用済み2

「星……」

 

 木陰に隠れた私を不審に思ったのであろう名凛に声を掛けられそうになるが、慌てて彼女の口を手で塞ぎ、必死に目線で訴える。訝しんだ名凛であったが、事の展開を理解すると眉間に皺を寄せた。

 

「……引っ叩いて、追い払ってきましょうか?」

「ううん……大丈夫。明昊様が幸せそうでよかったわ」

 

 明昊様は、宮の外でも一緒に歩きたいと願うほどに、彼女を愛しているのだ。それを邪魔なんてしたくない。

 そうやって無理矢理前を向いた私だったが、表情はいつものように取り繕えていなかったようだ。震える私の手を握ってくれる名凛の両手。それに縋り付いてしまいたい気持ちと、溢してしまいそうになる涙を必死に押さえつけ、名凛の勧めもあってそのまま室内で休むことにした。

 

 明昊様が来ても追い返してやると、完全に立腹しながらも……名凛は私の手を握り続けてくれる。私は寝台に身を沈めて目を閉じ、名凛の優しさに感謝しながら早々に意識を手放す……はずだったのに。


「──星蓮、星蓮! どうした、体調が悪いのか?」


 駆ける足音と、引き戸が激しく開かれる音と共に、頭元に近づいてくる衣擦れの音。誰だか分かるが故に、瞼は上げたくない。

 ……いつもの白檀の香りに、嗅ぎ慣れない甘い香が混じっているのが気持ち悪い。

 

「明昊様、星蓮様は体調を崩され弱っているのです。他の妃の香を纏った状態で来られるなんて、非常識。お引き取り願います」 

「……すまない、今だけは許してくれ。体調不良は、一体いつから……?」

「夏の終わりの頃でしょうか。少しずつ悪化しているようでして、良くなる気配はありません」


 明昊様の声は震えていた。その理由が分からず、私は薄らと目を開ける。


「もう幾分も前からじゃないか。医師は? 占い師は何と言っている? 食事は取れているのか? ……どうして俺に何も報告しなかった!? 侍女として、星蓮に何かあれば俺に報告するのが義務だろう!」


 瞼を上げた私の視界に映ったのは、必死の形相で名凛に詰め寄る明昊様だった。


「……私が、報告しないように言いました。明昊様を煩わせたくなくて」


 名凛を庇うために言葉を発すれば、明昊様は手を握ってくれていた名凛を押し退けて、私の掛布を剥いだ。そして抗議する名凛の言葉すら聞かず、私の衣の合わせを緩める。頬のすぐ横に濃紺の髪が垂れてくるが、視線は合わない。


「どこだ……何が悪いんだ……? 進行の早い病だったら、俺では間に合わないかもしれない……輝天ならもう少し早く治せるか……?」

 

 独り言のような言葉を口にしながら、明昊様は私の状態を確認しているようだった。体に触れる明昊様の手が、血が通っていないかのように冷たくて、思わず体が跳ねる。

 

「脈が速い。潰瘍が出来ていたりは……しないな。いやでも酷く顔色が悪い……まさか毒? いや、しかし毒見係は通過しているし、龍玉の反応もなかったのだから……」

「……簪は、しばらく触れていません」

「は? どうして……いや、理由は後でいい。今は原因究明が先だ。名凛、星蓮が口にするもので毎回毒見を通っていない物は?」

「井戸水と薬くらいでしょうか……」

「ここへ持って来い。今直ぐだ!」


 大急ぎで私が普段飲んでいる水と薬を用意させた明昊様。腕まくりするように腕を出して、その二の腕から一枚の鱗を剥ぐ。そしてそれを握り祈った。

 

「──星天妃に害を為すもの、光り存在を示したまえ」


 どうやら毒の線を疑っているらしい。しかし名凛によって盆に乗せられてきた水の入った杯と薬は、明昊様の予想に反して静寂を保っている。

 しかしパッと一つの戸棚から光が漏れ出た。明昊様は小さく舌打ちしつつ、即座に戸棚をピシャリと勢いよく開け中を確認する。

 明昊様が戸棚から引っ張り出してきたのは、私が帝都で小さな女の子にもらった丹薬だった。

 

「……俺の目を掻い潜って、こんなものを持ち込まれるなんて。星蓮、これはどこから?」

「帝都で占いをした時に、女の子から貰いました」

「貰ったことを誰かに告げたか?」

「いえ……昔から馴染みの子がくれたので……」

「どうして簪を付けなかったんだ。命に支障をきたす毒なら、龍玉が危険を知られてくれるはずなのに」

 

 見ると明昊様のことを思い出して恋しくなってしまうから付けていない。そんなことは言えないのでただ黙っていれば、明昊様は再び舌打ちしてから丹薬を袂にしまった。

 

「簪は必ず毎日つけろ。あと、今後は人から貰ったものに一切口をつけるな。必ず全て毒味係を通せ。恐らく辰砂……明確に星蓮の命を狙った、計画性のある犯行だ」

 

 呆然として何も言葉を発することのできない私に変わって、名凛が悲鳴をあげた。その甲高い悲鳴を、私はどこか他人事のような心地で聞く。

 

(辰砂って……もしかして水銀? 不老不死の秘薬と言われ時の権力者にに愛用されたという、あれのことよね)

 

 私はかろうじで知っていた前世の知識を総動員して考える。脳裏に浮かんだのは……皇太后だった。

 明昊様の表情は歪んでおり、その怒りのままに再度腕から鱗を数枚剥がす。そしてそれを握って何かを祈り、名凛に託した。


「これを一日一枚煎じて星蓮に飲ませるように。解毒作用があるから、今すぐに用意して治療を始めてくれ」


 大慌てで部屋を出て行く名凛を見送った後、明昊様は私の衣を元通りに治し、掛布をかけてくれた。

 私が気を緩め毒を口にしてしまったのに、わざわざ龍神の鱗を用いて解毒してくれる。表情から怒っているのは明確なのに、助けようとしてくれる……その優しさが逆に辛い。


「……明昊様、ありがとうございます」

「俺のせいで狙われたのだから、助けるのは当然だろう。ただし星蓮は今後は一切の外出を禁じる。……やっぱり、なんとしてでもこの宮に閉じ込めて、外へ出すのではなかった。星蓮を政に関わらせるべきではなかった」

「でも私は星座に関連づけて季節の移り変わりを広める役割を、責任持って……」

「そんなものは、もうどうでもいい。これ以上裏から手を回して守ってやるのは不可能、俺でも対策の打ちようがない。……天文時計が出来たのだろう? それさえあれば星蓮が居なくても、これを指標にして皆が季節の巡りを把握できるようになる。星蓮はもう十分役目を果たしてくれた」


 ──用済み。


 そう告げられたように感じた。


「星蓮はほとぼりが覚めるまで、ひっそり暮らして欲しい。でなければ、次はどこから狙われるか……」

 

 そんな彼の言葉を聞きながら、私はかつての占い結果を思い出す。……明昊様は想い人と、紆余曲折の末結ばれる。彼の想い人は、先程一緒にいた妃。

 用済みの私が彼と二人きりで話が出来るのは最後かもしれないと、私は口を開いた。

 

「……明昊様には番の女性がいらっしゃるの?」

「は? 何だ急に……、いや……番は定めていないが」

「明昊様は、天文時計を譲る代わりに私の願いを叶えてくれると言いましたよね? じゃあ、私を番にしてください」


 二人の間に沈黙が流れる。勇気が無くて、私は彼の顔を直視出来ない。

 突然の突拍子のないお願いで困らせてしまったかもしれない。

 でもこの沈黙こそ、彼の優しさで。答えなのだと思った。

 だから私は、明昊様の答えを待たなかった。


「──嘘です。本気にしましたか?」

「……少しも面白くない冗談だ。しかし……俺は星蓮だけは番にする気は無いのだ。願いを叶えると言ったのに、すまない」


「星蓮『だけ』は」という言葉が、私の中に細く残っていた未練の糸を断ち切ったような気がした。

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