……嫌い。

 初めて背中を押して、励ましてくれた女性。半ば無理やり連れ去ったにも関わらず、小指を絡めて黒き龍と共に生きることを約束してくれた女性。

 そんな星蓮だったからこそ、俺は大切にしたかった。だからこそ距離を取って、周囲にその愛が紛い物だったと思わせたかったし、そうすればそのうち周囲も星蓮を狙うのは辞めると思った。そして、愛した相手が相手が前向きな星蓮だったからこそ、側にいなくとも愛は伝わっていると思い込んでいた。占いが得意な星蓮は、俺達が共に歩む未来図が見えているのだと思っていた。

 

 今、俺の目の前にいるのは、複数の女性達。そのうちの半分は星蓮の侍女。もう半分は玉英妃本人とその侍女だった。

 

「玉英妃が星蓮様を池に突き落としたのです!」

「違うわ! 向こうが勝手に飛び込んだのよ。私は悪くないわ」

 

 その主張は真っ向から対立しているが、俺には彼女達の主張など、どうでもよかった。

 

(……簪だけ、残されていただなんて)

 

 俺の鱗を重ね合わせ磨き作られた龍玉は、その持ち主の危機を俺に伝える。よって星蓮の危機を察知してすぐさま駆けつけたが、その時には既に星蓮の姿はなく……冷たい水底に簪だけが落ちていた。

 龍の姿にならねば底まで潜れないような池の底。凍りつくような心地で池の中を捜索したが、星蓮の姿は無かった。

 動かぬ人形となった星蓮を見る羽目にならずに良かったと思うと同時に、では彼女はどこへ消えたのかという疑問が浮かぶ。仕組まれたものとは考えにくい。いつもであれば怒りで怒鳴り散らしているかもしれないが……今回ばかりは己の不出来さを呪うばかりで、怒りは内に向いていた。

 

『最後にお話する機会を与えていただいてありがとうございました』

 

 頭の中で星蓮の最後の姿が浮かぶ。……星蓮は、いつから俺の元を去ると決めていたのだろう。

 

(今思えば、あれは別れの言葉だった。……あの時に懸念事項を放置せず、もっと深く追求しておけば)

 

「お願いです! 星蓮様を助けてあげてください。きっとこの冷たい池の中のどこかにいらっしゃるわ。せめて最後は星のよく見える星天宮に連れて帰ってあげたい……」

 

 すっかり星蓮が亡くなっているという前提で泣いて話す名凛。彼女の言葉を受けてもう一度龍の姿と成り池の中をさらうが、やはり星蓮の姿は無かった。

 

「この池は深部で他の池と繋がっている。しかし人の体でそこを行き来するのは不可能だ。……よって、星蓮はここから消え去ったことになる」

「はは……何、あの子。本当に水晶の予言通り!! 明昊様、やっぱり私の占いは当たったでしょう? 折角『大切なものを失う』と忠告してあげていたのに、言うことを聞かないから!」

 

 何やら興奮した様子で叫ぶ玉英妃であったが、俺には彼女を構うだけの心の余裕はなかった。星蓮を探すために連れてきた宦官の一人に、玉英妃を捉え牢に入れるように命じる。星蓮を守るために一緒に居ただけの妃に、もう用はない。誰であろうが、星蓮に加害の意思を持つ者は許さない。

 玉英妃の情緒不安定な叫び声に耳を塞ぎたいような気持ちになりながら、俺は簪を握りしめた。


「ただでさえ明昊様のお渡りが無くなって、寂しそうだったのに。こんなことになるなら、もっと星蓮様の好きな星座の話を聞いてあげるべきだった……! 『私は愛されなくても大丈夫よ』って気丈に振る舞っていた星蓮様に、それでも私は星蓮様が大好きですって……もっと言ってあげればよかった」

 

 涙してその場に崩れる名凛の言葉が、傷を抉る刃物のようだった。

 俺は星蓮を守りたくて、玉英妃ら他の占い師達の忠告を信じ、最終官吏達の言いなりになった。星蓮に向いてしまった加害の矛先を他所に向けようと、愛してもいない別の妃達の元へ通い、ひたすら書類仕事をして夜の時間を潰した。それが招いた結論が、星蓮を大いに勘違いさせた上での失踪であったなんて……皮肉もいいところだ。


 ……星蓮は、いつから俺が心変わりしたと思っていたのだろう。


 そういえば星蓮が毒で倒れた時。冗談で番にしてほしいと言ってきた事があった。

 ……そこで番にしていれば、星蓮は俺の隣で今も笑っていてくれただろうか?

 

 『占いは答えではなくて、前を向いて幸せを掴みに行くための手段。どうか明昊様のお心のままに、正しいと思う方へ歩んでください』


 思考回路がどんどん後ろ向きになっていく。しかし星蓮が最後に残してくれた言葉が、俺に前を向いて進めと告げる。


「……待てよ。輝天なら、池の底を通って星蓮を引き上げられる」


 俺は希望を信じて、底で繋がっている他の池を目指して走り出した。



「──何がおかしいの?」


 片っ端から池を巡り、辿り着いたとある池の側。聞こえてきた声変わり前の少年の声を、俺が聞き間違える訳がない。そのすぐ側にいる金の色を持った彼女を俺が見間違える訳がない。


 水に濡れたと思われる薄桃色の披帛や衫が周囲に落とされており、地面に蹲った二人からは、水が滴っている。


 すぐに声をかけようとしたが雰囲気に違和感を感じ……様子を伺うために思わず木陰に身を潜める。そんな俺を襲ったのは、星蓮からの拒絶の言葉だった。


「……嫌い。私、明昊様なんて嫌いなの。私を愛してくれているように見せかけて、そんな言葉は一言も言ってくださらなかった」


 頭を殴られたかのような衝撃と共に、続く輝天の言葉が俺にとどめを刺した。

 

「──それで、星蓮は何を選ぶの? 僕の番になってくれるの?」

 

 ずっと危惧していたことが、現実になってしまった。

 ずっと星蓮だけを想ってきたのに、それは……伝わっていなかった。


 自業自得とも言える結果に、俺は二人の前に姿を見せる勇気は無く。

 星蓮の口からこれ以上拒絶の言葉を聞きたくなくて、俺はその場から逃げるようにして立ち去ってしまった。

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