私の成すべきこと3

「天文時計の部品は蘇家にあるから、後で取りに行ってもらえる?」

「それは構わないが、星蓮も時間が許すのであれば実家に顔を見せた方がいいぞ」

「でもお父様は、まだ帰ってきていないでしょう? それに……」


 私には懸念事項があった。明昊様が、私を助ける上で破壊してしまった蘇家の塀。色々あったその場を彼が見ると気に病んでしまうのではないかと思った。


「実は昨日の夕刻に帰ってきたんだよ。なんでも、せっかく娘が後宮入りしたのだからこれを機に帝都で商売の幅を広げなくてはと意気込んでいたらしい。しばらくは帝都に留まるそうだ」

「……お父様らしいわ」

「星蓮、俺は義父上に挨拶に伺うべきだろう。鍛冶屋の主人、天文台の修理費はこれで賄ってくれ。足りなければ煌龍殿まで使いを寄越して欲しい」

 

 明昊様は鍛冶屋のおじさんに重そうな麻袋を押し付ける。どこかで見たことのある光景と、中身を確認して目を白黒させるおじさんの様子に、私は苦笑いしつつ明昊様を見上げた。

 

「明昊様がただの平民である蘇家まで挨拶に来る必要は無いかと。むしろうちから煌龍殿までご挨拶に伺うべきです」

「いいんだ。俺が、星蓮という天女を与えてくれた義父上に、会いたいんだ」



 以前より高級感の増した塀に、勝手知ったる様子で見張りの門番の横を素通りする明昊様。そして明昊様を大歓迎する使用人達。事情が飲み込めずに明昊様に説明を求めれば。……どうやら私が後宮入りしてから、明昊様は何度も蘇家を訪れていたらしい。

 

(既に塀の修理が終わっていた上、その費用も全て明昊様が支払っていたなんて初耳だわ)


「どうして何も言ってくれなかったのですか。私の実家なのに」

「だって、恥ずかしいだろう? そもそも妃の実家の一部を怒りに任せて破壊してしまっただけでも相当印象が悪いのに、星蓮の好きな食べ物から好みの衣装まで、あらゆる情報が欲しくて通っていただなんて」

 

 もはやそれくらいでは大して驚かなくなってきた自分が恐ろしい。


 

「星蓮! よくやったな。おかげで販路がうんと増えそうだ」


 実に一年ぶりに会ったお父様は、私の後宮入りを大いに喜んでくれていた。そして私の側にピッタリと付いて離れない明昊様の姿を見て深々と礼をとり、感謝の念を述べた。しかし明昊様は、そんなお父様の顔を上げさせて、微笑む。


(あ……私以外に微笑んだの、初めて見たかもしれない)

 

「今日は礼を言いたくて来たのだ。星蓮のお陰で、俺は……やっと心から平穏に休まる時間を得ることが出来た」

「星蓮の存在で陛下の御心が穏やかになるのであれば、光栄なことです。星蓮をそのまま寵愛していただければ幸いですが、他のお妃様のご用命でも、是非蘇家をご贔屓にしていただけますと有難い」

「……他の妃達は好みが煩いから、どうだろうな。ひとまず星蓮に関する物は基本的にこちらから仕入れさせよう」


 他の妃の話が出て、私の心臓は一瞬大きく跳ねる。……好みが煩いという他の妃達は、一体どのような人達なのだろう。

 

「それだけでも十分でございます。……それで、本日の表向きのご用件は終わりでしょうか?」


 別事を考えていたの思考回路は、お父様の発言で即座に現実に戻ってくる。

 

「お父様! 表向きって……そんな、明昊様に失礼な」

「星蓮、いいんだ。むしろ、流石多くの国を渡り歩く商人だ。俺が本題を隠していることに気がついているなら、その方が話が早い」


 

 商談にも使う部屋で、お父様は銀製の杯に開封したばかりの酒を注ぐ。何故か杯は三つあり、その二つにだけ均等に酒は注がれた。

 

「お父様。私まだお酒は飲めません」

「そうではないよ星蓮。──お好きな杯をどうぞ、陛下。ご覧の通り、毒は入っておりませんから」

 

 お父様の言葉でギョッとしてしまう私とは対照的に、明昊様は苦笑しつつ全ての杯を確認して……一つの空いた杯に、酒の注がれていた杯から少しずつ酒を移し混ぜる。そしてそれを再び酒の入っていた杯に戻して、その片方を自分の前に置いた。そして残った方をお父様が手に取って、一気に半分ほど飲み干す。それをよく確認してから、明昊様も杯に少しだけ口をつけた。

 

 ……銀は毒に触れると変色する。お父様は毒が入っていないことをアピールするために銀の杯を使っただけでなく、明昊様に二つの杯の酒を混ぜさせることによって、毒の混入リスクをどの杯でも同じになるようにしたのだ。そしてそれをお父様が先に飲むことで、安全性を証明する。

 今まで毒の心配をしたことのない私は、ただ茫然とその光景を見ていた。

 

(明昊様に言われて、宮で出される食べ物以外は口にしないようにしているけど。……毒見係抜きで物を口にするというのは、ここまで気を使わなければならないのね)

 

「やはり俺のことをよく調べているのだな。初回からここまで対策をしてきた人は始めてだ」

「娘が嫁いだ相手でございますから。そうでなくとも、商談相手はよくよく調べておくのが基本です。特に陛下はご苦労が多い生を歩んでこられたようですから、警戒心を持たれないようにしませんと」


 そんなことを話している間に、私の前には馴染みの下女が温かい茶を置く。こちらも杯が銀製だ。見慣れないその杯に……実家なのに、別の場所に来てしまったかのような心地になってしまう。


「星蓮の茶も同様の対策を講じましょうか?」

「いや、構わない。この屋敷内で星蓮に毒を盛る理由は無いだろうし、妃となった星蓮に死なれれば困る義父上が対策を講じているはずだから、信じている」

「恐れ入ります」


 そんな会話をゾッとした心地で聞きつつ、私はただ黙って揺れる茶の水面を見つめた。

 私には星天宮にいる間のことしか分からないが、明昊様は毒見係を通った料理であっても多くは召し上がらない。

 

(これほどまでに口にするものを心配しなければならなかったなんて。明昊様が食事嫌いになるのも当然だわ)


「それで、陛下の本題は?」

「話が早くて助かる。義父上は『季節』は龍神の力関係なく、巡るものだと思うか?」

「ええ、私たち貿易商にとっては当たり前のことです。龍神の居ない国であっても、四季は当然のように存在しますよ」

「ではそれを『当たり前のこと』として国中に広めることは、この蘇家の力を持ってすれば出来るか?」

「それは少々難しいかと。なんせこの国は龍神を尊ぶ。今まで龍神のみに成せる技だと思われてきたことを、そのように広め直すのは難しい。星座の知識がこの国に広まらなかったのと同じです」

「……そうか、分かった。本題は以上だ。帰らせてもらう」

「いや、話早すぎですから! 本題一分ってどういうこと!?」

 

 明昊様はさっさと椅子から立ちあがろうとするので、まだ茶に口すらつけていなかった私は、思わずツッコミを入れてしまった。


「星蓮。お前は知らないかもしれないが、陛下は聡明で、長寿により叶う知識量と、それ由来の理屈で政を考えるお方だ。望む結論に届かない政策はさっさと切って、期待が持てるものには潤沢な資金を費やす。それゆえ非情と言われ、保守派には嫌がられることも多々あるが、統治者としては間違えていない」

「……でも、私に大量の金貨を押し付けてこようとした人ですよ?」

「それはお前自身が、陛下に高く評価されたのだろう。そうですよね陛下?」

「そうだな。星蓮の占いは非常によく当たる。星蓮に金をかけるのは理に適っており、費用対効果が高い」


 私は思わず眩暈がしそうになって、額を抑えた。


「……でも、明昊様は自らの足で民の生活を確認して降雨量を調節していますよね? そういう努力も効率重視なのですか?」

「龍帝である俺が動くのは、費用が掛からないため一番費用対効果が高い。だから裏方仕事でも、俺が出れば解決するようなものはさっさと自分でするようにしているが……どうしてだろうな。俺が良いと思ってしたことでも、官吏たちに文句を垂れ流される方が多い」


(なるほど、分かったわ。明昊様は何でも自分でやろうとした挙句、対人スキルが低いが故に……独裁的だと勘違いされて周りから反発されるタイプね!? いくら正しいことをしているのだとしても、説明不足なら官吏達も困るわ)


 完全に想像でしかないが……私はそんな結論に行き着いて、官吏達に哀れみの心を持った。そして、そんな状態の中反発に遭いながら仕事をしている明昊様にも同情した。……やはり、なんとかして私が現状を良くしてあげたい。

 

「やはり天文時計が無いと難しそうだな。修理が完了するまでは、俺がなんとかしよう」


 今度は本当に椅子から立ち上がった明昊様は、私に手を差し出して、無言で立つように促してくる。しかし私はその手を取らなかった。


「星蓮?」

「……明昊様、私がやります。季節は自ずと巡るのだと、私が民に浸透させてみせます」

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