一対の龍2
(この血の量だと、今すぐ治療しないと危ない。でもこの暗闇の中どうやって?)
必死に辺りを見渡すが、周囲は誰も明昊様のこの状況に気がついていない。暗くて見えていないというのもあるが、この日食という超常的現象に気を取られ、それどころでないのだ。
(私がどうにかしないと……! でも明昊様を治療して、この日食という現象を彼に説明して、民にも説明して──あぁもう、私はどうすればいいの!?)
「生きてないかもしれないとか、輝天の番にされてしまったかもとか。……ずっと不安に思いながらも、もう一度星蓮と会いたくて、俺としては龍帝として努力したつもりだったんだ。……離れていた何年もの間、片時も星蓮を忘れたことは無かったよ」
──番。
その言葉が、私の思考に光を差した。
龍神の番となった女性は、同じく龍人と成る。
龍神はその鱗に願いを託して、叶える。
「星蓮……最後に一度だけ口付けても? 俺は本当に、心から星蓮を──」
「私のお願いを叶えてくださるなら、一度と言わず何度でもどうぞ!」
口付けるつもりで私の右頬に手を添わせた明昊様に、私は食い気味に返答する。そして明昊様の両頬を両手で包んだ。手が血で濡れていたため彼の頬が汚れてしまうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「私を愛しているのなら、番にしてください!」
私の言葉に、明昊様は虚を突かれたような顔をする。
「明昊様も、煌龍帝国も、助けてみせますから! だから、お願い。私を龍神にして欲しいの。何でも願いを叶えてもらう権利、使わせてください!」
明昊様は三秒ほど沈黙して「……出来ない。今星蓮を番にすれば、殺すも同然だ」と私の願いを拒絶する。恐らくそう言われると思っていた私は、そこからさらに畳み掛けた。
「じゃあ輝天様に頼みます! この状況の打開策があると知れば、輝天様なら受け入れてくださるはず。明昊様をお助けするためなら辛くないですが、心を殺して生きるよりは……失敗して明昊様と一緒に虹の橋を渡る方が幸せでした」
私は早口でそう告げると、腹の底から輝天様の名前を叫び呼んだ。暗闇の喧騒の中から輝天様の驚いたような声が聞こえる。
「星蓮! どこにいるの!?」
「輝天様、お願いがあり──ッん!」
まるで唇同士をぶつけるかのように、乱暴に口を塞がれる。私が輝天様を呼ぶのを口付けで妨害してきた明昊様は、そっと唇を離して呟いた。
「……星蓮を龍神にすることで、この国が助かる勝算は?」
「当然十割あります」
だってこれは黒き龍の呪いでも災いでも何でもない、日食なのだから。
「後悔、しないのだな……?」
「しません。明昊様、私の占いが外れたことがありましたか? 闇は一時で、明昊様の正しい判断によって、未来は切り開かれるのだと……最後にお会いした時に、申し上げましたよね」
あの時適当に、明昊様を励ますために言った言葉。それを再度繰り返して、方向転換し始めた明昊様の思考を後押しする。
「嫌いな相手の番になんて……なっていいのか?」
「嫌いだなんて嘘です。輝天様のものにならずに生き伸びるためだけの嘘で、私はずっと明昊様だけを想ってきました」
そして私はいつもの通りの微笑みを向けた。
「私を愛しているのであれば、共に歩む未来を信じて、一緒に前を向いてください」
この暗さでもこれだけ顔を近寄せて話していれば。血を失い続けているせいか顔面蒼白で息も荒くなっていく様子も、それとは逆に生気のなかった瞳に少しばかりの力が宿るのも、よく分かる。
明昊様は手荒く私の外套を剥ぐと、地面に私を押し倒した。それでも頭を打たないように後頭部に手を挟んでくれる、優しい彼が好き。
そして明昊様は乱暴に私の衣の襟元を広げ、私の真上に陣取るようにして、首元に口を近づけてきた。それでも私が戸惑わないように「噛むけど、痛みがあるかもしれない」と伝えてくれる、優しい彼が……やっぱり大好きだった。
「星蓮、ずっと愛しているよ。本当は妃に迎えたあの日に、こうしてしまいたかった」
その言葉と共に、私の首筋に刺さる歯。尖った犬歯部分が肌に食い込むように刺さって、痛みと共に体が燃えるように熱くなる。あぁよく首筋を甘噛みされていた真相はこれだったのかと思いつつ、つい痛いとこぼしてしまいそうになったが……ぎゅっと唇を結んで耐えた。首だけではなく身体中の皮膚を刺されているかのような痛みが全身に走って、視界は歪み涙が溢れる。
時間経過と共にその痛みと熱は引いてきたが、私をあやす様に頭を撫でながら首筋を噛み続けた明昊様は、歯を抜くとドサリと私の上に倒れた。
「明昊様!」
慌てて私は明昊様の下から脱出して、自らの乱れた衣の下を確認する。今までの自分の肌とは違い、部分的に金色の鱗が生え、龍神になった私の体があった。だから何の躊躇いもなく腹付近の鱗を一枚剥がす。
「痛ッ──……く、ないわよ。大丈夫」
本当は、牙を刺された時よりも痛かった。明昊様はこんな痛みを負いながら鱗を剥がしてくれていたのかと思うと、感情が昂りそうになってしまうが、今はそれどころではない。一枚では足らないような気がして、追加で五枚ほど剥ぐ。そしてサッと衣の前を整えると、その剥ぎ取った鱗の束を明昊様の背の血が滲み出ている部分に押し当てて、願いを叫んだ。この暗闇の中のどこかにいるはずの、輝天様にも聞こえる様に。私の願いが届かなくても、これを聞いて駆けつけた輝天様が明昊様を助けられる様に。
「どうか明昊様の怪我を治してください! お願い……明昊様を助けて!」
しかし私の心配は無用だったようで、私の願いは聞き届けられた。明昊様がやっていたのと同じ様に鱗が淡い黄色の光を発して、願いを叶えることを約束してくれる。周囲で唯一の光源となった光は喧騒をも沈めて、誰もがその光景を見つめていた。
「……あの髪色は、星天妃じゃないか」
「天女は天に帰ったとかいうよく分からない理由で行方不明だったが……暗闇で光るなんて、まさか本当に天女だったのか?」
「あれは、龍神の鱗の光では? それよりも陛下が怪我をしたって……」
そう口々に話し始めた臣下達。彼らの中から、白の色を纏う輝天様が飛び出し転がるかのように駆けつけ石段を登ってくる。
「みんな、避けて……通して! 星蓮!? 兄上に一体何が──ッ」
「恐らく、皇太后に刺されました」
「母上!? 追放したのに、どうやってここまで……。あと星蓮はどうしてこんな場所に……?」
「輝天様、約束を破った件は謝罪しますから、今は明昊様をよろしくお願いします」
私は倒れたままの明昊様を輝天様にお願いすると、立ち上がって声を張り上げた。
「皆さん、太陽は煌龍帝国を見捨てた訳ではありません! むしろこれは新しい時代の幕開け。煌龍帝国が更なる発展を遂げることを示しているのです。その証拠に、太陽はまもなく姿を表します」
皆既日食の継続時間は、長くとも七分程のはず。そろそろの頃合いのはずだが、私がそう口にした所で簡単に信じてもらえるわけではない。
だから私は腕から一枚だけ鱗を剥いで願う。
「暫くの間、私の体を光らせて」
願いが聞き届けられたのを確認して、私は自分の姿を──龍に変えた。
太陽の無い、満月の夜ほどしか視界が無い昼間。そこへ光を放つ金色の龍が現れれば……民がどう思うかは、手に取るように分かる。
「金の龍だ……先代と同じ、金の龍だ!」
「なんて尊い色。あれは星天妃か?」
「俺は覚えているぞ。星天妃は宴の時に、陛下に煌龍帝国の未来を占って予言していた。きっと俺たちを助けに来てくれたんだ」
今まで私の色を見て遠巻きにしてきたのに、それが龍になった瞬間に手のひらを返したかのように尊ばれる。思わず苦笑してしまいそうになるが、私はそれを利用したくて龍神になりたいと言ったのだ。そして私が流相お爺ちゃん程の才がなくても占い師としてやってこれたのは、前向きな言葉をかけるのが得意だから。
『お願いです、信じてください。太陽は私達を見捨てません。これは歴史ある煌龍帝国が、この先も繁栄を極めていくための──』
しかし私の声を遮るようにして、女性の声が被せられた。
「白き龍の番として、金の龍が現れるなんて!」
(え……?)
それは間違いなく皇太后の声だった。しかしどこに潜んでいるのか姿は見えない。
『違……、私は明昊様の番で──』
訂正しようとするが、その瞬間に太陽が顔を覗かせて。きらりと空が光った。私の声は皆の二重の歓声にかき消されて、通らない。
「やっと黒き龍の支配が終わったんだ! 輝天様が我々を導いてくれる!」
「白き龍の番が金の龍だって? それは輝かしい未来が待っているに違いない。太陽の再来と共に現れた金の龍だなんて、我々の繁栄を約束しているようなものだ」
「番なら子孫の誕生も心配もしなくていいな。黒き龍が後宮を廃止した時には、もう龍神族も潰えてしまうかと思ったが……これからは安心して暮らせる!」
私の思った以上に、皆の心の中に蔓延る明昊様への拒否感は大きかった。
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