用済み3

 木の葉が落ちて、また冬に近づいていく。それと対比するかのように、私は明昊様のおかげで毒が排出でき、徐々に元気を取り戻してきていた。彼には感謝の念しかない。

 最後に明昊様にお会いしたのは、二週間前。番にして欲しいと口にしたあの日であるが……そこから明昊様の姿は見ていない。

 それだけならいつものことであるが、侍女達曰く明昊様の行動がおかしいようだ。

 

 せっかく私が苦労して、毒殺されかけてまで民に広げた『季節は星座の動きに合わせて自動的に移り変わる』という知識。それを真っ向から否定し、あろうことかあらゆる政から手を引き始めたらしい。「星座に関しては星天妃が勝手に言い初めたことで、俺は知らない」なんて事を口走っているらしく、おかげで星座と季節が連動することを信じ切っていた民は大混乱。それを尚書省の官吏たちが指揮を取って、収めようとしているようだ。せっかく修理された天文時計も、活用されることなくいまだに星天宮の私の部屋に鎮座している。

 

「どうしてそのようなことを? 折角上手くいっていたのに」

「……分かりません。でも、明昊様のお側にいた輝天様に書簡を託してきましたから! きっと大丈夫ですよ」

 

 抗議する書簡を明昊様に送ったが、受け取ってすらもらえなかったらしい。なので政に少しずつ参加し始めたという輝天様に書簡を預けてきたようだ。

 どうやら尚書省の求めに応じて、明昊様の補助として民の前に出て対話する役割を務めているらしい。

 おかげで突然の明昊様の方向転換にも何とか対応できているようだ。

 

 彼の心内がわからなくて、私は何度も彼のことを占った。しかし私は流相お爺ちゃんのような凄腕占い師ではない。分かるのは『大切なものを守りたいと考えている』ということだけだ。

 

 (……明昊様は大切な何かを守るために、お飾りの龍帝になるの? 明昊様が大切なのは、輝天様の時代までより良い形で繋ぎたかったこの国ではなかったの?)

 

私は彼の行動を、星天宮から見守るしかなかった。


 

 日暮前の黄昏には不釣り合いな慌ただしさに包まれた星天宮の中。私は綺麗な薄紅色の衣を纏い、化粧を施され、綺麗に髪を結われて……最後に龍の簪を挿す。星天宮から出ることを禁じられてしまった私だが、今夜だけは外出の予定が入っていた。

 後宮の外にあり、政が行われている煌龍殿。それと後宮との間にある緑豊かな庭園『静涼庭』で宴が行われるということで、それに参加するように命じられていたのだ。

 

「そろそろ冬……私が妃になった季節が来るのね」

「……明昊様のことはお嫌いになってしまわれましたか?」

「嫌いになんて、ならないわ」

 

 私は前に向くのが得意だ。自らの恋心など既に諦めて、心の奥に鍵をかけてしまいこんで。明昊様が幸せになれるなら良いのだと達観していた。

 

(大丈夫……今お会いしても、私は何くわぬ顔で対応できるわ)



 収穫時期が終わり雪がちらつく前の頃合いに開かれるというこの宴。先代龍帝の時代には、その華やかで美しい妃達が一堂に集まり目の保養になると、関係者皆が楽しみにしている宴の一つだったらしい。少し歩いて静涼庭にたどり着いた頃には、すでに多くの妃達や貴族達が集まってきており、その一人一人のスペースが屏風や帳で仕切られ間隔を取って設けられていた。その美しい装飾も見ものである。

 しかし私にとってはそんなものは二の次。夜の宴という席で空を見上げるのを楽しみにしていた。

 

「夜に宴だなんて素敵ね、名凛」

 

 自分用に用意された交椅子に腰に掛けたまま辺りを眺めていた私は振り返り、後ろに控え長柄の団扇を持っている名凛に話しかけた。名凛は少し身を屈めて私の耳元で囁くようにして話す。

 

「例年であれば昼間に開かれる宴です。寒さを前にして最後に咲く秋の花々を愛しむ宴ですから、月見の宴なんて初めてですよ」

 

 確かに周りをよく見れば、華やかな装飾を施されている灯籠の周りには、綺麗な花が植っていたり、生けてあったりする。

 

「どうして今年は月見なの? 私はそっちの方が嬉しいけど」

「聞いた話によると、輝天様が月見が良いと珍しく我が儘を仰ったそうで。それを、なんだかんだ弟に甘い明昊様が聞き入れたのだとか」

「へぇ……兄弟仲がよろしいのね」

 

(明昊様は今まで輝天様と比較され続けてきたのだろうから、苦手意識を持っていると思っていたわ)


「むしろ明昊様は、元々輝天様くらいしか味方が居なかったのですよ。輝天様の方も、自らのせいで明昊様が命狙われ続けていることを分かっているので、基本的に明昊様を庇うような立場を取られることが殆ど。その美しき兄弟愛は──」

 

 そこまで名凛が話したところで、その声を遮るような、わざとらしい玉砂利を踏む音が辺りに響いた。


「あらいやだ。胡姫がこんな場所にいるなんて……場違いも甚だしいわ」

 

 正面を向き直すと、そこに立っていたのは金色に近い濃黄色の衣装を纏った女性だった。その髪は墨のような黒髪で美しい。外見で後宮の妃の一人だということは分かるが、他の妃と交流の無い私には、誰なのか分からない。そんな私の考えを察してくれたのか、後ろから名凛が「玉英妃です。妃の中では最も出身の家柄が高く、以前より皇后の位につくのではないかと噂されていたお方です」と補足してくれる。その名前には聞き覚えがあった。

 

「貴女のような一時の遊び相手の平民、この場には相応しくないわ。私のように身分も気品もある女でなければ寵姫は務まらなくってよ」

 

 手に持った団扇で口元を隠しながらではあるが、私を貶すようにして自慢してくる玉英妃。そしてその声にも聞き覚えがある。

 

(明昊様の正妻予定の女性……前に星天宮の前で明昊様と一緒にいた女性の声ね。前に官吏達が明昊様が通っている妃の名前として挙げていたし、間違いなさそう。性格に難があるようだけど……彼の瞳の色の衣ということは、明昊様の贈り物の可能性もあるわ)


 玉英妃の綺麗に編まれた髪から、質の良さそうな靴の先まで一通り眺める。一流のものを身につけた本物のお姫様だ。下級妃の私とは違う。

 

 以前の名凛の話から考えれば、この玉英妃の欲しいものは寵愛ではなくて、その結果得られる美なのかもしれないが。それでも明昊様が彼女を望んだのであれば……その願いが少しでも良い形で叶って欲しいと思う。

 

 だから私は玉英妃の言葉を否定しなかった。それどころか前向きに彼女の言葉を肯定する。

 

「そうですね。きっと星ばかり見ている女が物珍しかっただけでしょう。だから玉英妃は変わらずに明昊様を愛して差し上げてくださいね? 明昊様からの愛が深いほどお辛いこともあるかと思いますが、頑張ってください」

 

 美ばかりを求めるのではなくて、玉英妃も明昊様を愛し支えてあげてほしい。彼のお気に入りならば宮の中に閉じ込められてしまっているのだろうが、なんとかそれを耐え抜いてあげてほしい。そんな気持ちで微笑み答えたのだが、どうやら私の発言は皮肉として取られてしまったようだ。怒りのせいかカッと表情を赤く染めた玉英妃は、声を張り上げた。

 

「憎たらしい女! お前なんて居なければ、私がこうも苦労することなど無かったのに!」

「……え? 私はただ、明昊様の想いが報われるようにと……」

「煩い、煩い煩い煩い!! ただの商人の娘のくせに、私に意見しようって言うの!?」

 

 どうやら玉英妃はヒステリックな面があるらしい。私に対する文句がつらつらと垂れ流されている。

 これは正面から話し合っても無駄だと察し、団扇で口元を隠し受け流すことに徹する。視線を逸らした先に居た別の妃が細い眉を下げて、大層気の毒そうな顔をしてこちらを見ているのが確認できた。


「もうこんな女にまで馬鹿にされるような生活は嫌だわ! 早く輝天様の治世が来て、皇太后が──って、貴女聞いているの!? どこまでも気に触る……!」

 

 玉英妃が、椅子に腰掛けたままの私に近寄ってきて、その腕を振り上げた瞬間だった。

 

「お前達、何を騒いでいる?」

 

 場を緊迫させるような鋭い声。聞き馴染みのあるいつもの声とは違い、龍帝らしい威厳が滲み出る低い声色が響く。

 気がつけば、玉英妃の後ろに明昊様が立っており、振り上げた玉英妃の腕を掴んでいた。

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