一緒に前を向いて歩きたい

 私は輝天様によって、煌龍帝国よりはるか西側の国へと逃がされた。帝都から馬でおおよそ一ヶ月ほど掛かった旅路は、私の記憶上初めての長旅。慣れない旅路の辛さも、明昊様が置かれてきた今までの境遇を思えばなんともない。


 私の容姿が目立つことのない、金の髪の人間が多い土地。文字も文化も風習も違うその国の、森の中にある小さな小屋が私の家となった。

幸い……言語は、お父様が「いつの日か役に立つかもしれないから」と教えてくれていたお母様の国の言葉だった。

 

「セイレン! 今日はスープがあるよ。昨日妻が焼いたパンもあるけど要るかい?」

「スミスさんのお料理は美味しいから嬉しいわ、ありがとう!」

 

 私が暮らす小屋のすぐ隣には、もう一軒小屋がある。そこに住んでいる中年のスミス夫妻は……輝天様に雇われた、私の世話役兼見張り役らしい。しかし見張り役であったとしても、隣人は隣人。何かと私を気にかけてくれるスミス夫妻と仲良くなるのに時間は掛からなかったし、生活様式から習慣まで分からない事は何でも教えてくれた。初めは戸惑った家事も、慣れれば何ということはない。


「本当に楽な仕事だよ。だってセイレンは逃げる気配すらないから、隣人として一緒に暮らすだけでいい。それにお姫様だった割には粗末な生活にも慣れているようだし」

「あんた、セイレンはお姫様じゃなくてお妃様だよ。初めに説明されただろう?」

「そうだったかな? まぁ細かい所はどうでもいいじゃないか。今晩もワインでも飲みながら皆で星を見よう」


 ……何より嬉しかったのは、スミス夫妻は星見の楽しさを理解してくれる人達だったことだ。私は感動したが、この国では夜空を見上げながらそれを肴に酒を飲むのがごく普通のことらしい。

 きっと輝天様は、そこまで考えてこの土地を私の住処とし、彼らスミス夫妻を隣人兼見張りとして選んでくれたのだろう。

 それは彼の優しさだったのか。それとも明昊様に私の安全を担保すると言ってしまったが故なのか。その答えを私が知ることはもうないだろうが……せめてこの場所で、悔いのないように生きたい。生きてさえいれば、ここからでも明昊様の活躍を星に祈ることはできる。



 そんな生活を三年半ほど送った、とある春の日だった。コンコンと、小屋の玄関ドアをノックする音が響いた。

 この国の生活様式にもすっかり慣れたので、もう引き戸の要領でドアを横に引いてしまうこともない。私は慣れた手つきで鍵を開けて、ドアを開けた。

 

「どうしたのスミスさ──」

 

 隣人であるスミス夫妻以外と交流は禁じられており、そのためにこの小屋は森の奥にある。だからこそ、夫妻のどちらかが訪ねてきたのだろうと疑いもしなかったのだが。私の目の前に現れた人物は、私が全く予想していなかった人だった。


「お父様……」

「久しぶりだね、星蓮。忘れられていなかったようで安心したよ。それにしても、天女は随分と質素な小屋に住んでいるのだね?」

「え……どうしてお父様が?」


 そう口にして、ハッとする。隣に住むスミス夫妻は、私の見張り役だ。彼らに見つかってしまえば、お父様がどのような仕打ちを受けるか分からない。


「お父様逃げてください! 私──」

「あぁ、お隣に住む見張り役の夫妻を気にしているのかな? 大丈夫だよ。基本的に金で雇われている者は、金を積めばどうにでもなるんだ」

「……そう、なのですか?」

「大丈夫。星蓮は、私が誰だと思っているんだい? 世界を股にかける、貿易商だよ? 交渉術はお手のものさ」


 貿易商であるお父様と会えるのは、元々年に一回といった低頻度。その為久しぶりに会ったという感じはあまり無い。

 だから私には、お父様がいつも通りの表情で微笑んでいるように見える。いつも通りの表情がかえって気まずくて、私は顔を下げた。


「さぁ星蓮、煌龍帝国へ帰ろう」

「でも私……もうあの国へは帰らないと、輝天様にお約束してしまったの」

「約束? そんなもの、また交渉して契約をやり直せばいいだけのこと。……失敗も糧にして、次こそ最善の一手を。陛下は星蓮が居ない間も、そうやって前を向き続けていたよ。なのに私の娘である星蓮は、下を向いたままかい? 義理の息子の方が優秀だなぁこれは」


 懐かしい名前を聞いて、私はパッと顔を上げた。すると目の前に、青藍の夜空のような色をした龍玉のついたペンダントが掲げられていた。


「陛下が作ってくださったんだ。『無事星蓮の元へ辿り着きますように』っていう願いが込められた龍玉。おかげで天まで迷わずに来られたが、商品を仕入れて帰ろうと思ったのに特に目ぼしい物が無くて困ったなぁ」 

「……ごめんなさい、着いた先が天では無くって」


 嫌味だと気がついた私は、少しぶっきらぼうに謝った。

 

「いいんだよ。陛下が喉から手が出るほどにお求めになっている、夜空に輝く星のような煌めきを持った異国の天女を仕入れて帰るからね」


 お父様はそれを懐に仕舞って、代わりに見覚えある龍の簪を取り出す。──明昊様の龍玉がついた、あの簪だった。


「帰ろう。陛下は今でもずっと星蓮を待っているよ」


 私はスミス夫妻に別れを告げてから、お父様と一緒に馬で煌龍帝国を目指した。

 スミス夫妻は、どうやら本当にお父様が買収したらしく、にこやかに私を見送ってくれた。一体いくら掛かったのか聞いたが「陛下に前金を頂いているから、蘇家に損失は一切無いよ」と明細は伏せられた。……明昊様が私の占い一回に大枚の金貨を押し付けてこようとした件を考えれば、その金額は恐ろしくて聞けやしない。


「お父様、私が煌龍帝国を旅立ってからの明昊様の様子を教えてくれませんか?」

「いいよ。うーん、でもどこから話せばいいかなぁ……」


 私が声をかけると、お父様は馬の歩く速さを調整して、私が乗る馬と並列に並ぶ。そして私が知らない明昊様の様子を語りだした。


「星蓮は天女であり天に帰ったのだと、輝天様が証言した。元々人望の厚い輝天様の言葉であったがゆえ、皆疑問を持ちながらも、受け入れたよ。次に陛下は、自らが撤回したはずの『季節は決まった星座を目安にして、自動的に巡るようになった』という話を、事実であると認め再度広めようとした。つまり第一手として、星蓮を守りたいが故に尚書省の官吏たちの言いなりになっていたのを辞めたんだよ」

「……それって、余計に混乱を招いたのでは?」

「そうだね、おかげで更なる求心力の低下を招いた陛下は、何度も民に反乱を起こされている。でもそれを輝天様が『龍皇帝陛下の話は事実である』と何度も庇った」

 

 容易にその光景が想像できる。きっと皆、輝天様の言葉なら信じたのだろう。


「そのせいで出来上がってしまった逸話がこれだ。『陛下は星見が趣味の星天妃の気を引こうとして、星座と季節を結びつけた。誰とでも仲良くなる妃に嫉妬してそれを反故にしようとしたら、ついに星天妃が愛想を尽かして天に帰ってしまった。愛する星天妃を地上に呼び戻すためなら、陛下は手段を選ばない』というものでな?」

「んんッ……そ、それはちょっと……」


 深刻な話だったはずのに、急にただの漫才のようなエピソードを伝えられ、動揺から唾でむせるかと思った。


「これは星蓮が地道に溺愛エピソードを撒き散らしていたせいでもある。心配しなくても、陛下の印象を良くするのに一役買っていたから。安心しなさい」

「でもお父様? それが私が命狙われるきっかけとなり、明昊様が尚書省の官吏たちの言いなりになる理由となり。……明昊様を傷つけるきっかけになったのですよ」


 私はこの三年半の間、ずっと後悔していた。自らの振る舞いで、どれだけ明昊様を心配させ、どれだけ迷惑をかけてしまったのだろうと。彼がどれだけ裏から手を回して私を守ってくれていたのだろうかと。

 だから結果を伝えられるわけでは無いのに、何度も明昊様のことを占って。占いの結果通り『明昊様が最後には報われて、誰かと幸せになる』未来を祈り願った。私には彼の隣に戻る資格は無い。

 

「そうだね、星蓮の言う通りだよ。でも明昊様は星蓮が戻ってくると信じて、前を向き続けた。その成果を聞きたいかい?」

「……聞きたいです」

「皇太后派の弾圧、粛清、更迭。おかげで殆どの尚書省の人間が入れ替わり、皇太后自身も後宮を追いやられ、帝都から離れた。もっと言うなら、後宮自体が解体されて妃は星蓮の名前だけを残して誰一人として居なくなった」

「え? 昔から命を狙われ続けたがゆえ、下手に目立つことをすれば滅多刺しにされるからと、やり返しもせずに耐えていた明昊様が? そのような……派手なことを?」


 流石に冗談だろうと思ったが、お父様の表情を見る限りそれは冗談ではないらしい。クツクツと喉の奥で笑うようにしているお父様は、なんとも楽しげだった。


「私は外野から見ているだけだったが、実に面白かったよ。長年の鬱憤をこれでもかと晴らしているようで、こちらまで胸が空く思いだった」

「お父様、詳細を教えてください!」

「そうだね。でもまだまだ旅路は長いから、これについてはゆっくり話すことにするよ。それよりも私がわざわざ星蓮を迎えに来たのには理由があってね? 帝都に暮らす占い師や算命局の人間が口を揃えたように、煌龍帝国の滅亡を警告するようになった。太陽がこの国を見捨てるのだそうだよ。陛下はその結果を気に病んでおり、更に『滅亡』と言うからには今後陛下の命が危ない」

「そんな……! 私はずっと明昊様を占ってきましたが、命が危ないだなんて結果にはなっていません!」


 私の叫びを聞いたお父様は、ニヤリと笑みを浮かべる。まるで私のその言葉を待っていたかのように。


「やっぱり星蓮はずっと陛下の事を気にかけて、占ってあげていたのか。ならば、以前の星蓮ならその結果を彼に伝えに行ってあげるだろう? そして前を向く手助けをしてあげるはずだ。……そろそろ顔を上げる時間だよ」


 黙って私は頷いた。

 

 私は変わらず明昊様が好き。

 明昊様が前を向く手助けをしたい。彼に危機が迫っているのなら助けてあげたい。


 今度こそ。私は彼に守られるだけではなくて……一緒に前を向いて歩きたい。


「お父様、迎えに来てくださってありがとうございます。……私、明昊様を助けたい」 

「星蓮が幸せになってくれるなら、お礼なんて要らないよ。ただ……陛下は、星蓮の残した天文時計を『星蓮』と名付けて可愛がる程には弱っているからね。しっかりと助けて差し上げなさい」

「んんッ……先ほどから、真剣な会話の中に時々とんでもないエピソード挟んでくるの、辞めてください! そんな明昊様のお姿、想像したくなかったわ」

「そう言われても、これは民の間でも有名な溺愛話なのだがなぁ……」

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