前を向くだけの気力

 星蓮は俺の前から姿を消した。

 それが星蓮の望んだことなのか、輝天が強要したのかは分からない。それでも星蓮が俺への気持ちを無くしたのと、俺の前から姿を消したのは事実だった。

 星蓮を返せと喚くのは簡単だ。しかし星蓮の今後は全て輝天に委ねられている。万が一星蓮を番にされたり、命を奪われたりすれば、彼女は二度と俺の手元には返ってこない。その危険性を考えれば、輝天の要求をのむ方が良いと判断した。


 星蓮を取り戻すために必要だと思うことは何でもやったし、彼女が戻ってきた時の環境を少しでも良くするために俺は奔走した。

 今思えば以前の俺は星蓮を守ろうと思うばかりで、その対策が後手に回ってしまっていたように思う。何かが起こってから、それを回避するために行動を起こす。……それでは駄目なのだ。自分一人だけならまだしも、自分と星蓮二人を守ろうとするならば、それでは遅い。更に、父上のような立派な龍帝を目指すのであれば、遅いどころの話ではない。先回りして、対策を打って、懸念事項は予め全て排除する。それくらい容易にやれなければ、俺は星蓮を取り戻せない。


「輝天。申し訳ないが、俺はお前の家族をも手にかけることになるかもしれない」


 輝天にとって血の繋がりのある家族とは、俺と皇太后のみ。

 そう断りを入れた俺に対して、急に声変わりして少女のような外見から青年になり始めていた輝天は、あっけらかんとして答えた。


「いいよ。僕にとって一番大切なのは、兄上だから。兄上の命を狙う者は僕の敵だよ」


 俺はその言葉を訝しみながら聞いた。もちろんそれは、皇太后をはじめとした敵対する人物にに情報を流されるのではないか、といった話ではない。


(……本当に俺が大切だと言うのなら、星蓮を返してくれればいいのに)


 どこに隠したのかも分からなければ、生きているのかすら確証が持てない。俺のことが大切だと言いながら、裏では星蓮と愛し合っているのではないかという疑念と醜い嫉妬心が常に付き纏った。

 だからこそ、星蓮に訴えるような気持ちで、行動を起こした。

 

 二度と星蓮があらぬ誤解をしないように後宮は解体し、先代龍帝に愛された女性達は、それぞれが望む場所へと旅立った。きっと彼女達も、黒き龍から逃れられて嬉しいはずだ。星蓮の侍女達は何が何でも残ると主張してきたが、主人がいつ帰るかも分からない宮で待ち続けるのは苦痛だろう。星蓮が戻ってくれば必ず声をかけるからと納得させ、実家へ帰らせた。

 

 二度と星蓮の命を狙う輩が出ないように、皇太后の息がかかった者と、俺に歯向かう者は片っ端から処分した。おかげで独裁的だと批判を浴びたが、輝天が「全員証拠があるよ。だって僕、誰が何をしたのか……把握できる限りで全て記録してるから」と倉庫いっぱいの巻物を出してきたので、何度も反乱が起こりながらも結局は落ち着いた。

 

「黒き龍の支配する煌龍帝国に滅びを!」

 

 断末魔の叫びのような言葉を、何度も浴びせられたか分からないが……こうするしかなかったし、それは輝天も認め賛同してくれた。

 

「兄上の命を狙う者なんて、もっと早くに処分しても良かったのに」

 

 輝天はそう言ったが、彼らは輝天を龍帝にと望んだ人達。輝天の治世には必要な者だと思っていた。

 

「僕の治世? そんなの、彼らが生きている間には来ないよ。だって兄上がいるのだから、どれだけ早くても五十年後くらいでしょう? 頑張って生き延びてね、兄上」

「……努力しよう」 


 輝天の俺への期待が重荷でなかったと言えば嘘になる。しかしこの道が星蓮に続くと思えば大したものではない。……俺が心変わりしたと信じ、それでも前を向き続けた星蓮の苦痛に比べれば、何でもないはずだ。

 

 他にも、水害が起こる前に雨雲を調整したり、日照りが続く時は逆に雨を降らせたり。そうやって以前から行っていた雨雲の調整に加えて、今度は星蓮を真似て民と接するようにしてみた。星蓮が残した天文時計を使って、星座から今の時期を知り、それを民に伝える。初めは恐怖心のせいか近寄ってくる人間はいなかったが、俺が空虚に向かって星座の話を伝えていれば「その話、知ってる。星蓮が教えてくれたから」と、星蓮を知る人間が集まって来た。……俺は星蓮を取り戻すために努力しているはずなのに、どこまでも星蓮に助けられっぱなしだった。


 そうやって何年もかけて星蓮に訴えかけたつもりだったが、彼女からの返答は一切ない。

 ある日、俺は焦る気持ちで輝天に詰め寄った。


「輝天。そろそろ星蓮を何処に隠したのかくらい、教えてくれたっていいだろう」

「だから、天女は天に帰ったんだってば」

「……まさか、命が無いことをそうやって表現しているのではないだろうな」

「だから! 天は安全だって説明したでしょ? まったく……兄上は何年たっても星蓮のことばかり。立派に国を治め始めたように見えて、その行動の基準は星蓮にとって良いか悪いか。溺愛もここまでくれば盲目だよ。これ程とは思わなかった」


 輝天は呆れているようだが、俺にとっては当然のことだった。

 そもそも彼女が居たからこそ、俺は顔を上げて前を見ることが出来るようになったのだ。まさに運命の人と言うに相応しく、それ以外の言葉で彼女との関係を形容するのは難しい。


「そこまでなら、初めから番にして守り通せば良かったじゃないか。そうすれば天地がひっくり返ろうとも、星蓮に嫌われようとも、兄上のものだったのに」


 その発想は、皆に愛され育った輝天だからこそだ。

 皇太后の息がかかったものを片っ端から始末した後であっても、やはり俺の命を狙う者は存在する。

 俺に何かあった時に星蓮の命まで奪うような真似は、やっぱりしたくなかった。


「輝天。いつの日かお前も、番にしたくない程愛おしい人に出会えると良いな」

「……よく分からないよ。僕には兄上さえ元気でいてくれれば、それでいい」



 星蓮に再び会うのだと己を鼓舞して、前を向いて。そうやって走ってきたつもりだったし、これからもそうするつもりだったのに、事件は起こった。……占い師達が、煌龍帝国の滅亡を予言し始めたのだ。

 それを予言したのは算命局の占い師達だけではなかった。藁にもすがる思いで身分を隠し訪ねた、帝都に住む高齢の占い師三人組。俺の運命の相手が星蓮だと予言した彼らも、同様の内容を予言した。

 

「あぁ……あの時の、金払いの良い旅人か。よく覚えておるよ」

「あの時、言ったじゃろう? 『国は衰退の一途を辿るじゃろう。太陽もこの国を見捨て、姿を隠してしまう』と。何年も前から決まっていた、滅亡の筋書きじゃ」

「どうにも避けられん事じゃな」

 

 その言葉は俺を地獄に突き落とした。……いや『星蓮と二度と会えない』という未来図が、必死で前を向いてきた俺の視界を闇に染めたのだ。国が滅ぶのであれば、実質的にそれは龍帝である俺の命が無い事を示している。


 それでも俺は足掻いた。まず星蓮の元へ導いてくれるように願いを込めた龍玉を作って、星蓮の実家である蘇家に連絡をとり、自由に動けない俺の代わりに義父上にそれを託した。旅に慣れた義父上ならきっと、星蓮を見つけ出してくれる。外見が珍しい星蓮を完全に人目につかないように何年も匿い続けるのは困難。帝都付近には居ないと踏んだ俺は、彼女の母親の出身国である西側諸国方面で探すように依頼した。

 

 そして俺は『太陽が国を見捨てて、姿を隠す』原因を探し始めた。書物を読み、街に降りて民に話を聞き、官吏達にも意見を求める。しかし何も分からない。それどころか、どうやらその占いの結果を国中で吹聴している者がいるらしい。民の間には不安感が広がって、せっかく反乱も収まって落ち着きを取り戻しつつあった国は、再び混乱に陥った。



「……星蓮。俺はどうすれば良かったのだろうな」


 あえて星蓮が居た時のままにしてある星天宮。住まう者がいなくなり侍女が去った後でも、手隙の宮女に掃除だけはさせていたので、いつ星蓮が戻ってきても問題無い。俯いてしまいそうになった時はここに通うのが習慣となっていた。

 窓を開け放って空を見上げると、俺の鱗と同じ青藍が広がっていて、星が瞬いている。つい「綺麗だな」と口走ってしまうが、隣で可愛らしい声で同意してくれた星蓮は、居ない。俺は乾いた笑い声を漏らすことしかできず、室内に戻った俺は星蓮が残してくれた天文時計を眺めた。

 星蓮の代わりにずっと俺に天体の知識を教え続けてくれる、まさに彼女の分身のような時計。中で回る歯車の音を星蓮の心臓の音と誤認してしまいそうになるくらいに、俺は精神的に追い詰められていた。

 ただ茫然とその文字盤を眺めていた俺だったが、ふとその中の月と太陽の位置を示す図が気になった。

 その図の中心に配置された、この惑星と思われる球。その周囲を太陽と月を表す球が回るように出来ているが……

 

「この調子だと、もうすぐ太陽と月とこの惑星が綺麗に直線で結べるようになるのだな。いや……待て。月が太陽を隠すように並ぶことなど、今までにあったか?」


 星蓮ならばきっと、そんな疑問にも嬉々として答えてくれたのだろう。しかし目の前にあるのはただの機械。俺の疑問に答えてくれることはない。


『私が大好きな天体のお話を一緒にしてくださる限り、私は明昊様と共に生きると誓います』


 あの約束を反故にしなければ、星蓮は今でも隣に居てくれただろうか?

 契約書も無いただの口約束を小指を絡めて交わした、幸せだったはずのあの日に帰りたい。

 そんな後ろ向きな事を考え、俺は再び夜空を見上げた。あれ程綺麗だったはずの星空は、ただの真っ黒な暗闇にしか見えなかった。



 そしてその一月後。煌龍帝国の建国1150年を祝う式典の最中に、俺はその疑問の答えを知る。

 急にざわつき始めた周囲の声に導かれるようにして、見上げた空。

 そこに浮かぶ太陽は、まるで月のように欠け、翳り始めていた。まさに『太陽が国を見捨てて、姿を隠す』という言葉通りの光景だ。


「……そうか、今日が終わりの日だったのか。せめて、最後に……一目でもいいから、星蓮に会いたかった」


 俺はそれだけを呟いて、視線を下げる。

 もう前を向いて進む気力は無かった。

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