第7話

障子に人影が写ると、惟が慌てて襦袢を整え、乱れた髪を簡単に結い直した。



「惟、颯、入るぞ。」


「はい。」



 黒い羽織りを着た北条組四代目組長 稲沢いなざわと若頭であるさつきが畳を軋ませ部屋に入ってきた。



「惟、随分と荒い対応をしたようだな。」


「向こうがセクハラしてきたからですよ叔父様!いつもはあんなんじゃないんだから。」


「そうじゃない、畳のヘリを踏むなと何度言ったら分かるんだい。噛みつくのはけっこうだがその分節度を弁えなさい。」


「......すみません。」



 庭園からの逆行で顔を陰らせ、惟を優しく見下ろす稲沢の姿に、惟は小さく頭を下げた。


 国の重要文化財である惟は、父、吟鳴の太客であった北条組に守られている。


 世間体は"国"の保護下、しかし裏では北条組という勢力ある暴力団に囲われているのだ。


 吟鳴は惟の鑑賞代を何割か渡す代わりに、惟を守って欲しいと稲沢に遺言を遺し、この世を去った。


 颯は北条組舎弟の一人。組で命を落とした男の息子で、稲沢が引き取り面倒を見てきた。



 幼少より顔馴染みだった惟と颯。


 颯は稲沢に連れられ、よく吟鳴が組員の背中に彫る姿を興味深そうに見に来ていた。



「惟ちゃん!惟ちゃんの背中にも刺青があるってほんとなの?」



 まだ小学生だった颯が惟と庭園で遊んでいる際に問い掛けた言葉。


 遊ぶ友達があまりいなかった惟にとって、自分に気を使わない颯は、かけがえのない存在だった。



「あのね、今あそこに私を見ている男の人たちがいるでしょ?」


「...うん?」


「あの人たちの背中にある刺青よりも、ずっとずっと価値のある刺青をね、父さんがちょっとずつ私の背中に入れてるの。」


「へえ、すごいね!!」



 しかし惟は知っていた。


 颯は自分と遊ぶために来ているのではなく、自分の刺青に興味を持っているだけなのだと。


 だから自分の背中に描かれる『散り桜』で颯を惹き付け、焦らした。



「俺、惟ちゃんの背中、みてみたいなあ。ねえ、みせてくれる?」


「まだ惟の背中は未完成だから見せられないの。でも、もうちょっと大きくなったら見せてあげるからね。」



 惟は、颯に会えるならと『散り桜』をダシに使うことを厭わなかった。


 痛い思いをしてまで自分の背中に入れられる刺青も、父である吟鳴のことも嫌いだったが、颯に求められるのであればそれらも好きになれた。


 惟は颯に恋をすることで、自分の精神を保ってきたようなものだった。

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