用済み5
「星天妃、続きを教えてください。夫婦となった龍神は空に登り、どうなったのですか?」
「そのあとは龍つがい座となり、一対の龍として仲良く暮らしたそうよ」
誰も星談義に付き合ってくれず退屈していた私は、待機場所で宦官相手に星にまつわる逸話を話していた。ただ頷いて聞いてくれるだけで良かったのだが、予想以上に話が受けたらしい。すっかり話に没頭してしまっている宦官の相手をしながら、私は周囲の様子を観察していた。待機場所では自分の前の順番の妃が何をしているのか比較的間近で見る事ができたのだ。
(しかも、私の前の番がよりにもよって玉英妃……)
玉英妃はお得意の水晶占いを披露しているようだ。その結果を明昊に伝える声が、私の所まで届く。
「──太陽は隠れ、この煌龍帝国には深い闇が訪れます。そして破滅へと導かれる事でしょう」
(え!? ちょっと待って、とんでもない内容を話してる!?)
その内容はギョッとしてしまうような内容で、私は宦官との会話そっちのけで耳を傾けた。
「えー? 僕この国が破滅する話なんて聞きたくないよ」
玉英妃に話しかける、白銀の長い髪の少年。その瞳は明昊と同じ満月の色で、初めて輝天様の姿を見た私は、清らかな少女とも言えるような整った容姿に目を奪われた。
(これは後宮の女性陣が夢中になるのも理解できるわ……)
そして明昊様が自尊心を害されたまま現状に至ってしまったのも理解できる。横に並ぶとまさに陰陽と表現するに相応しい兄弟だった。
「俺は今まで散々算命局と玉英妃の言うことを聞いて、己を律して行動してきたつもりなのだが、まだ足りないと?」
「足りません。このままでは明昊様は大切なものを失う羽目になりますよ。ちなみに輝天様は大丈夫ですわ」
「良かったぁ。でも僕は兄上が悲しい思いをするのは嫌だよ。兄上が幸せになれない未来なんて、僕が捻り潰すからね!」
どうやら輝天様は評判通り他人思いの性格で、兄にも優しいようだ。
(これなら比較されても兄弟仲は良いままなのも、理解できるわ。こんなにいい子な輝天様を憎むなんてできないもの)
「前から申し上げておりますが、私を愛していただけるのであれば対策をお教えしましょう。あ、明昊様でなくていいのです。ぜひ輝天様に!」
玉英妃の水晶に何が映って、彼女に何が見えているのかは、私には知る術もない。しかし寵愛欲しさに彼を脅すようなやり口を使うのは褒められたものではない。そしてそこにまだまだ少年の輝天様を巻き込むべきでもない。同じことを考えているのか、唇を噛み締める明昊様の姿は、私の心にずっしりと重くのしかかった。
(明昊様可哀想……玉英妃のことを想っているのに報われないなんて)
「──玉英妃。申し訳ないが、それだけは出来ない。あと輝天を巻き込むのはやめてくれ」
しかし明昊様の返事は、意表を突くものであった。
(……明昊様は玉英妃の元に通っているのではなかったの? 玉英妃を愛しているのよね?)
「……ッ!」
玉英妃は明昊様にも負けないほどの鋭い視線をこちらに向け、足早に明昊様の前から去る。今の流れでどうして睨まれなければならないのかと、私は首を傾げた。
「星天妃。もしよければ、時間がある時にまた星の話を聞かせてもらえませんか? ……星天妃?」
「あぁごめんなさい。また今度ゆっくりお話しましょうね」
やっと宦官の言葉が耳に入ってきて、私は謝罪した。
私から話を振ったのに最後は集中して話が出来ず申し訳ないことをしてしまった。せっかく見つけた星談義仲間を無碍には出来ないと、彼の手を握って約束する。何の悪気もない行動に宦官が頬を染めた瞬間に、怒気を隠しきれていない声が響いた。
「相変わらずの人たらしだな。……早くこちらに来い、星蓮」
恐怖心で固まってしまった宦官を置いて、私は明昊の前へと歩み出て、頭を下げる。
「わぁ、君が星天妃? 想像以上に綺麗な人だね。兄上が独り占めしたくなる気持ちが良くわかるよ」
「輝天、俺が話をするから黙っていろ。……星蓮、宦官と何の話をしていた? 俺以外の男と随分会話が弾んでいたようだが」
「星の話を少々。私の趣味話に付き合ってくださる方は珍しいので、楽しくて長話になってしまいました」
「……俺が必死に我慢している間に。ここまでくれば、いっそ憎い」
ボソリと明昊様が早口に何かを呟いたが「憎い」と言われたような気がして、私は心に仮面を被せた。
「星占いをとのことでしたが、何を占いましょうか」
「では、この煌龍帝国の未来を占ってくれ」
顔を上げると、明昊様の金の瞳と視線が合う。鋭い視線に混ぜられた怒気の裏に揺れる恐怖心と不安。きっと先ほどの玉英妃へ投げた質問と同じなのであろう。それに気がついた私は眉尻を下げる。
(……そんな顔されると、励まさないわけにはいかないわね)
占いをするだなんて知らなかったので、道具はない。それでも私には彼を励ますことができる。私は両手を夜空に向かって掲げ、口を開いた。
「長い歴史のあるこの煌龍帝国には、深い闇が訪れることもあるでしょう。しかしそれは新時代の幕開け。闇は一時で、明昊様の正しい判断によって、未来は切り開かれます」
「正しい判断……?」
「そうです。ただし、それが正しい判断だったかどうか分かるのは、遠い未来の話。だから自分を信じて、明昊様の心のままに進んでください。否とされた事項も、時が経てば是とされることもあるでしょう。あの時の明昊様は正しかったと、必ず評価されます。それが遥か未来であったとしても」
初めて会った時と同じ。星なんて全く関係のない、ただ彼が欲しいだろう言葉を占いと称して並べる。明昊様が顔を上げて前を向いて進めるのなら、それでいい。
……ただ。大切なもの一つの為に他は全て捨てて、ずっとそれを後悔してしまうようなことは避けて欲しい。
「明昊様がやりたいのは、全てを占いで決めてしまう他人任せな政ですか? それとも何かを守るためにお飾りに徹することにしたのでしょうか」
そんな私の問いかけは、周囲にいた官吏達をどよめかせる。「誰かあの妃を下がらせろ!」なんて声まで聞こえたが、明昊様の隣にいた輝天様が「周りが煩くて聞こえないよ!」と文句を言うと、途端に静かになった。
「俺は……」
言葉に詰まる明昊様に、私は以前と変わらない微笑みを送る。
「ええ、存じ上げてます。弟の治世を支えるためにずっと勉学に励んでこられたのに、先代龍帝が少し早くに崩御されて予定が狂ってしまったのですよね? それでも輝天様が龍帝となる日までは、この国を守りたいのですよね? そんな現状を、明昊様が守りたかった『大切なもの』と天秤にかけた。その結果が今だとおっしゃるのでしょう?」
明昊様の返事はない。ただその満月のような瞳の中に宿る感情は先ほどまでと異なっていた。
「お飾りの龍帝を演じて、大切なものは守れましたか? 占いは答えではなくて、前を向いて幸せを掴みに行くための手段。どうか明昊様のお心のままに、正しいと思う方へ歩んでください」
周囲では、私の発言を問題発言と見なす官吏達が隠しきれない動揺を口々に溢し、私を後宮から追い出すべきだと訴えている者までいる。……どうやら本当に明昊様は、何かを守りたいが故に、彼らの言いなりになる道を選んだ可能性がある。大切なものが何なのか分からないが、明昊様の急な方向転換はそれが原因なのだろう。
「星天妃、面白い占いをありがとう。君、自分の事には相当鈍いらしいけど、なかなか鋭いね? 興味深い占いだったよ」
明昊様が黙ってしまったので、代わりに輝天様が挨拶して締める。悪目立ちすぎたかと苦笑して、私は頭を下げた。
「最後にお話する機会を与えていただいてありがとうございました。陰ながら応援しております」
「最後? 星蓮、最後とは一体……」
彼が星天宮を訪ねてくることなど無いであろうという思いからそう言ってしまっただけで、特に深い意味はない。だからこそ私はただ占い師としてお得意の笑みを作るだけで、明昊様の問いかけに対し特に何も返さなかった。
◇
「私の占いを完全に否定したわね!? 何から何まで憎い女……どこまで私の邪魔をすれば気が済むのよ!」
夜通し開かれた宴後の明け方。玉英妃がわざわざ後宮に戻る途中の私を捕まえて苦言を撒き散らす。
私は明昊様を励まして、前を向く手助けをしたかっただけ。玉英妃の邪魔をしたいわけでは無い。周りには私の侍女達だけでなく玉英妃の侍女も居るが、皆玉英妃の勢いに押されて、少し離れた場所から様子を見守っていた。
「否定したわけではございません。玉英妃が見た未来の先を申し上げただけです」
「そういう澄ました顔と態度が憎いって言っているのよ! 不幸を呼ぶ黒き龍に将来なんて無くていいの。なのに将来の希望を見せるなんて残酷だわ!」
興奮した玉英妃の手が私の頬を叩く。肌がぶつかり合う音が予想以上に大きく辺りに響き……同時に私の心にかかっていたストッパーをも弾き飛ばした。
「残酷? 残酷なのは占いで未来が見えているにも関わらず対策を提示しない玉英妃の方では? 明昊様を本当にお慕いしているのなら、助けてあげるべき。あと、明昊様は不幸なんて呼ばない!」
「お慕いって……私を貴女のような物好きと一緒にしないでくださる!? 良いこと? 貴女以外の妃はね、前の龍帝に愛された女達ばかりなの。不幸を呼ぶ黒き龍の妃なんてお断りなのよ! だからさっさと退位して輝天様の時代が来るように誘導しているのに」
「ちょっと待ってください。もしかして玉英妃は明昊様に求められながらも、それは受け入れられないと……」
「あぁもうこの頓珍漢な平民の相手するのはもう嫌! 目眩がして倒れそうよ!」
「嫌って、わざわざ引き留めて話しかけて来たのは玉英妃の方ですよね!? 玉英妃が性悪で皮肉ばっかり言うから!」
怒りで我を忘れた玉英妃が、ドンっと勢いよく私の体を押す。まさか押されるとは思っていなかった私はバランスを崩して、大きな水飛沫をあげて背中から池の中へと転落した。
「──星蓮様!?」
遠くで名凛の叫び声が聞こえる。その池は深く、足は付かない。宴用の煌びやかな衣は水を吸うと鉛のように重く、遠くなっていく水面に必死に手を伸ばすが、その手は何も掴むことはできない。
もがいている途中で解けてしまった髪から、するりと簪が抜け落ちる。持ち主が危機に瀕した時に光るという龍玉が、眩い光を放っていた。しかし光るだけで、明昊様が助けに来てくれなければ現状を打開できはしない。
苦しさの限界で目を閉じた瞬間。私の体は何かに強く引かれた。と思ったら突然宙を舞って、茂みの中へと放り出された。バキバキっと細枝が折れる音と衝撃が響き、突然のことに私は目を白黒させつつ新鮮な空気を肺に取り込んだ。
「けほっ……痛い……」
茂みの中で咳き込む私のそばに、大きな龍の体が舞い降りる。一瞬明昊様が助けてくれたのかと思ったが、その龍の体は私の期待した青藍ではなかった。
「危ない危ない。玉英妃は相変わらずやることが派手だなぁ。ねぇ? 星天妃」
星蓮の頭上から降ってきた声は、数刻前に聞いたばかりの……声代わり前の少年の声だった。
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