第9話

結局稲沢が颯に命じたのは、惟に人並みの花嫁修業をさせてやれというものだった。



「惟、今日から料理を学んでもらいます。」


「.......は??」



 今まで包丁すら持たせて貰えなかった惟はその言葉に驚いた。と同時に嬉しさを感じた。



 自分にも出来ることがあるのだと、惟は積極的に颯から料理を学んだ。



「.....颯って凄いね。料理まで出来ちゃうなんて。いつか奥さんになる人は幸せだろうに。」


「...俺は、結婚はしません。」


「ふーん.....でも叔父様は颯に結婚して欲しいって言ってたよ?」


「.....は?」


「颯の背中ってさ、刺青入ってないんだよね?」


「.......はい。」



 颯は北条組に属していながら、その背中には刺青がなかった。颯は吟鳴に幾度か彫って欲しいと頭を下げたが、稲沢にはばまれてきたのだ。


 しかしシノギの世界の象徴ともいえる刺青がないのは全て稲沢のめい、いや、計らいだったと今この瞬間を持って思い知らされる。



「刺青ってヤクザの証みたいなもんだし、一度入れちゃうとなかなか消せないでしょ?叔父様、いつか颯には普通の世界で生きて欲しいから颯の背中には刺青入れたくないんだってさ。」


「......」


 

 自分は何故そこまで稲沢から想われているのか。しかしそれは、いずれ普通カタギの世界に放り出されるということなのだろうか。


 そうなれば惟と共にはいられなくなる。


 ...いや人情深い稲沢のこと、もしかしたら自分と惟との事実婚を考えてくれているのかもしれない。



 稲沢の思念が分からないが、颯はどちらの可能性も極力考えないよう、惟との時間を過ごした。




 一方の惟は、稲沢から颯をカタギの世界に出したいと聞いた時、全てを察した。



 自分と颯は違う。同じ屋根の下で生活していても自分は所詮美術品、颯は一人の人間で、颯にはいくつもの可能性が与えられている。それを、自分が縛りつけては駄目なのだと。

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