暗夜に月光が降り注ぐと、ミステリーの匂いがする

白雪花房

降り積もる薔薇の花びら

 とある王国の北側、外界と隔離された山奥に建つ、辺鄙な宿。


 清楚で若い女だった。長い黒髪。すらっとした脚で床をタッチすると、整った毛先がさらりと揺れる。

 こじんまりとした部屋に薔薇の花びらが散らばっていた。窓に面した床に青ざめた身体が横たわる。胸元には真っ赤な血が咲いていた。

 硬質なヒールが遺体をまたぐ。女は大きく開いた窓へと身を滑らした。

 月に照らされた彼女は神秘的な輝きを放つ。

 バルコニーの柵を踏み越え飛び立つと、今度は長く浮遊できた気がした。



 数刻後、王都の中心地に建つ新聞社にて。


 夏が終わった瞬間に雨が降るようになった。曇った窓ガラス越しに紅葉が舞う。古びた建物が多い街並みも、くすんで見えた。

 整然と机とイスが並ぶ一室。スーツ姿の男性たちがタイプライターをいじる。傍らには物を写す魔道具と、投映紙が散らばっていた。

 隅の席には薄っぺらいスーツを着込んだ女性。明らかに暇そうな彼女の元に、中年の男が近づいた。

 手前に影が差し込んだのに反応して、顔を上げる。化粧けはなく、地味な印象。細い襟のスーツを着た胸元には、ペネロペ・スカイラーと名札があった。

 上司の登場に渋い顔をしつつ、彼女は背筋を伸ばす。

「いかにも想像をかき立てる事件が起きた。ちょっくらストーリーを仕立ててこい」

「いつからここは創作を扱う会社になったんですか?」

「おうとも。よく読め。ミステリーだ」

 眠そうな顔で差し出されたものに、目を通す。ベージュの用紙に数枚、光画(文字通り、光で描いた絵、投影紙に出力する)が載っていた。


 山奥の宿で殺人事件が起きた。目撃者はなく刃物もない。現場には薔薇の花びらが落ちていたとのこと。まるで古に聞く、薔薇の雨を降らせて窒息死させた事件のよう。胸を刺し貫かれていたあたり、そんな滑稽な真相ではないのだろうけど。


 それはそうと、よりにもよって平凡な記者に案件を託した理由はなにか。

 思い当たる節があるとすれば――

「亡くなった方はこんな顔ではありませんか?」

 引き出しからチラシサイズの紙を取り出す。上部に派手にWANTEDの字。四角い枠の内側には薄い顔立ちの男が載っていた。人混みにまぎれていても気づかない程度には、普通の容姿。下にはクルーズと名を記してある。

「そうそう。そんな感じ」

 やはりそうか。ペネロペは盛大に息を吐く。

「仕方ない。やりますよ」

 渋々腰を上げる。タイトスカートの裾を整え、脚を伸ばした。

「スカイラーくん、変なものでも食べた? なんで急にやる気に?」

 相手は目を白黒とさせる。ペネロペは全く気にしないし、答えもしない。まっすぐに出口へ向かい、ドアノブをひねり、外へ踏み出す。迷いはなかった。


 王都の北の山奥へ赴く。

 ワープ技術者はレアなので、簡単には見つからない。探すのも面倒だったのでシンプルに、馬車を利用する。

 駅では券を消費して優待してもらった。

 狭いキャビンに乗り込み、小さな窓を見つめながら、あるやり取りを思い出す。



 今年の夏、峠道の茶屋にて。

「はじめましてロゼさん。まずは恋バナでもしましょうか」

 女子会を始めるノリで口火を切る。

 反対側の少女はよく見るとスレンダーだった。

「セックスって気持ちいいと思います?」

「え、なんでそんないきなり……」

 まだうら若い娘はあからさまにうろたえた。

「そりゃあ、好きな相手とは重なり合いたいと思うわ。それこそ、一生ね」

 彼女は目を泳がしながらも、ペラペラと答える。

「普通はそういうものなんですか」

 メモメモ。

「ちなみに私は処女です。身分はこういうものなんですが」

 名刺を差し出す。シンプルな用紙には、ペネロペ・スカイラーと書いてあった。

「ずいぶんユニークな鎌の掛け方ね。本命の質問は終わり?」

 相手は警戒をあらわにした。

「王立の出版社にまで名が知れてるなんて、そんなに危険視されてるのかしら」

 不機嫌そうに目をそらす。

「そんな、むしろ評判です。大変華やかな仕事をなさっていると聞きます。なんでも他者に彩りを添える所業だとか」

「花なんて売ってないわよ」

「むしろ花を咲かせるほうですよね」

 反対側の席でロゼは嫌そうな顔をした。

「あたしは今は一人。自由なんだから、構わないで」

 険しい顔で突っぱねる。目を合わせる気もないらしい。

「分かりました。約束は守ります」

 ペネロペはあっさりと引き下がり、席を立った。

 去り際、一度だけ足を止め、奥のほうを向く。ロゼは気の抜けた顔でオレンジジュースのストローをくわえていた。

「あなたはもう少し素直になったほうがいいと思います。では、彼によろしく」

 忠告にも似た言葉。相手の反応を置き去りに、スーツ姿の女は茶屋を後にする。平らなテーブルには氷の入ったグラスが水滴を垂らしていた。


 ロゼについて、身内は語る。

「里を出奔した奴なんて、知りません。今頃どこにも馴染めず、逃げ回ってるんじゃないですか? ああ、カワイソウ。もちろん、周りの人たちが」

 彼女は一族からも浮いた存在だった。

「いい迷惑でしょうね。散々世話をしてやったのに、感謝の一つも言えやしない。置き手紙もないなんてね」

 ほかにも、色々と愚痴を吐かれた。

 家出娘に近づいたところで、謎には近づけない。執着する理由もなかった。



 しかしいざ北の宿に入ると、もっと話を聞いておけばよかったと、後悔がよぎる。

 現場にはなにも残っておらず、人の痕跡もかき消されていた。それこそ雪が降り積もるように。


「お客様の秘密は守らなければなりません。それよりも観光です。湖畔なんてどうでしょう。ぜひ覗き込んでいかれては? 死んだ人と会えるなどといった伝説も……」


 オーナーの霞んだ声を聞き流す。


 ペネロペの頭を埋め尽くす情報はただ一つ。

 ロゼが殺し屋の一族の一員であることだけだった。

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