【番】2

「──星蓮様、聞いてますか?」

「え? あぁ、ごめんなさい。やっぱり明昊様が来た翌日は眠くて……」

「こんなに素敵な輝天様の話を教えて差し上げているのに……あっ」

 

 急に名凛が口を閉ざして頭を下げる。その瞬間、私の首筋に冷たい指が這った。

 

「星蓮。何やら楽しそうだな?」

「ひゃっ!」

 

 驚きで茶が入った杯をひっくり返してしまい、床に落ちたそれは音を立てて割れた。飛び散った茶は床に地図を描く。


「……ごめんなさい片付けます」

「危ないから触れるな。名凛、片付けておけ」

 

 冷たい手が私を抱き上げる。きっと先ほどまで公務で外に居たのだろう。冬の空気で冷えたまま来るのは珍しかった。

 

「外まで二人の楽しそうな話し声が聞こえていたぞ。……星蓮も、輝天のことが好きか?」

 

 明らかに怒気を含んだ声。彼に抱えられた状態では、こちらを見据える金の瞳の圧から逃れられない。

 

「……俺の妃では不満か?」

 

 その言葉には哀愁と恐れ、絶望に近い怒りが含まれているように聞こえた。鋭い眼光に射られ、まるで不貞を働いたと責められているような気持ちになってしまう。


 普段は距離感が狂い気味で、甘い雰囲気を漂わせてくる明昊様。そんな彼から今放たれている威圧感は、思わず平伏して首を垂れてしまいたくなる程で、決して人間には真似できない『龍神』だからこその圧力。まるで喉元に剣先を突きつけられているような恐怖心を煽られて……私は彼が皆から恐れられている理由を身をもって理解し、体を震わせた。

 

(……私がここで怯んでしまっては余計な勘違いを生むわ)

 

 だから私は必死に声を絞り出す。

 

「私……輝天様にはお会いしたこともありません」

「だろうな。取られないように、星蓮は宮から出さぬよう侍女達に言いつけてある」


 天文台も兼ねている宮が快適すぎて外に出たいという欲求がまだ無かったのだが、まさか外出禁止にされていたなんて思いもよらない。そんな監禁まがいのことをするから、皆に恐れられるのではないだろうか? きっと明昊様のお気に入りの妃達は宮に閉じ込められているのだろうと想像して、姿も名前も知らぬ彼女達に同情した。

 

「輝天は明るくて皆に好かれる、自慢の弟だ。だから話だけでも人の心を惹きつけてやまないし、女は皆、輝天の方が良かったと言う。……黒き龍など見たくもないと顔を曇らせる」

 

 残念ながら私の心はそれほど惹きつけられなかった。だって……私は、表立って努力をひけらかさない明昊様が好きだったから。

 

「一緒に空を見上げてくれている間は、私は明昊様だけの妃です。他の妃達のことは存じ上げませんが……私は、そう約束してあるはずです」

 

 後宮にやってきた翌日に交わした約束を持ち出して『貴方が私を求めてくれている間は、誰でもない貴方のものなのだ』と強調するが、彼が怒りを鎮める様子はない。


 後宮にいる他の妃達はその心に明昊以外の人物を描いて望んだのかもしれないが。私は違う。

 ……拐かされるように妃にされても、閉じ込められても。共に夜空を見上げてくれる明昊が──、

 

「……好きです。私は明昊様が好きなの」


 私が彼への想いを直接的に言葉にしたのは初めてだったかもしれない。だから何度も「好き」だと好意を繰り返し伝える。

 

「約束通り天文台としてこの星天宮を作ってくれて、一緒に夜空を見上げてくれるのが好きです。自らのことを黒き龍だからと蔑みながらも、それでも民の為に何が出来るか考えて行動しているのも好きです」

「星蓮……それは、黒き龍である俺がどれだけ悪く言われているのか知らないからだ」

「それなら私だって、こんな外見で、胡姫が後宮にいるなんてと陰口を叩かれます。それは当然のことですか?」

「……違う。星蓮は前向きで、優しくて、いつも占いで俺を励ましてくれる。外見なんて、関係ない」

「そのままそっくり同じ言葉を返させてください。だから私はよく知りもしない輝天様ではなくて、毎日頑張っているのを知っている明昊様が好きです」

「……ハハッ、星蓮には敵わないな。俺が欲しい言葉を全て見透かされているみたいだ」


 明昊様から発せられる威圧感が無くなる。怒りを解いてくれたのだと分かり、私は話題の転換を試みた。

 

「それで、どうして明昊様はお仕事帰りに私のところへ? 何かご用事があったのではないですか?」

「いや……大丈夫だ。もう少し考えを纏めてから話すことにする」

 

 そう言って今度は哀愁を漂わせる彼を見て、私の頭の中には一つの疑問が浮かんだ。

 

(……あれ? そういえば私、明昊様に好きって言われたことある?)

 

 ドクンと心臓が大きく跳ね、衣の中を冷汗が流れる。彼の態度を考えれば好意を持たれているのは明確ではあったが、それを口にされたことは……無い。

 私は、毎日侍女によって髪に挿される簪にそっと手を伸ばす。指先で触れた冷たい感触のそれは、彼からの気持ちの証のはずだと思っていたが。妃全員が持っているものだという可能性も捨てきれない。そんな悲しい考えが脳裏をよぎった。


(ううん……言葉にされなくたって、明昊様は私を大切にしてくれているじゃない。だから……大丈夫よ)

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