夢幻の千夜譚・朧森の霊樹(ろうしんのれいじゅ)
むかしむかし、此の渓谷の奥に、「朧森の霊樹」と呼ばれし大樹ありき。
月明かりの夜には、その大樹の影、ふわりと揺れ、あたかも静かに語りかけるが如し、と人々は語り継ぎ来りぬ。
そもそも此の「霊樹」が、いかなる時に此の地に根を下ろしたるかを知る者、古今に未だあらず。
ただ、村の老たち曰く、「此の樹、朧森に現れしより、谷は静かに守られし」と申すのみ。
そしてその樹には、不思議なる力宿りけるとも、また言い伝えられぬ。
その力と申すは、木に触れし者の「影」を一時、木の内に吸い込むものでありき。
影を預けし者は、その間に己が悩みや苦しみを打ち明けること能く、霊樹は何事も語らぬままに、ただ影を通じて心の内を見守りしとぞ。
されど、この「朧森の霊樹」には一つの掟あり。
「木が影を返すその時まで、決して振り返ることなかれ」というものなり。
村の者たち、この木の力に救われしことも幾度と無くありけれども、時にこの掟を忘れし者、忽然として姿を消せりとの話も、また残りぬ。
かの年、一人の若者、恋人を失い、悲しみに耐えかねて霊樹を訪れたり。
その若者、木に影を預け、痛みと悲しみを打ち明けぬれど、木が影を返すまでの間、耐え難く、遂には振り返りしと伝えられぬ。
それより後、若者は再び谷に帰らず。
今も月夜の晩には、朧森の霊樹の影は静かに揺れ、谷の守り人として佇み続けると伝えられぬ。
此の木のもとを訪れし者は、言葉を持たぬ霊樹が影の奥より見守りしを感ずべし。
そして心を打ち明け、決して振り返ること無く帰りたまえと、村の人々は口々に教え、言い聞かせぬ。
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