黒き龍3

「実は前回占ってもらった後、星について調べてみた」

「え!? わざわざ調べてくださったのですか? ありがとうございます」


 約三ヶ月前。私に星の話をせがんできた彼に「良かったら星について調べてみてください。とっても面白いですから!」と訴えていた。自分の好きなものを布教できるのは嬉しい。


「俺はこの煌龍帝国で最高峰の教育を受けて育ってきたが『星座』の話は聞いたことがない。星は夜空に浮かぶ輝く点でしかないというのが、この国の一般的な認識。それを模様として考えるのも、それに纏わる龍神の逸話も、文献が無かった」

「え? でも……私には、幼い頃からの常識です。蘇家の書棚には星に纏わる巻物も沢山ありました」


 官吏になるには血反吐を吐きそうなほどの努力が、幼い頃から必須だという。きっと明昊様はそのような人生を送ってきたのだろうが、私だって幼い頃から星座にまつわる話を聞いて育ってきたのだ。


(もしかして今まで星の話をしても周りの皆の反応が極めて薄かったのは、一般的な知識ではなかったからなの……? そんなことも分からないくらいに、流相お爺ちゃんは私に『当たり前のこと』として星の知識を教えてくれたのね) 


「まぁ星蓮は、西側諸国の血も引いている。元々この煌龍帝国以外の文化なのかもしれないし、そこに関しては深く追求する気はない。しかし……見える星座によって季節が分かるという話は興味深い。詳細を教えてくれないか?」

「えっと……星の位置は季節によって変わるのです。なので星座の位置を見れば、おおよそではありますが、いつ頃季節が変わるのかが分かります。実際にこれはお父様も利用している知識で、商いの旅の経路を決めるのに重要な役割を果たしています」


 私にとっては当たり前の知識を長々と話すが、彼はそれを心底興味深そうに聞いてくれた。

 この転生してきた異世界で。流相お爺ちゃんを除いて……彼だけは。私の好きな星の話を、真正面から聞いてくれる。


「貿易商お墨付きの知識か。最後にもう一度確認するが……星蓮は、季節は勝手に巡るものだと言うのだな? 陛下が役立たずなわけではなく、そのような願いを持って鱗を落とすのは、そもそも不毛だと言うのだな?」

「……不毛というわけではないかもしれませんが、わざわざ頑張らなくても季節は変わります。むしろそっちが常識で、龍神様が願うと季節が変わる話は逸話の類かと思い暮らしていました」


 怒られないか心配で、私は視線を落として答える。しかし私の心配は杞憂だったらしい。明昊様は嬉しそうな声で私の名前を響かせて……私の腕を引いた。そして胡座をかいて座った状態の彼の足の中に、すっぽりと収められる。


「ひッ!」


 驚きすぎて可愛くない声が喉から出てしまう。それが可笑しかったのか、明昊様は喉の奥で笑うようにして目を細めた。

 

「え!? ちょっと、明昊様!?」

「いや、驚いた声を上げる星蓮が可愛くてつい」


 違う。私は明昊様が狂った距離感で接してくるのに驚いて声を上げたのだ。それと、この体勢への移行は関係ない!

 

「……身近な人から、距離感を間違えていると言われませんか?」

「いや、言われたことは無いな。それにしても、夜空に輝く星のような煌めきを持った異国の天女、か……当たるものだな」


 どこかで聞いたような言葉だったが、どこで聞いたのか詳細を思い出せない。それよりも、明昊様が袂から一本の簪を取り出す動作に目を奪われる。金で出来たその優美な簪は龍が象られており、その龍は濃紺の玉を抱えていた。その玉は何の宝石なのか、玉虫や魚の鱗にも近いような不思議な光沢を放っている。

 

「……よければ手に持ってじっくり見てくれ」


 私があまりにも凝視していたせいか、明昊様は微笑と共に簪を手渡してくれた。


「凄い……不思議な光沢の玉ですね。明昊様の髪と同じ濃紺というか、夜空と同じ青藍というか……」


 明昊様が使うにしては装飾がいささか女性向きな気もするが、素敵な簪に間違いない。

 私はまじまじとその簪を眺めていたのだが……明昊様の指先が私の髪を地肌から梳くようにして滑るので、我に帰った。


「ちょっと、明昊様! 一体何を──」

「ジッとしていてくれ。すぐに出来るから」


 明昊様は髪の上半分をまとめてくるりと巻き、団子にする。そして私の手からその簪を引き抜いて、髪を留めた。


「出来た。……うん、星蓮の髪には銀の方が映えたかもしれないな」


 私の金の髪には、金の装飾品は埋もれて見えてしまうのかもしれない。


(勝手に挿しておいて失礼な……)


「……明昊様の方がお似合いかと。そもそも私のような平民に、このような優美な簪は似合いません」

 

 自分で言うのもなんだが、私は貿易商のお父様のおかげで目は肥えている。これはお綺麗な後宮のお妃様なんかが使うような品だ。


 私は挿された簪に手をやる。玉の下に連なる小さな真珠混じりのシャラリとした金属の房が指先に当たり、冷たい金属の感触が伝わった。


「すまない、気を悪くしないでくれ。どうしても銀は嫌で、金で作らせたんだ。それに夜空と同じ色の玉は、星蓮の髪色によく映えて似合っている」

「ありがとうございます。自分ではよく見えないのが残念ですけど、お返ししますね」


 私は髪から簪を引き抜いて、明昊様に差し出した。彼がまとめてくれた髪がパサリと落ちてきて肩に当たる。

 しかし彼はまた手を引っ込めてしまい、返却しようとする簪を受け取ってくれない。またこの展開か! と思い、無理やり彼の髪紐を解いて髪を結い挿して返却しようとするが、両手首を握られて止められてしまった。 


「星蓮に渡したくて作った簪だ。どうか受け取ってもらえないだろうか? そして毎日身につけてもらえると嬉しい」

「いやいやいや……こんなもの頂く理由がありませんから! それにこんな高価なものを付けて市なんて歩けば、一瞬で盗まれてしまいます」

「ならば懐にしまって、大切に持っていてくれ。俺だと思って」

「……天文時計の修理のために、売り飛ばしてもよろしいでしょうか?」

「はは! 星蓮の冗談は面白いな。それを売れば天文時計の修理代どころか、天文台すら買えてしまうぞ」

 

 思わず私は閉口した。この煌龍帝国では、簪を異性に送るのは求婚の証ともされる。前世で言うところの、婚約指輪を渡しての求婚に近い。しかも明昊様は……私に渡したくて作ったと明言した。これで意味を取り違えていたならば大変恥ずかしい。

 

(どうしてここまで私に執着してくるのか、理解出来ない)

 

 天文時計が壊れるきっかけを作ってしまったから、励ましてもらったから……占いが前を向くきっかけになったから。そんな理由で、求婚するほど私を好きになる?

 チラリと上目使いで彼の表情を伺うと、熱を含んだ金色の瞳と視線が交わる。その熱で蕩けてしまいそうな心地になりながら、私は簪を握り直した。


(私は? この人が……好き、なの?)


 乱れたままの心臓の音は、こんな私の考えを肯定しているのかもしれない。

 

 陛下と共にこの国を良くしていくために頭を悩ませている、真面目な人だから。

 ──それ以上に、私にとって……流相お爺ちゃん以外に、初めて楽しげに星の話を聞いてくれた人だから。


 私はフルフルと頭を横に振って火照った頬とその思考を誤魔化す。

 

(大きな身分違いよ。叶うわけもない恋に身を落とすべきではない。この感情は──気のせい)


 前向きな性格といえども、向こう見ずではない。自らに言い訳する私に、明昊様は変わらぬ笑みを向ける。


「売りたいなら売ればいい。俺が渡した簪を売った金で星蓮の好きなものが買えるのであれば、それもまた一興だ」


(求婚のために簪を贈ったのであれば、売るなんて言えば……怒ったり気を悪くするわよね? 笑っているということは、やっぱり私の意味の取り違えかしら)

 

「……わかりました。では、大切に持っておきますね」


 私はあえて、簪を贈る意味に気が付かなかったふりをした。簪を袂に仕舞って、にこりと微笑んでみせる。平民の私は、彼に本気になるわけにはいかない。

 そんな私の偽りの表情に気がついたのだろうか? 明昊様は笑顔の下に、少しばかりの憂いを混ぜた。


「今日も一緒に星見をしようか?」

「えっと……少し寒いので、今日は帰りたいです。冬空の下で星見をするのでしたら、もう少し着込んでこないと」

「分かった。ではもう少しだけ……こうやって暖を取らせて欲しい」


 言い訳をして逃げようとする私だったが、それでも、こんな憂い混じりの微笑で両手を包まれてしまえば……拒めない。

 大きな音を立てる心臓と体の熱を冷ますかのような冬の風が吹いて、地面に置いたままになっていた十二宮図を飛ばす。それと同時に、私が髪紐を取ってしまったせいで風になびく濃紺の長髪からは微かに白檀の香りが漂う。衣を平民と同じにしても隠しきれていない、ちょっとした貴族らしさが……身分違いを強調しているような気がした。

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