私の成すべきこと5
私はすっかり日が暮れてから帰路に着いた。後宮に向かう途中で必ず通る煌龍殿の正面。そこで月を見上げていた満月の瞳が、私を捉えた。
「遅い。途中まで迎えに行こうかと思案していた所だ」
「申し訳ございません。最後にもう一度蘇家に寄ってお父様と話をしていたら、長引いてしまったの。それより、何故こんな場所に?」
「じっと待っていられる訳がないだろう。……本当に義父上だけか? 屋敷内外の男とか男とか男とか男とか男に囲まれていたのではないのか?」
明昊が特定の言葉だけを何度も繰り返しながら迫ってくる。その圧に圧倒された私は思わず一歩後ずさった。
「明昊様、怖いです。そんな必死の形相で問わないでください。目が血走っているじゃないですか!」
「早く質問に答えてくれ。今日一日、星蓮が心配で仕事にならなかった……!」
「幸い、ご心配に及ぶようなことは一切ありませんでした」
「本当か? 嘘はついていないだろうな? 星蓮の神秘的な美しさは日々磨きがかかるばかりだ。それで人目を集めるなというのも無茶な話だと分かっているのだが! だからこそ俺は星蓮を宮から出したく無──」
早口に私の美しさを語りつつ迫ってくる明昊様に対し、若干引きつつ更に後ずさる。
「──もう! 明昊様、しつこいですよ?」
私がそう声をあげた時だった。
「星天妃の言う通りだわ。あまりの執着はかえってその身を滅ぼすわよ、明昊」
聞こえてきたのは皇太后の声であった。明昊様が咄嗟に私を庇うように抱き寄せる。
煌龍殿の外廊下に立ちこちらを見下すような視線を向けている皇太后と、目が合った。彼女の後ろには沢山の男性が控えている。誰なのだろうと思い明昊様を見上げれば、小声で「尚書省の官吏達だ」と教えてくれた。……つまり、明昊様の言っていた「皇太后の手下達」というわけだろう。
「ただでさえ不幸を呼ぶ黒き龍として忌み嫌われているのに、あまりに目立つ改革の先陣を平民の妃に任せて大丈夫なのかしら?」
「何度も言うが、龍帝は俺だ。俺は俺の好きにする。皇太后の思う通りには決してならない」
「算命局が告げた先ほどの予言を聞いていなかったのかしら? このままでは貴方の逆鱗に触れる悲惨な光景を見る羽目になるわよ」
「……聞いた上で、何を信じどう行動するかは、俺が決めることだ」
「そう。私は、忠告してあげたわよ? お飾りの龍帝で居なさいって」
皇太后はそれだけ言うと、私には何も言わずに立ち去った。
今日一日で、帝都における明昊様の印象は改善されたように思う。
作物は、種を蒔いたら、あとは適切に管理して育つのを待つだけ。同様に私が今日皆に蒔いた『明昊様は優れた龍帝』という話題の種も、季節が移り変わるごとに育っていくはずだ。……それが皇太后の気にさわったのだろう。
「私が今日何をしたか、皇太后は既にご存知で……反対されているのですね」
「表向きはそう言っているな。人たらしの星蓮だからこそ成せた技だが、まさか今日一日でこれ程話を広めて帰ってくるとは思わなかった。やり口が輝天に近いし、俺より星蓮の方が人の上に立つには向いていそうだな」
「私はただの占い師です。明昊様のように知識もなければ、龍神でもありません」
「……人の上に立つには、知識があれば良いという訳ではない」
明昊様はその後、私を星天宮まで送ってくれた。念の為にこの調子で民に星座と季節の話を撒き散らしても良いか確認すると「くれぐれも身の回りの安全には気をつけて」とは言われたが、止められはしなかった。むしろ止めても無駄だろうという雰囲気を醸し出されている。
明昊様は一瞬躊躇ってから、私の額に一つ口付けを落とした。
「星蓮は今のままで構わない。俺には裏方の仕事が向いているから、そちらで頑張って援助しよう」
「……? 分かりました」
「ふっ……、全然分かっていないような顔だな? でも頼りにしているよ」
好きな人に頼りにしていると言われ、嬉しくて。心にパッと花が咲いたかのようで、私は満面の笑みを彼に向ける。
「ありがとうございます。もっと明昊様のお役に立てるように頑張りますね!」
一日仕事が進まなかった分、明昊様は今から煌龍殿に帰り仕事をするという。私が手を振って見送ると、明昊様はぽつりと何か言葉を発した。その瞬間強い冬の風が吹いて、お互いの髪が激しくなびく。
「……本当は二人でどこかに消えてしまえるなら、一番幸せだったのだろうな」
「明昊様、今何とおっしゃいましたか? よく聞こえなくて」
髪で視界すら遮られてしまっていたので全く分からず、私は明昊様に聞き返す。
「おやすみと言っただけだよ。ちょうど風が吹いて間が悪かったな」
もう少し長い言葉だったように思ったので疑問に感じたが。私はその疑問を素通りして、明昊様を見送ったのだった。
その後帝都以外の近隣の主要な街でも同様のことを行った私。その結果は予想より早く出た。春の暖かい陽気の日が増えてきて、徐々に平均気温が上がり『春』がやってきたからだ。それとほぼ同時に東の空には弓座が見え始めて、私が広めた嘘は真実となる。星は季節を指し示すと徐々に知られるようになった。
「星蓮様! ご実家の蘇家から書簡が届きましたよ」
嬉しそうな声を名凛が響かせて、私の元へと走ってくる。お父様から届いたそれを広げて読んでみれば、私が思っていた以上に民の間で明昊様の株が上がっているらしい。
(良かった。これで少しは明昊様の置かれる環境が良くなるといいのだけど)
黒き龍であるが故に民から恐怖心を持たれていることを気にしていた明昊様が、少しでも自信を持ってくれるようになればいい。
……そう思っていたのに。明昊様の訪問は春先以降パタリと止んだ。
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