【番】1

 裕福な商人の娘であったおかげで、私には幼少期から貴族の娘に近い教養が与えられていた。今となっては、やはりお父様には先見の明があったのかと感謝するばかりであるが、そんな私でも後宮に住まう妃として学ぶべき点は沢山ある。

 その一つが、龍神についてであった。


 ──龍神の寵愛を受けし者は、相応の寿命を得る。


 人間の倍以上の時を生きる龍神だが、龍神には男しか生まれない。だから人間の女の胎を介して命を繋いでいく。

 そして龍神の精気に触れた者は、その量に見合った時間を刻むようになり、龍神と共に長き時を生きる。よって不老や美貌を求める者……特に美を求める女性は、こぞって龍神の愛を得たがるのだ。


 中でもその龍神から、唯一の【番】として認められた者は同じく龍神と成り、龍神と完全に『同じ時』を生きることとなる。つまりその龍神が死する瞬間まで、同じように生きるのだ。

 しかし近年龍神が番を定めた例は無く、その詳細は不明である。なぜならば【番】の人間が亡くなれば、龍神側も息絶えてしまうから。龍神と同じ時を生きるといえども、その体は人間の方が遥かに弱い。尊い身分であり絶対数の少ない龍神は自らの弱点を増やさぬよう、あえて【番】は定めない傾向にあるのだ。


「番にせずとも子を設けられるのなら、わざわざ弱点を増やしてリスクを取る必要が無いって話ね」

 

 後宮の妃になって早三週間。天文台を兼ねた素敵な宮と、相変わらず距離感の狂った明昊様のせいで……すっかり昼夜逆転生活になってしまっていた私は、今日こそは勉強しようと、日中に欠伸を噛み殺しながら巻物を繰っていた。

 

 私は、人より長い時を生きることとなる。よってお父様や屋敷で世話をしてくれていた下女達、お世話になった街の人々、皆私より先に居なくなってしまうのだ。

 私には前世で長く病院で暮らした記憶がある分、人よりも『死』に敏感だった。親しい人を置いて逝く辛さも、仲良くなった同室の人に置いて逝かれる喪失感も知っている。

 だからこそ私は【番】というシステムは、弱点を増やす行為でも道連れでもなくて『救い』なのだと感じた。天へ続く虹の橋を、その先でも共にあることを願いながら一緒に渡ることが出来るのは、幸せではないだろうか? それほどまでに想う相手と【番】になるのであれば、決して悪くはないと思う。今世の私は、物事の美点を探すのも得意だった。

 

「星蓮様は欲が無さすぎます。裕福な商家生まれと言えども平民が龍神様の寵愛を得るだなんて、本当に御伽話のよう! 龍神の寵愛欲しさに後宮入りしたい娘は数多の数いるというのに」


 私に話しかけてきた侍女『名凛』は、大袈裟なくらいのため息を吐く。それこそ彼女は、寵愛欲しさに後宮入りを目指すも叶わず、宮女となった貴族だという。貴族らしくないきっぱりした物言いが、平民であった私には有難くて……明昊様が私に付けた侍女の中では、一番信頼の置ける者であった。

 侍女達は初めこそ私に対して嫌悪感を示していたが、一緒に過ごせば皆「星蓮様、恋占いしてください!」とせがんでくる程心開いてくれていた。その様子を間近で見ていた明昊様には、渋い顔で「星蓮は人たらしだ」なんて言われてしまった。

 

「……でも、名凛も含めてだけど。それは明昊様をお好きなのではなくて、美を保ちたいから寵愛が欲しいのでしょう?」

「当たり前ですよ。わざわざ好んで明昊様を選ぶ女はいません。いくら龍神様であっても黒き龍では、本音を言えば恐ろしくて近寄りたくもありません。他の妃達も同意見だと思いますよ」

 

「妃として何をすればよろしいでしょうか」と尋ねた私に対して、明昊様は「星蓮はしばらく星天宮でゆっくり過ごしてくれ」なんて有難いことを言ってくれたので、毎日快適天体観測生活を送っていたのだが。こうやって侍女達を通して情報だけは入ってくる。

 だから……私は知っていた。この後宮には、自分以外にも沢山の妃が居ることを。そして自分は元の身分が低いため下級妃であり、そのせいか彼女達に敵視されていることを。


(まぁ、後宮なのだから仕方ないわよね。そもそもそうやって彼の愛を奪い合う場所だもの)

 

 だからこそ私は「沢山いる妃のうちの一人だから」と、決して嫉妬心を持たぬように気をつけていた。だから一人で過ごす夜も、当然の事として受け止めた。なんなら、ゆっくりと天文台を兼ねた自分の宮で天体観測が出来るので大いに喜んだ。

 

(……でも、他の妃達は美貌を保つためだけに、恐れを抱きつつ寵愛を受けているのかしら? でもそう考えると明昊様って可哀想だわ。誰かを愛しても、同じ気持ちを返して貰うことは無かったのね)

 

 皆に恐れられているという彼は、私から見れば優しい人であった。


「妃達の中に、明昊様の番は居ないの?」

「番? あぁ、龍神族の勉強をしていらっしゃったのですね。番になった人間は鱗が生え龍神に成りますから、嫌がる女性が殆どだそうです。龍神側は運命の相手だと本能で分かるそうですが、様々な理由から番に定めないまま寄り添い生きるのがここ数百年の定番で……あっ、星蓮様もしかして!?」

 

 名凛が意味深な顔で迫ってくるので、その意味に気がついた私は慌てて否定する。単純な興味で聞いただけで、立候補したいわけでも打診されたわけでもない。

 

「なんだ……星蓮様なら有り得ると期待したのに。でもやっぱり、番になるならば皇弟の輝天様の方がいいですよね! 宮女だけでなく、後宮の妃達にも大人気ですから」


 名凛はジャスミン茶を淹れながら、私が初めて聞く人物の名前を口にした。

 

「輝天様?」

「明昊様の腹違いの弟である輝天様は、まさに白銀といった神々しいお姿で! 未成年なので母君である皇太后の宮で一緒に暮らしております。こんなことを言っては何ですが……黒き龍である明昊様はそもそも敵が多く、政上でも人情関係なしで正論を翳して孤立しがち。龍帝は早くに代替りするのではと予想されていますから、皆青田買いしたいのですよ」

「……輝天様は今おいくつくらいなの?」

「確か二十三歳程のはずです」

「にじゅう……さん」

 

 人間の年齢で考えると、それで幼いイメージが出来ず頭がおかしくなりそうだが。二十五歳で成人を迎えるという龍神族の二十三歳は、声変わりも終えていないような歳らしい。

 

「空を舞う姿は本当に美しく、目に焼き付いて離れない程です」

「輝天様は人気者なのね」

 

 私は返事を返しながら巻物を卓の上に置き、一つ伸びをして、名凛が淹れた茶に口をつけた。その間にも名凛は輝天様の素晴らしさを語り続けている。

 

 (明昊様が自身を『繋ぎ』と評していたのは、こういう所も影響していたのかもしれないわね)

 

 人気者の弟が居たのなら、彼の自己評価が下がるのも不思議ではないし、皆に好かれる輝天の比較対象として明昊の悪い噂が一人歩きしてしまうのも理解出来る。


 しかし私が見ている限り、明昊様は決して劣った龍帝という訳ではない。色を気にして龍の姿を見せずとも、必ず毎日官吏達から帝国中の様子の報告を書簡で受けて、必要な指示を補記して返す。その内容は、土地造成に関するものから、はたまた建物の建設に関するもの、租税に関するものまで様々で。ずっと勉学のみに励んできたという明昊様はそれに的確に応える。前世の知識がある私からすれば「そんな複雑な計算を電卓無しでやるの……?」というレベルのものを、さらりと算盤を弾いて答えを導き出してしまう。どちらかと言えば、それは龍帝の仕事ではなくて、優秀な官吏の仕事のようにも思えた。

 

 そしてなぜ私が明昊様の仕事内容を知っているのかと言うと……彼がよくこの宮に仕事を持ち込んでいるから。「星蓮の側でやる方が捗る気がする」と無理矢理私を膝の上に乗せるので、私は必然的に全ての書簡に目を通す羽目に陥っていた。そして時折頭を悩ませた様子で「……占って欲しい」と言われるので、彼の考えを後押ししてあげるのが私の役目であった。

 

 黒き龍ゆえ室内仕事が多い明昊様だが、外に出ないわけでは無い。屋外での活動の中でも一番心打たれたのは、『恵雨』を実践し始めたことだ。


 目立たぬように夜間に空を飛んで該当地まで赴き、鱗に願いを託して雨雲を集め、降雨の少ない地域で雨を降らせる。それだけではなく、逆に雨雲が集中している地域から雲を分散させて、水害が起こりにくいように調整する。そうすることによって、まさに全ての雨が恵雨となり、春を待つ大地に染み渡る。

 自身の鱗を剥ぎそれに願いを乗せて、降雨を調整する神々しい姿はまさに──龍帝と言うに相応しいと思った。


(私と出会う前は季節を変えられないことに劣等感を抱いていたようだけど、季節なんて勝手に巡るもの。そんなことよりそうやって降雨量を調整する方がよっぽど民のためになるわ)

 

 先代は本当に季節の巡りや気温をある程度調整していたのかもしれないが。それが出来ないからといって、明昊様が劣っているという理由にはならない。民を怖がらせないようにこっそりと力を振るう明昊様に対して『恐ろしい不幸を呼ぶ龍』なんて、言っていいわけがない。

 

(私は……地道な行いを進んでやり、それをひけらかしたりしない明昊様が……好きよ)

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