何を選ぶの?
白銀の龍はパァッと眩い光を放って、少年の姿へと変化する。水の滴る白銀の長い髪に、金の瞳の美少年。その姿は間違いなく先ほど明昊様と一緒にいた輝天様だった。輝天様は茂みの中から私を連れ出して、涙を溢しながら咳き込みうずくまる私の背中を軽く叩きつつ、濡れた薄桃色の披帛や衫を脱がせてくれた。
「ほら、脱げるだけ脱いで。こんな冬前の時期に濡れたままでいたら風邪をひいてしまう」
「……輝天様、ありがとうございます。このご恩をどうやってお返しすればよろしいのでしょうか」
「じゃあ兄上より、僕を好きになってよ」
脱いだ私の衣を絞りつつ喋る彼の口からは、とんでもないセリフが飛び出してきて。それは私の涙をぴたりと止めた。
「それは……ごめんなさい。私にとって明昊様は、一等特別なお方。それと同じくらい輝天様をお慕いすることはできません」
「僕は兄上の弟なのに? 龍神であれば誰でもいいわけじゃないの?」
頷いた私を見て、輝天様は目を丸くした。
「へぇ……兄上が執着したのも納得だ。これは僕が母上の命令で、月見の宴にしたいと我儘を言わなければ、絶対に宮から出さなかったのだろうね」
宴と聞いて、玉英妃に突き飛ばされたことを思い出して辺りを見渡すが、周囲に人影はない。それどころか、周りの風景も、落ちたはずの池とは異なっている。
「あぁ、この池は深い場所を通じて幾つかの別の池と繋がっているんだ」
どうやら輝天様はこちら側の池から潜り、水中を通って私を助けてくれたらしい。しかし「それにこうした方が好都合だから」と、良く分からない言葉を口走る。
「好都合……?」
「うん。今頃向こうは大騒ぎだろうなぁ。だって水底に簪一つ残して星天妃の姿が消え去ったのだから」
ハッとして乱れてしまった髪を確認すれば、明昊様がくれた簪が無かった。水中で光っているところを見たような気がするので、きっとあの池の中に落としてしまったのだろう。
「大変……早く戻らなくちゃ」
慌てて立ちあがろうとした私を、輝天様は無邪気な子供の顔を貼り付けて引き留める。
「ねぇ星蓮。僕、空に興味があるのだけど教えてくれないかな?」
その表情が憂いを帯びた笑みを浮かべることの多い明昊様と対照的で印象深く、私は彼からの呼ばれ方が変わったことも気に留めなかった。
「空、ですか?」
「そう。月はどうやって満ちたり欠けたりするの? それなのに太陽が欠けないのはどうして? 星はなぜ夜だけ光るの?」
怒涛のように輝天の口から質問が飛び出してくる。いつもであれば喜んでそれらの質問に答えただろうが……その無邪気な顔が、妙に引っ掛かった。
「えっと……輝天様、ご質問には後で答えますから……」
「ねぇ星蓮、今がいい。今教えて? 僕の所にいて」
「……どうして私を引き留めたがるですか?」
「だって僕、星蓮が好きで」
「違いますよね? だって……輝天様、無邪気に笑っているように見えますが、目の奥が笑っていないんですもの」
それは、憂いを帯びていても目の奥には情を感じた、かつての明昊様とは真逆であった。
「……ははっ! やっぱり星蓮は自分に関することには鈍いくせに、鋭い観察眼を持っているんだね。兄上が入れ込んだのも分かるよ。星蓮の占いって、案外その観察眼に頼ったものだったりして」
私はあえてそれに対する返答を紡がなかった。輝天様の言葉の真意が分からなかったからだ。
「後宮に入った女性は、そこが終の住処となる。龍神に愛された者は寿命が伸びるから、混乱を防ぐ目的だね。だから父上──先代龍帝の妃達ばかりの後宮に、兄上は放り込まれた。不幸を呼ぶ黒き龍の愛なんて要らないだろうと、誰も愛さなかった兄上が唯一愛し、自ら妃にした人。……兄上は星蓮と出会ってから人が変わったよ」
その少女のような顔に、無邪気な笑顔はもう浮かんでいなかった。
「黒き龍の寵愛を受けた妃が国の常識をひっくり返そうとするなんて自殺行為。民に対しては上手くやれても『独裁的で民に興味のない龍帝』という印象を民に植え付けたままにしておきたかった母上や尚書省の官吏たちを敵に回した。危険人物とみなされた君を影から守るのは、兄上でも大変で気が気じゃなかったと思うよ」
無邪気な表情は、徐々に大人びていって。その急激な表情の変化に私は驚き、そして信じられないような気持ちで「守ってくれていたの?」と呟いた。
「当然。兄上が星蓮を守る為にどれだけ予算を割いたと思ってるの。ちなみに、何度も食事に毒が混ぜられていて、星蓮の毒見係はかなりの高頻度で入れ替わっていたのを知ってる?」
私はただ小さく首を横に振る。
「兄上は星蓮を心から愛していたからこそ、君の元へ通うのを辞め心変わりを演じ、最終的に自らの無能さを主張する目的で信念を曲げて尚書省の官吏達の言いなりになった。それで君を自分のものとして側に置いたまま、守り続けられるのなら良いのだと……何よりも、君の命の安全を優先したの、知ってた?」
「……何も、知りませんでした」
「流石兄上だね。他は全て投げうってでも、星蓮だけは必ず守る。……まぁ、その選択は龍帝としては間違っているけれども」
まさか自分が彼の足枷になっていたとは思っていなかった私は言葉を失う。
点と点だった出来事が繋がって線となる。まるで星座を描く時のように物事が繋がっていって……信じたくない真実がその姿を表した。
明昊様は、私を大切なものと定めて、他を全て捨てたのだ。
「だからこそ……兄上を解放してくれないかな? 兄上の治世には邪魔なんだよ、君は」
輝天様は私の顎を掴んで、上を向かせる。少女のような外見に反して、その瞳は明昊様と同じように威圧感を放っており、あの子供っぽい笑顔は何だったのかと思うほどだ。
「残念ながら、兄上が命狙われながら生きてきた原因は僕にもある。僕がいなければ、兄上は黒き龍でも唯一の龍神として崇められたはずだ。兄上は僕の治世を支えるつもりだったようだけど、僕は精一杯兄上を支える。だから邪魔な星蓮を、まず始末したい。その次は母上と官吏達だ」
……美しい兄弟愛。しかしどうにもその意思疎通が上手く出来ていないのではないだろうかという印象もある。
「星蓮は邪魔だけど、兄上が愛した人だから。決して悪いようにはしないよ。僕が、僕の番として愛してあげる。幸い君は面白い人だから、きっと楽しくやっていけるよ。だから兄上の邪魔をしないでくれ」
(そんな簡単に『番』って……確か龍神族は自分の運命の人が本能で分かるのでしょう? その本能に逆らって番を定めるなんて駄目だと思うわ)
「何度僕のせいで命狙われても生き延びた、強い兄上。それでも僕を可愛がってくれた、優しい兄上。この帝国で二人きりの龍神として、たった一人の弟として、僕はそんな兄上の成功を願っているんだ」
何か言わなければと口を開けるが、言葉にならず閉じる。それを繰り返していると、輝天は「フフッ、魚みたい」と笑った。その威圧感が減ったその瞬間に私はやっと言葉を発することができた。
「どうして、番に……?」
「他人の番には手を出せないからね。だから僕が星蓮を番にしてしまえば兄上は諦めるしか無くなるけど、親族として星蓮とは繋がったままでいられる。……あぁ、どうしても嫌ならこのまま水に沈んで自害してもらってもいいよ? でもその場合兄上は精神的に打ちのめされるだろうなぁ」
それは、明昊様が大切に守ろうとしていたのものが私だったのだと理解した今なら容易にわかる。
「命狙われるのは日常茶飯事。それを一人で切り抜けてきた兄上だからこそ『番』を選ぶことはないけど……僕は違う。白き龍として皆に愛された僕だからこそ、僕の番は僕同様安全に守られる。兄上の代わりに、君を守ってあげられるよ。その方が兄上だって安心でしょう?」
「輝天様は……人懐っこい善人の皮を被った、ぶっ飛んだブラコンだったというわけですね」
「何それ? 星蓮は聞き慣れない響きの言葉を使うのだね。後で教えてくれる?」
私は必死に頭を働かせて考える。信じられない展開と冷たい風で、濡れてしまった体の温度はどんどん冷えてゆく。
私が彼からの愛情を信じてあげていれば……少しは何か違っただろうか。
「確認したいのですが、輝天様は皇太后の実子であるのに、皇太后派ではないのですか? あと、明昊様は玉英妃を愛しては……いないの?」
「あぁ、玉英妃は実家が母上の親類で、母上が便利に使っている手駒なだけ。得意の水晶占いで兄上の動きを制したかったようだけど、性格に難があるし、兄上の方が彼女から情報を吸っていたんじゃない? あと、僕は皇太后派に見せかけて、情報を兄上に流す役割をしていただけだよ。星蓮の殺害を僕の情報が何度も防いであげたのだから、感謝して欲しいなぁ」
「それは……ありがとうございます。全く気がついておらず、申し訳ございませんでした」
しかしこのままでは、明昊様の命を狙っている皇太后達も、兄のために兄の愛した妃を娶ろうとする輝天様も、明昊様を愛し愛されたが故に彼を傷つける未来しか選べない私も。……揃いも揃って全員が明昊様を傷つけることになる。
明昊様に対し明らかな加害意識がある皇太后らは論外だが。輝天様に関しては、本気でそれが明昊様のためになると思っているのが恐ろしい。
(どうにかしなければ……。どうすれば一番明昊様のためになる?)
明昊様は、当初より私が輝天様に心変わりするのを心配していた。それは単なる弟へのコンプレックスだけではなく、この輝天様の性格をも考慮していたのかもしれない。まさに彼の心配した通り、構図としては輝天様に迫られている現状に、思わず乾いた笑い声が漏れた。
「何がおかしいの?」
明昊様の性格を考えれば、私が輝天様のものになるのを一番嫌がるだろう。私が死ねば、それはそれで自らを責めてしまう。だから私は勝負にでた。
……私は独り身で生き延びなければ。
「……嫌い。私、明昊様なんて嫌いなの。私を愛してくれているように見せかけて、そんな言葉は一言も言ってくださらなかった。私が大切なのだとしても、明昊様が他の妃の元に通う姿なんて見たくなかった! 苦しかった……」
嘘。私はそれでも明昊様が好きだった。だから瞬きの拍子に涙がこぼれ落ちた。
「それなら贈り物なんて要らないから、本当は愛しているのだと一言書いた書簡が欲しかった。少しでいいから一緒に星を見る時間を取ってくれるだけで良かったのに……!」
「……まぁ、その気持ちは分かるよ。兄上のやり方が不器用すぎて、星蓮は辛いだろうなと僕も思ってた。だから僕が代わりに愛して、守ってあげるよって言っているのだけど」
あまりに自然に出てきた涙は、説得力を増す。やはり輝天様は明昊様と同じで根は非常に優しいようであった。私よりも華奢な体で、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「──それで、星蓮は何を選ぶの? 僕の番になってくれる?」
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