見通した未来
「こんなに着飾って、どこかへ行くの?」
「明昊様の名前で呼び出しの書簡が届きました。着飾ったのはひとまずの武装です」
よく分からないまま名凛ら侍女達に綺麗な衣を着せられ、いつもよりしっかり化粧を施されて……明昊様に貰った簪を髪に挿されて。後宮の外にあり政を執り行う場所だという『煌龍殿』まで連れ出された、とある日の夕刻。しかしそこで待ち構えていたのは明昊様ではなかった。
明昊様の名を使って私を呼び出したのは、妖艶で美しい皇太后『趙月華』。彼女は、明昊様の弟である輝天様を産んだ元皇后だという。つまり先代の正妃であり、龍帝である明昊様の次に権力を持つ人物であり、彼の義理の母だ。
頭を下げ床に額を付ける私は、頭上から彼女のため息を浴びた。
「確かに天女のように美しい胡姫ね。あの陰鬱な明昊が自ら選んだ占い師の平民というから、地味な子かと思っていたのに……案外一目惚れかしら。さぁ、顔を上げてこちらへ来なさい」
皇太后は私を手招きして、既に茶菓子等が用意された卓の方へと案内する。私はその意外な優しさに少し安心して、導かれるまま席についた。
「星天妃は占いが得意だとか? 誰に習ったのかしら」
「全て祖父が教えてくれました。昔はこちらの算命局という部署に所属する占い師だったそうなので、もしかするとご存知の方もいらっしゃるかもしれません」
「祖父の名前は?」
「蘇流相と言います」
「あぁ……明昊が昔懐いていた占い師。懐かしい名だわ。明昊を庇って死んだものと思っていたけど、生きていたのね」
皇太后はそう言いながら、用意されていた茶で口を湿らせてから、菓子を手に取って食べる。まさか流相お爺ちゃんと明昊様に繋がりがあるなんて思っていなかった私は、驚きで目を見開いた。
「あら、知らなかったの? 詳しく話してあげてもいいけど、まずは用意してあげた茶菓子に手をつけてくれないかしら。それとも私が用意してあげたものは口に出来ないとでも?」
「あ……申し訳ございません。頂きます」
一番近い菓子に手を伸ばした瞬間だった。私の後ろからサッと伸びてきた大きな手に、私の手の甲はパチンと叩かれる。そこまで痛くは無かったが驚いて振り返ると、すぐ後ろに息を切らせた明昊様が立っていた。
「星蓮……ッ危ないから、宮の外では……っ、絶対に物を口に入れないでくれ! あと皇太后には心を許すな!」
「あら明昊。私の用意した菓子に毒が入っていると言いたいの?」
「そうだ。皇太后はいつも俺の大切な物を壊す。それこそ、流相を狙ったのも皇太后のくせに……!」
「私は何もしていないわよ。ただ不幸を呼ぶ黒き龍に纏わりつかれていたから、逃すよう命じただけ。今だって、貴方が無理やり拐かしてきた子を逃がそうとしただけよ。だって可哀想でしょう?」
先程まで優しい人に思えていた皇太后の印象は、勢いよく地に落ちた。
「逃す? ハッ……虹の橋を渡らせることをそう呼ぶのであれば、そうだろうな。特に星蓮は既に次世代の龍神を身籠っている可能性もあるというのに。ただでさえ出生率の低い龍神族を簡単に天に還す勇気が、皇太后にはお有りのようだ」
「黒き龍の子なんて、生きていても不幸を呼ぶだけでしょうよ」
「……尊い金の龍から黒き龍が生まれたように、その逆もあるだろう」
「あぁ、だから金の色を持った胡姫を迎えたのね? 貴方っていつもそうやって机上の空論ばかり。愛も無く生物上の色だけを求めて娶るなんて、この子にも失礼──」
皇太后の発言を遮るかのように、バンッと勢いよく机が叩かれる。茶器がひっくり返り、用意されていた菓子も器から飛び出した。
しかしその勢いに肩を跳ねさせ驚いたのは私だけで。明昊様は私の肩を片手で抱き寄せて、立ち上がらせた。そして私の肩を抱く彼の指の力は強くなり、 衣の上から掴まれているのに、爪が食い込んで血が出ているのではないかと思うほどの痛みに襲われる。その痛みは私の眉間に僅かな皺を刻んだ。
「勝手なことを言うのは辞めてもらおうか。今の龍帝は俺だ。俺がやりたいようにする」
「……貴方の短い治政の間であれば勝手になさい。ただ黒き龍である貴方がその子を守り切れるのかは不明瞭だけれども」
明昊様はそれ以上皇太后に言い返さなかった。
ただいつもは優しげで憂いを帯びがちな金の瞳は、龍らしく怒りと威圧感を纏い、皇太后を睨みつけていた。
◇
「すまない……つい怒りに身を任せて全力で掴んでしまったようだ」
星天宮に戻った後、私は明昊に深く謝罪された。肩にくっきりと彼の指の跡がついてしまったからだ。一部は内出血し、青く痣が出来ている。
「皇太后、明昊様を邪険にしすぎです。どうしてあそこまで……」
「あの人は、輝天を産んだ時からずっとあの調子だ。色に加えて、輝天が龍帝になるには俺が邪魔だから」
「でも明昊様は確か、弟が成人するまでの繋ぎのつもりなのですよね? 待っていれば、そのうち巡ってくるのに」
「龍帝は歳の順ではなく、先代が退位した際に成人を迎えていた龍神の中から色の順で選ぶ。しかし成人した龍神がいなければ、同様の順番で未成年より選定する。つまり、俺の子が白き龍より尊い金色だった場合は弟の輝天の治世が来るかどうか不明瞭となる。……確実にするには俺に子がいない間に、俺を殺すのが手っ取り早い」
……つまり。皇太后はただでさえ明昊様の子を警戒しているのに、私の色が更に気に食わなかったというのか。
「明昊様は、その……私の色が欲しくて、私をお求めに?」
「そこは勘違いしないでくれ。たまたま星蓮の色が金色だっただけで、俺は星蓮が墨のような黒髪でも妃として迎えたはずだ」
明昊様は自らの鱗を剥いで願いを託し、肩に当てて治療を試みる。しかしある程度痛みは引いても完治はしなかった。
「……毒を抜くのは得意なのだが、やはり病や傷跡は治るまでに数日かかってしまう。俺が下手なばっかりに……跡が残らなければ良いのだが」
明昊様は瞳を曇らせ、痣を見つめる。だから私は極力明るく振る舞った。
「大丈夫です。この跡は、明昊様が私を大切に思ってくれている証のようなものですから」
「星蓮……君は本当に優しいな。傷つけられたというのに、加害者の俺が気にしないように考慮してくれるなんて」
明昊様は私を寝台に縫い付けるようにして押し倒し、愛おしそうに頬同志を擦り合わせた。ここまでしておいても、「恥ずかしいのでもう少し待ってください」と、私が許可を出していないので、決して唇は合わせない。そんな所が、真面目な彼らしい。しかしこのまま彼のペースに呑まれては昨晩までと同様に、それ以外は好き勝手されてしまうので……私は先手を打った。
「でも肩周りを動かすと痛いので、今夜は私の話にお付き合いしてもらう日にしていただけますか?」
「……俺のせいだから、仕方がないな」
明昊様は私の隣に寝転がり、肩に負担が掛かっていないかを確認しつつ私を抱き寄せる。そして髪を梳くようにして、何度もゆっくり頭を撫でてくれた。
「もしよければ、明昊様と流相お爺ちゃんのことを教えていただけませんか?」
耳にした時からずっと気になっていた事を問う。
明昊様は少し驚いたような表情をしてから、過去を懐かしむように目を細めた。
「あれは……四十年程前だったか。流相は算命局に属する占い師だったが、黒き龍である俺にも一切態度を変えない珍しい男だった。それどころか俺に対して『明昊様は必ず幸せになりますよ。だって私にはそんな未来が見えていますから』と口癖のように言う。だから幼かった俺は彼に懐いていた」
流相お爺ちゃんは優れた占い師だ。本当にそんな未来を見通していたのかもしれない。
「しかし流相は狙われた俺を庇って、倒れた。妻子ある彼を犠牲にしてしまったことを悔いて、それからは念には念を入れるようにして自らの身は自分で守るように徹底した。人に安易に懐いてはいけないのだと学んだ出来事だな」
……懐かしそうに口にした割には、重苦しい思い出だ。
(平凡で穏やかな日常話なんて期待した私が間違えていたわ……)
しかしそれを話す明昊様は懐かしそうにするばかりで、その表情は会話内容に反して穏やかだった。
「そういえば、鱗を剥いで傷の治療を試みたのはあの時が初めてだったな。失敗したとばかり思っていたが、流相が生きていてよかった」
「……ありがとうございます、流相お爺ちゃんを助けてくれて」
「倒れた流相は、運こばれていく直前に『私が明昊様に幸せを運びますから』と、いつもと違う言葉を告げた。……叶えられもしない事を口にするなと、ずっと思っていたが。結論から言えば、流相は俺の元へ星蓮を運んでくれた。彼はどこまで未来を見通していたのだろうな? ある意味、俺が今までに出会った人物の中で一番恐ろしい男だと思うよ」
流相お爺ちゃんは四十年も前に、どこまでの未来を占ったのだろう。
(まさかお爺ちゃんは、私が明昊様の妃になると知った上で、占いや星の知識を授けたの……?)
「……明昊様は、仮に龍神でなければ、何をしたかったのですか?」
自分の祖父のことなのに、怖くなった。だから私は急に話題を変える。
「考えたこともなかった。……そうだな。西側諸国へ留学したかったかもしれない。別の文化と知識を学ぶのは楽しいと思う。それを使えばもっとこの国の発展に……って、やっぱり龍神らしい考えになってしまうな」
「……いつか一緒に行きましょう! 幸い私の実家は貿易商で、西側諸国には伝手がありますし。他にはないですか?」
「そうだな……一緒に旅に出て、背中に星蓮を乗せて遥か上空を飛ぶのもいいな。……って、これも龍神を前提にした発想か」
「明昊様真面目ですね? でも素敵です。いつか本当に乗ってみたいわ」
「旅ではなくて散歩ならいつでも出来る。……いや、上空はとても冷えるから、夏限定だな。夏になったら一緒に星空の散歩でもしよう」
「わぁ! 絶対に連れて行ってくださいね。約束ですよ?」
明昊様は幸せそうに破顔して、小指を差し出してきた。
「確か、約束はこうやってするのだろう?」
「ええ、そうです。覚えていてくれたのですね」
「当たり前だろう。星蓮が教えてくれたことを忘れるわけがない」
その自信満々な返事に、少しだけ意地悪な心が疼く。
「じゃあ初めて会った時に話した、冬の大三角を描く星の名前を全て覚えていますか?」
「なかなかの質問だな。天狼星と……くっ、忘れた……もう一度教えてくれ」
「ふふっ、賢い明昊様でも忘れることがあるのですね」
「……言い訳してもいいか? 星蓮の顔ばかり見ていて、聴覚が疎かだった」
そう言って笑う明昊様の表情は柔らかくて。……ずっとこんな風に笑って欲しいと思った。
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