私が選ぶのは1

 私は、皆が憧れ恋をするという輝天様の番にはなりたくなかった。番は、あの世への橋を一緒に渡りたいとまで願う二人のためにある、救い。そのように考えていた私は、輝天様と番になる気などない。


「私は明昊様が嫌いになったのです。だからもう彼を目にする事がない場所に行きたいの。そして明昊様には『天女は天に帰った』と伝えて欲しいのです」


 明昊様は何かと私を『天女』と表現した。私が目指すのは弟に奪われた妃でも、自害した妃でもなく『天に帰った妃』だ。……つまり、この後宮から逃げ、もう戻ってこないという意だ。

 

「うわぁ、それって自分が綺麗っていう自意識過剰? 星蓮はそういう分類の女ではないと思っていたのに」

「違います。って、輝天様って普段は愛想良くしているだけで、素は口が悪かったりしませんか?」

「僕のことはいいから、早く続きを話してよ。……おかしいな、星蓮と話していると簡単に面の皮が剥がれてしまう」

 

 輝天様は、時間がないからと説明を急かす。早く行動しなければ明昊様に見つかってしまうので、私は話題を元に戻した。

 

「明昊様も私が生きて安全な場所にいると分かれば安心されるでしょう。そして手の届かない場所に居る私のことは諦めるはずです。だから輝天様には、私が後宮の外で隠れて住まう『天』の提供をお願いしたいのです。実家である蘇家に頼れば見つかってしまいますから……できれば国外で、私の容姿が紛れる土地がいいです」

 

 急に閃いたにしては上出来な設定だろう。

 

「ふぅん、だからあえて行き先は『天』なんだね? 辛いから、もう見たくない……か。まぁ星蓮のその気持ちも分かるよ」

「二度とこの煌龍帝国には足を踏み入れないと約束しますから……お願いします。私はもう明昊様にお会いしたくないの」


 私は輝天様に必死でお願いする。

 本当は明昊様の側に居たかった。でも輝天様の番にならなければそれが叶わないのであれば、私はそれを選ばない。

 ……きっと番になれば、輝天様は輝天様なりに私のことを大切にはしてくれるのだろうが。私は、既に明昊様のせいでありもしない操を、彼に立て続けたいのだ。

 命さえあれば、遠くの空の下で、明昊様の幸せを祈り続けることくらいはできる。

 

「星蓮って、儚げな見た目なくせに勝負師だよね。……分かったよ。占い師として駒になりそうな星蓮を手放すのは惜しいと思っていたけど、仕方がないか」


 

 輝天様は一旦自分の暮らす宮へ私を連れて帰り、匿った。彼の部屋の片隅で「とりあえずしばらくそこで寝泊まりしてね。掛布くらいは貸してあげるから」なんて言われて、目を点にしてしまった私。

 まるで飼い犬のような扱いだが、それでも彼の番になったり殺されたりするよりはよっぽど良い。輝天様とて、私を自由に後宮の外へと逃し匿うのはタイミングを見る必要があるのだろう。そんなこんなでこの部屋の隅で寝泊まりしてもう二日目になる。

 そしてこの宮の名前は月華宮。皇太后の名前をとった宮は、皇太后本人とその子である輝天が暮らす宮である。後宮の中で唯一明昊様が立ち入る権限が無く、彼に見つかる危険性は低い。

 しかし皇太后は、ずっと明昊様の命を狙っていた張本人。そして恐らく、私の命も狙っていた人。そんな彼女のお膝元に潜んで大丈夫なのだろうか。

 周囲には輝天様が『星天妃は天女で、空に帰ってしまった』と説明し、輝天様の人望からそれが受け入れられ皆に信じられていると聞いたが。……誰かに見つかってしまえば、台無しになる。

 

「……この宮の中ほど危ない場所はないと思うのですが」

「そう? 灯台下暗しって言うし、母上は僕を子供扱いしないから、この部屋を見にくることもない。実の息子である僕を疑いもしない。一番安全だよ」

 

 意味が良く分からず、私は首を傾げた。

 

「僕ってこんな見た目だけど、二十四歳だよ? 龍神の成人は二十五歳だから未成年だけど、星蓮より五歳も年上のお兄さんだ」

「はぁ……そうですけど、それを言うなら明昊様は私より三十一歳も年上のおじさんに……」

「兄上をおじさん扱いするな。兄上はどこからどう見ても格好良いお兄さんだろう! ……という話をしたいわけではないんだ。とにかく母上はこの部屋には来ないし、兄上はこの宮には入れない。だから、コレをつけておけばより安全だ」

 

 輝天様は私に向かって一つの首飾りを投げた。あまりにも乱雑に投げられたので受け止め損ねそうになってしまったが、なんとかそれを掴む。勾玉のような形をした少し灰色がかかった白乳色の玉に革紐が通してあるごくシンプルなデザインの首飾りだ。

 

「それは僕の鱗から作った龍玉。それを身につけている人間は、他人からの認識が阻害されて、姿が見えなくなる。……あ、僕からは見えるよ? なんたって僕の龍玉だからね。餞別であげるよ」

「そんな便利な物を、よろしいのですか?」

「もちろん。何かあってもそれを使えば即座に姿を隠せるし、潜むのには役に立つでしょ?」

 

 私はその勾玉を目線の高さより少し上に掲げて眺める。

 

「……龍玉とは便利な物ですね。色々な効果があって……」

 

(明昊様から貰った簪についていた龍玉は、持ち主の危機を察知するものだったし……あれ? でもさっき『僕の鱗から作った龍玉』って……?)

 

 私の考えが読めたのか、輝天様が得意げな表情をしてその詳細を教えてくれる。

 

「龍の鱗は願いを叶える秘薬。どのような効能を持たせたいかを考えながら鱗を剥がして、貼り合わせて、龍神自身が削り磨く。そうすることで、願った効能を持った龍玉が出来上がる。簡単に思えるかもしれないけど、鱗剥ぐのは痛いし、磨くのも手間暇かかる。兄上が龍玉を作るのなんて、非常に珍しいんだよ?」


 私の脳裏に浮かんだのは、水銀に侵された私のために一気に何枚もの鱗を剥いでくれた時のことだ。苦痛を伴うなんて知らなかったが……あの時の私は十分にお礼を言えていただろうか? 明昊様の心変わりに気を取られて、碌にお礼も言えなかった気がする。


「それよりも、星蓮。早く占ってくれる?」


 机に向かう私の手元にあるのは、十二宮図。今占っているのは、輝天様の未来だ。

 どうやら輝天様は私がここに滞在している間、私をこき使うつもりのようで。この部屋で寝泊まりしてもう二日目になるが、基本的にずっと私に占いを求めてくる。

 

「占うのは良いのですが、そう手元を凝視されると……慣れたことでも緊張してしまうのですが」


 しかも輝天様は占い結果を会話ではなくて後から見返せるように書面として残して欲しいと求めてきた。書いておかないと忘れてしまうとのことだが……それを真正面から食い入るように見つめられては、やりにくい。


「あぁ、僕のことは気にしないで」

「気になるから言っているのですよ」

「うん。でも僕は星蓮の手元が気になるから見てる」


……龍神は皆、距離感が狂っている人ばかりなのだろうか? 私はそんなことを考えながら深い息を吐いて、再び筆を取る。しかし筆が進まない。

 

 占いの結果を鑑みると。困ったことに、輝天様も大切なもののためなら他は切り捨てられる人のようだ。ただ明昊様と違うのは、周囲も自分自身も上手に誤魔化して取り繕っていける器用さだ。龍帝として上に立つならば、間違いなく輝天様の方が向いている。

 器用さと、生まれ持った色。それがこの兄弟の明暗を分けたのだと感じる占い結果だった。


(でも輝天様は、明昊様の治世を支えることを望んでいる。……お互いにお互いを支えることを望んでいただなんて、本当に綺麗すぎて怖いほどの兄弟愛ね)


「ちなみに、輝天様の大切な物は何ですか?」

「兄上」

「即答ですか。……明昊様が幸せなら良いということですか?」

「そうだね。兄上は僕のために立派な龍帝になり歴史を繋ぎたいと言ってくれていたから、僕はそれを叶えてあげたいんだ。そのためには……兄上の命を狙う者をどうにかしないとね、母上も含めて」


 その瞳の奥は、相変わらず笑っていない。 

 

「だから僕の未来を占って欲しいと言ったんだよ。……星蓮、また手が止まっているけど?」 

「……輝天様って、ずっとこの宮に引きこもりだったのですか?」


 筆が進まない私はそれを誤魔化すために輝天様に話しかける。この二日間、彼はずっと私の側から離れようとしない。……私が明昊様の元へ向かわないように見張りの意味もあるのかもしれないが、政にも参加し始めたという彼が、部屋にこもりっきりなのが気になった。

 

「違うよ。今は『星蓮が天に帰るのを引き止められなかった。兄上に合わせる顔がない』というわけで、謹慎中」

「……演技がお上手ですね」

「星蓮ほどではないよ?」

「え?」

「二日間ずっと見ていればわかるよ。星蓮はまずいくつかの占いを使い分けているね? どこから仕入れたのか分からぬ知識を利用したものや経験に基づくもの。あとは……その丸い図を使うのは、西側諸国由来かな? 他にも、良く分からない自信からくる謎の励まし」

 

(……今まで誰にも見破られたことはなかったのに)

 

 明昊様が皇帝として劣っていたとは思っていないが。この輝天様はそれを遥かに上回る人なのかもしれない。少なくとも観察眼においては明昊様を遥かに凌ぐ。

 

「兄上は信じてくれたのにって顔だね。……ほら、兄上はあの容姿でこーんな目付きで人を睨むから誤解されがちだけど、情深い男だから。だからさぁ、他の妃の元に通っても星蓮は変わらず自分を愛してくれるなんて思っちゃうんだよねぇ。人間は龍神より遥かに情が移ろいやすいものなのに」


 輝天様が目尻を吊るようにして持ち上げ目を細くして、明昊様の真似をする。それがおかしくて私が少し笑い声を漏らすと「似てた?」なんて言いながら、彼も笑みを溢した。

 

「兄上は今まで『誰も信じない』を選んで生き延びてきた。……だからこそ、星蓮は邪魔なんだよ。星蓮に手渡されたものなら、兄上は毒の色をしていても口にするだろうから」

「私は明昊様に毒なんて渡しません」

「そうじゃないよ。それを利用しようとする奴がいるってこと。実際星蓮は毒入りの丹薬を口にして、それを兄上が助けたんだろう? いくら兄上が気を張っていても、警戒心の薄かった星蓮を経由して毒を仕込む方法はいくらでもあったはずだ」

 

(……明昊様が気をつけてくれていたから事件にならなかっただけで、もしかすると私経由で毒を渡してしまっていたかもしれない)


 そう考えるとゾッと肝が冷えた。

 進まない筆を置いて、私は自分を抱きしめるように、自らの腕を体に巻き付ける。

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