不思議な体験でした。

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