日食1

私はおおよそ三年半ぶりに煌龍帝国の地を踏んだ。

建国1150年という国の長い歴史を祝う誕煌祭。帝都も煌びやかな装飾に包まれて、市で取り扱う品物もお祝いムードとなっている。


 そんな中私は外套を目深に被りながら、煌龍殿を目指していた。

 見た目が目立つ私は、絶対に姿を見られるわけにはいかない。そもそもが名の知れ渡った商人であり、巷を騒がせた星天妃の生家として有名なお父様と行動を共にすると目立ってしまうので、帝都に入った時に別行動となった。


「星蓮。先に言っておくが、私は明日からまた旅に出る。しばらく部下に任せっぱなしで、帝都に留まる期間が長かったからね」


 別れる直前にお父様は今後の予定を教えてくれた。……煌龍帝国滅亡の危機だというのに、お父様の頭の中は商売一色だった。


「別に良いですけど、こんな状況だというのに、もう旅に出るのですか?」

「星蓮が帰って来たから、安心して離れられるよ。陛下に何かあればせめて私が味方しようと思い、極力帝都に留まるようにしていたが……もう心配いらないだろう?」


 薄情だと思ったが、どうやら私が居ない間は気にかけてくれていたようだ。素直に礼を言うと「自慢の義理の息子だからね。……実年齢は大差無いのだが」と、いつも通りの様子で、何でも無いことのように答える。『自慢の』という響きが嬉しくて、私はお父様と別れてからもそれを思い出しては口元を緩ませた。胸の付近に手を当てて、衣の下に隠し持っている簪の感触を確かめる。


 そうやってしていたのが油断につながったのだろうか?

 急ぎ歩く私は後ろから腕を掴まれた。


「──星蓮ちゃん?」


 その声色には聞き覚えがあり、私は血の気が引く思いで振り返る。随分と高い位置に思った通りの顔があって、私は彼の名を紡いだ。


「……虎鉄さん」


 私のストーカーをしていて、龍の姿をした明昊様に払い飛ばされて大怪我を負ったはずの彼。すっかりその存在も忘れていたが、姿を目の前にすれば当然思いだす。

 彼の相手をしている暇は無い。それどころか、今回は危険な目に遭って明昊様に助けを求めるわけにはいかない。そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか、彼は小声で「違う、違うから! 何もしないよ」と繰り返す。


「ごめんなさい……先を急いでいるの」

「頼む。龍皇帝陛下を助けてくれ」

「え?」


 まさかの人物から予想外の言葉が飛び出してきて、私は言葉を失った。


(虎徹さんにとって明昊様は、私を掻っ攫った上自分に大怪我を負わせた憎き相手じゃないの……?)

 

「今日の式典で、陛下の命が狙われるって噂がある。頼むから守ってやってくれ」

「……どうして虎徹さんが?」


 それは当然の疑問だろう。なのに彼は訳がわからないといった風に首を傾げて、数秒後に「あぁ!」と声を上げた。


「確かに俺は星蓮ちゃんが好きだった。後宮の妃になった後でも街に降りてきたと聞けば姿を盗み見に行ったけど……星蓮ちゃんは幸せそうだった。ずっとその笑顔が続けばいいと思ったし……陛下は恋敵であったはずの俺に後日謝罪しに来て、わざわざ鱗を剥いで治療してくれた。しかも今でも年に一回は訪ねてきて、状態に変わりがないかを聞いてくれる……出来た人だよ。俺の勝ち目は皆無だ」


 ……きっと、私が自らを責めないように考慮してくれたのだろう。

 やっぱり明昊様は私に甘く、優しかった。


「星蓮ちゃんは事情があって陛下の前から姿を消したんだろうが……頼む。陛下は多くの人を粛清して恐れられて、命狙われても当然といった世論になっているが。……俺は、どこまでも星蓮ちゃんを想い行動した陛下が、ただ好きな人を愛した男でしかなくて結構好きだったんだ」


 実家である蘇家の人物以外の口から、明昊様に対する「好き」を聞いたのは初めてだった。まさか虎徹さんから聞くことになるなんて夢にも思わなかったが。それでも明昊様が良いと言ってくれる民はやっぱり居るのだと、彼を励ました時の事を思い出して、緊張感を少しだけ解いた。そして私はその明昊様を助けるために先を急いでいる。彼には感謝を伝え、式典が行われているはずの煌龍殿への道を走った。




(とりあえず煌龍殿の手前まではきたけど……)


 煌龍殿の手前にある朱雀門。この先は警備が厳しいようで、長柄の槍を持った警備の兵が大勢出入りしており、ひとまず私は門近くの大きな石碑の裏に姿を隠した。城の正面に位置する朱雀門は元々警備が厳しいが、その警備の数は普段以上であった。

 

(……ここまで警戒しているのなら、明昊様の命を狙おうとしても難しいのではないかしら?)


 そもそも明昊様自身が慎重で、毒を警戒して口にする物も非常に選別するような人だ。心配のしすぎではないかと考えてしまったが……何かあってからでは遅い。私は明昊様からいただいた簪と一緒に手巾に包んで持ってきた……輝天様の龍玉がついたペンダントを取り出した。そしてそれを首から下げて自身の体を透明化し、姿を隠す。念の為にと持たされていたが、ずっと使うことのなかった輝天様の龍玉。何年経ってもその効果は変わらなかった。


(ごめんなさい輝天様。龍玉をこんな形で使ってしまって……!)


 それでもきっと「兄上第一」だった輝天様なら……明昊様を心配してやったことだといえば、最終許してくれる気はする。そんなことを思いながらこっそりと音を立てないように石碑の裏から出て、朱雀門を潜った瞬間だった。


「おい!」


 警備の兵が声を上げたので、見つかってしまったのかと肩が跳ねた。しかし警備の兵達は天を仰ぎ、心配そうな表情をしている。私も彼らの視線に釣られるようにして、空を見上げた。


 (何……? 空に何かあるの……──え!?)


 皆の視線の先にあったのは、まるで月のように大きく西側が欠けた太陽だった。

 

「……日食?」


 思わず口をついて言葉が出てしまった。慌てて周囲を見渡して、兵に見つかっていないことを確認する。幸い姿が透明なのと、超常的な現状に皆意識を奪われており、私の声は聞こえなかったようだ。

 この世界では超常的な現状であっても、私は転生前の知識があるおかげで、これが何なのか説明出来る。実際に見るのは初めてだが、これは太陽と地球と月が一直線になることによっておこる日食だ。月が太陽を隠してしまい、まるで太陽が欠けていくように見える。

 その様子は、占い師たちが予言したという『太陽が国を見捨てる』様子と一致すると思った。それによくよく思い出せば、かつて玉英妃が月見の宴で水晶占いを披露した時も、闇が訪れるといった内容を話していた。

 太陽が欠けたせいで鉛色と化した空は、まるで皆の心模様を表しているかのようだ。


(もしかして、太陽が姿を隠したせいで、明昊様が龍帝の座から追われるとか?)


 私の脳内には、そうやって明昊様が責任を取る形で追い詰められる光景がありありと浮かぶ。


(助けないと。私が……明昊様を助けてあげなきゃ)

 

明昊様に責任が無いと説明してあげられるのは、私だけだ。

 私は煌龍殿の方に向かって走り出した。

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