第30話

「お話し中、失礼いたします」と大将が言い、料理を置いた。「トラフグの奉書焼きです」と言った孝子が感激した。「素敵!」


「流石じゃのぉ、美しいもんね」と心平も驚嘆した。


孝子は包まれていた紙を開けると、フワッと柚子の香りがした。「香りも見た目も素晴らしいですね」


目の前の大将が言う。「ありがとうございます」と。孝子は一口食べて「お味もとても美味しいです!」


大将は女性にそれも若き美人に、言われたので照れていた。「こちらは石焼きステーキです。お肉はA-5ランクの宮崎ギュウです、本わさびを添えてありますので、お召し上がり下さい」


「この石は河原で拾われたんだか?」と心平が訊いた。

大将が直ぐに答えた。「はい、直ぐそこに川がありまして拾ってきました、こんな店ですから原価が高い食材に利益を載せたら誰もご注文してもらえないじゃないですか。それだったら原価って書いてあった方が、お客様は『食べてみよう』って思われますものね、それが美味しかったら、他の料理もご注文して下さると思ったもので」


「勉強になりますよね」と翔平が言った。次の料理を大将が「黒豚ラーメンです」と言った。


「このチャーシューも黒豚ですか?」と翔平が訊いた。「そうです、黒豚です、私の故郷が鹿児島なものですから」と大将が答えた。


孝子がまた感激して言った。「すごく美味しいです!」


「この深い味が黒豚ならではじゃのぉ、量もちょうど良かったのぉ、そして素晴らしい料理の数々だった」と心平が言った。


食べると出汁に黒豚と鶏のガラで出汁を取り、鰹節と干し椎茸の香りがして麺の硬さも丁度良かった。そして心平が言った。「大将、うまい、流石でがんす、素晴らしいのぉ!」


「嬉しいです。同業者の皆さんにお褒め頂くと」と言って大将が恥ずかしそうに言い、心平が話しを続けた。「鹿児島と言うたら、ワシが一番驚いたなぁ、桜島の噴火じゃが、地元の方々は降り注ぐ灰で大変にご苦労されとるものね」


大将が訊いた。「鹿児島にも行かれたのですか?」

「はい、ワシャ、旅が趣味で中学の夏休みや冬休みに一人で各地巡りをしとって、日本全国四十七都道府県は制覇したけぇ」と心平。


「凄いですね、私たちもコロナさえなければ、行っていたんですけど」と孝子も続いた。

そこに翔平が口をはさんだ。「でも、行っていたら、帰って来なくて、社長の会社には就職できなかったかもよ」

「それはそうかも、だったら行けなくて正解だったわね」と孝子が納得をした。

「そう思ってくれると嬉しいのぉ、ワシ、古い建物を見て歩くのが趣味で、寺社仏閣が好きで兄貴たちとも一緒に行く時もあったけぇ、大将、ごちそうさまじゃった、今日は楽しゅう食事ができた、ありがとの、お会計をお願いします」と言い、席を立ち会計を済ませた。店を出ると孝子と翔平が、「社長!ご馳走様でした!」と言った。


心平も続けた。「いえいえ、そういやぁ、お二人は広電通勤じゃったよね?」と訊くと、「はい」と言ったので、「じゃったら、アパートまで送るけぇ」


「いいえ、僕は広電で帰りますから、姉貴だけを送ってもらえないですかね?」と翔平。

「女性じゃけぇダメだよ」

「大丈夫ですよ、僕は誰にも言いませんから!」

「そがいな事を言われたら余計にダメだよ」

「社長、一生のお願いじゃ、姉貴だけを送ってつかぁさい!」

「社長、そういう事ですから! 私も誰にも言いませんから!」と孝子が言った。心平は、そのようなことには経験不足だった事で疎いので、彼女だけを送る事にした。

「じゃぁ、分かったよ」と言い、心平は翔平を先に広電の駅まで送って行き、その後、孝子のアパートを目指して走っていると大きな運動公園が見えたところで「社長!ちょっと気持ち悪くなったので公園で少し涼んでも良いですか?」と孝子が言った。心平は公園の駐車場に車を停めて二人は降りた。


「社長! おんぶして下さい」

「うん、ええよ」

「社長の背中、大きいです」

「そっか」

「私と翔平は父の顔を知らないので、おんぶもされた事ないし、抱き上げられた事もないので嬉しいです。私はファザコンだからかもしれないんですけど、社長は30歳には見えなくて、私たちよりずっと上に見えたので、好きになったんだと思います」

「もしかして、あの大将と同様で、ワシの禿頭を見て、そう思ったんじゃないのか?」その時の心平の脳裏には、麗奈も父親とは仲が良くないから、こんなことなど、したことがなかったんだろうなと浮かんだ。


「じゃったら抱っこして上げるよ」と心平が言って彼女を下ろして、お姫様抱っこすると、孝子は心平の首に自身の腕を回してキスをして笑ったので彼は彼女を下ろして、「コラッ!」と言った。


「隙あり! 一本!」と孝子がクスクスと笑った、


「社長! またおんぶして下さい!」と言って、また心平の背中に乗ったので、そのままおんぶして歩いた。


「社長の匂いが」

「汗臭いじゃろ?」

「いい匂いです」

孝子をおんぶしたまま、心平は公園の中に入って行くと、芝生になっていて石に躓き彼は前に転がると彼女も彼の上に乗った。


「痛かったよね、ごめん」と言って孝子の顔を見ると彼女は目を瞑ったので心平は、立ち上がって元気良く言った。


「さぁ、帰ろうか!」

少し怒って言った孝子。「社長は、本当に真面目なんですね!」


心平はポツリと言った。「店を一緒に盛り上げてほしい」

「分かりました」

「じゃぁ、帰ろうか?」

「はい、社長」と言い心平は歩き出して、車に乗り孝子のアパートに送った。

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