天文台2
仕方がないのでされるがまま給餌され、食事を終える。そして私は若干の虚無を瞳に宿したまま衣を纏っていた。しかし、手早く衣を纏った明昊様はそんな私を見て笑いながら寝台から立ち上がり、浮き彫り細工が施された木製の格子窓を開け放った。冬の冷たい雨の空気が室内に吹き込んできて、思わず身震いしてしまう。
「まだ雨が降っていたのか。折角のお披露目だから星空が良かったのだが」
明昊様はそう言いながら徐に自らの腕から一枚の鱗を剥がす。それをぎゅっと握り明昊様が目を瞑ると、彼を柔らかな優しい光が包み込んだ。ふわりと暖かい風が舞って、彼の長い髪が揺れる。
そんな神秘的な光景にすっかり目を奪われていた私だったが、光と風が収まりこちらを向いた彼と目が合った。
「ほら星蓮。雨雲を取り去ったから、こちらに来て空を見てごらん。星が綺麗だろう?」
「え? ──う、わぁ……! 綺麗な星空!!」
その素敵な星空に感嘆の声をあげながら、窓辺に駆け寄った。後宮の中だというのに、星空が美しく切り取られている。
「さっきまで雨模様だったのに……」
「得手不得手があるから何でも叶えられるわけではないが、俺は雨雲の取り扱いは得意なようでな」
彼は季節を変えられないことを悩んでいたが、それよりも雨雲の調整ができる方が凄い気がする。そんな事を考えながらも、私は満天の星空から目が離せなかった。
「この場所は後宮の中で一番星が美しく見える場所だった。元あった別の宮を解体し、天体観察がしやすい間取りで新しく建てさせたから少し時間が掛かってしまったが……星蓮のために建てた『天文台』のつもりだ」
私は信じられない気持ちでその言葉を聞く。まさか本当に当初の約束通り、天文台を用意してくれていたなんて思いもよらなかったのだ。
(だから平屋の建築物が多いこの煌龍帝国では珍しい二階建だったのね)
「そしてこの宮は星天宮と名付けようと思う。それに合わせて、星蓮は『星天妃』と呼ばれることとなる」
「……では初めに天文台を作ると約束してくれたあの時から、私を後宮に迎えるつもりで計画していたということですね?」
やっと話の裏が全て分かった私は、ムッとした表情を作った。
(初めからそのつもりだと伝えてくれればよかったのに! ……ううん、言われてもそう簡単には信じなかっただろうし、怪しい勧誘だと思って逃げてしまったかも)
明昊様は私が凍えぬように、肩を抱いて寄り添ってくれる。体に回されたその手は、ただただ優しい。
「……星蓮が初めてだったんだ、黒き龍である俺を奮い立たせてくれたのは。今まで五十年近く生きてきて……初めてだった」
明昊様は少しだけ自らの生い立ちを教えてくれた。
彼はその黒色を纏い、先代龍帝の長子として誕生した。しかし彼を産み落とした寵姫は産後の肥立ちが悪く儚くなり、元々明るい色の龍程尊ばれるこの国の基準と相まって『不幸を呼ぶ龍』と噂されるようになる。
そして彼は聡い子どもであった。そのため自らが民から恐れられていることを理解しており、空を舞うのは闇に紛れられる夜間に、雲の上の遥か上空だけ。そんな生活を彼は五十年近く続けていた。
「下手に目立つようなことをすれば、周囲から色んな意味で滅多刺しにされるからな」
「色んな意味?」
「そう。言葉ならまぁ良いが、物理的に血を流しすぎたり、毒を盛られると……龍神であろうとも命を落とす。だから星蓮の占い通り、俺はずっと一人で引きこもって生きてきた。そうしなければ、今この命は無かっただろう」
「酷い……龍神様になんてことを」
「良いんだ、俺は不幸を呼ぶ龍だから。物心ついた時から、そう思って生きてきた」
しかし先代龍帝が崩御され、明昊様は即位せざるを得なくなった。皆から好かれる白き龍の弟が、大人になるまでの繋ぎ……そう自分に言い聞かせて、明昊様は龍帝の座についたそうだ。
(明昊様はそんな思いを抱えて、一人で生きて来たのね……)
私はそんな生活を想像してみる。前世で一人病室で過ごした時間に、この煌龍帝国で見た目のせいで引きこもっていた時間。私にも閉じこもっていた時期があるが故に、彼の孤独や寂しさ……人肌恋しさも。理解できるような気がした。
「弟が龍帝になると思っていたから、俺はそれを支えられるようにと勉学しかしてこなかった。しかし実際の政は机上の空論では上手く行かない。行き詰まったところで助けてくれたのが、星蓮だった。こんな色をした俺でも民に恵や安らぎを与え、影から支えることができるのという言葉で、俺は初めて前を向いたように思う」
明昊様は手を伸ばし、私の髪に触れる。そして頬にかかっていた髪を耳にかけてから、そのままの流れで頬に手を添えてきた。
「どうか俺と一緒に生きてもらえないか? 星蓮は、俺が顔を上げられるように天が与えてくれた天女だと思うのだ」
「……順番が逆ではありませんか? 後宮に入れられ素敵な天文台を用意された状況でそんな話をされては、絶対に断れないじゃないですか。狡いです」
しかもすでに体を重ねた後。その時点で後戻りは出来ない。つまり実質的に明昊のこの発言は、確認の意味で言質をとりたかっただけであり、私に選択を迫るものではない。
しかし私は彼に対して好意を持っている。このたった一つの選択肢は、悪いものとは言えなかった。
「立場上それくらいの狡さは許されてもいいだろう? それに相手の退路を絶ち交渉するのは基本だ。己の要求を飲ませるには、それが一番手っ取り早い」
「いいですよ、お約束しましょう。私が大好きな天体のお話を一緒にしてくださる限り、私は明昊様と共に生きると誓います」
「……そんな言い方をされては、一生星蓮の趣味に付き合わざるを得ないじゃないか」
「ふふっ、だって交渉とはそうやってするものなのでしょう?」
私は得意げに笑って左手の小指を差し出した。
「代わりに私は約束の仕方を教えて差し上げますね。平民はこうやって、小指を交わらせて契るのですよ」
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