黒き龍1

「……名前、かぁ」

 

 天文時計バラバラ事件の、おおよそ三ヶ月後。屋敷の近くにある馴染みの食堂前で占い師として客引きをしていた私は、ふと明昊様のことを思い出して、ポツリと独り言をつぶやいた。独り言の後に出たため息が冬の冷たい空気と混じり、口元から白いモヤとして登っていく。

 どうして彼は名前負けしているなんて言ったのだろう。それほどまでに仕事で追い詰められていたのだろうか?

 

「星蓮ちゃん、俺の名前を忘れちゃったの?」

 

 向かいの露天で野菜を売っている大男が、親しげに話しかけてくる。

 

「もう一回初めましての握手からやり直そうか!」

「貴方の名前は覚えているから結構よ。虎鉄さん」

 

 珍しい容姿の私は人から遠巻きにされることが多い。内面を知る人は普通に接してくれるが、恋愛感情を持たれることは少ない。……その恋愛の先を考えた際、その外見が子孫に引き継がれることを危惧する者が多いからだ。

 しかし中には珍しいもの好きなのか、しつこく言い寄ってくる変人も存在する。屋敷の下女たちに「そういうのは相手にしないのが一番ですよ」と助言されていた私は、その忠告通り華麗にスルーすることで身を守っていた。

 

「星蓮ちゃんよぉ、今日も冷たくないかぁ?」

「おい虎鉄。星蓮が困ってるだろう? やめてやれよ」

「営業妨害だって嫌われるぞ」

 

 偶然通りかかった食堂の常連客達が、私を庇って彼の視線を遮ってくれる。私は彼らにお礼を言って、まだ夕刻だったが引き上げることにした。

 

(結局あれから音沙汰無し、か)


 興味深げに星の話を聞いてくれた明昊様が私を離してくれたのは、夜空が白み始めた頃だった。私は天体観測が趣味で夜通し屋敷を留守にしている時もあるので大丈夫だが、通常の女性なら家人に心配されるだろう。

 その後明昊様は天文して部品が残っていないかを確認してくれた。一つに結んだ長い髪が地面につくのが申し訳なくて断ったが「金の髪は泥がつくと目立つが、俺の色だと目立たないから」と聞き入れてもらえなかった。

 その代わり、屋敷まで台車を引いて送ると言われたのは……必死で断って、なんとか聞き入れてもらった。

 

 あの日からおおよそ三ヶ月。彼には一度も会っていない。

 

(まぁ、いっか。こうやって地道に占いをしていれば、そのうち修理費も貯まるだろうし。久しぶりに楽しく星の話が出来て良かったと思っておこう)


 そんな風に考えながら、夕日が影を織りなす道を歩いていると、突然私の正面に伸びる影が大きくなった。

 

「久しぶりだな。元気にしていたか?」

 

 振り返った私の目と鼻の先に立っていたのは、まさに今頭に思い浮かべていた明昊様だった。あまりに近すぎて、彼の胸に突っ込んでしまいそうだった私は、一歩下がって彼を見上げる。

 相変わらずの気品ある雰囲気であるが、纏う衣服は相変わらず一般平民と同じ長衣。旅人風ではないにしろチグハグな感じが否めない。

 約束の天文台はどうなったのかと口にしようとしたが、それより先に明昊様が人差し指を立てて自らの唇に付けた。

 

(あ……そっか。こんな場所で天文台なんてお金の話をすれば、貴族であるのがばれてしまうわ)

 

 きっと貴族であることを隠したいのであろう。黙っていて欲しいのだと容易に予想できた。


(それよりも! 前回はベタベタと抱きつかれてしまったから気をつけないと)


 私はそんなことを考えつつ、もう三歩下がって彼と少し距離をとりながら話しかけた。

 

「……今日はどのようなご用件ですか?」

「そんなに警戒しなくても」

「しますよ! 前回、明昊様が私に何をしたか、覚えてますか?」

「ただ抱きしめて額に口付けて、話をして……それだけのはずだが」

「『だけ』で済む話じゃ無いですから!」


 あんなことをされて、『だけ』で済まされては困ってしまう。今日は彼のペースに巻き込まれないようにしなくては。

 

「ちゃんと家に帰したのだから『だけ』で済むと思うのだが……今日は客として占ってもらおうと思って来ただけだ。星蓮は占い師なのだろう?」

 

 明昊様は金銭が入っているのであろう袋を私に差し出す。条件反射で出してしまった両手に、ずっしりと重みのある麻袋が置かれた。

 

(ひっ……これ、貰っていい金額じゃない!)

 

 中身を見なくたって分かる。全てが銅銭だったとしても、この帝都に住む平民一人の二ヶ月の生活費にはなる重さであった。

 

「お、お返しします!」

 

 慌てて麻袋を返そうとするが、手を後ろで組まれてしまって、受け取ってもらえない。胴体にぎゅうぎゅうと押し付けてみるが「か弱い力だな」と相手にしてもらえない。

 

「もう! こんなに頂けません。せめて半分にしてください」

「俺は君の占いにこれだけの価値があると思って支払っているのだが?」

 

 埒が明かないので、私は袋の口を開けた。数枚の銅銭を貰って、あとはどうにか返そうと思ったからだ。しかし……出て来たのは、麻袋には似つかわしくない金貨だった。

 

「……幻?」

 

 想像を絶する金額が入っていたことに驚き、私は呆然としてしまう。そんな私の様子を偶然見ていたのか、それとも後をつけてきたのか。虎鉄さんが近寄ってきて、大声を出した。

 

「どこの豪族か官吏か貴族か知らないが、その金で星蓮ちゃんを買おうって言うのか!? 星蓮ちゃんは妓女じゃねぇんだ。商家のお嬢さんなのに、夢の為に健気に働く良い子なんだよ!!」

 

 その大柄な体から発せられる声は本当に大きい。声量の圧で吹き飛ばされそうになる私であったが、明昊様は全く堪えていないようだ。それどころか今まで纏っていた気品を消し去って、凍えそうなほど冷たい響きの声を出す。

 

「知っているが、何か? これは俺と星蓮の話だ。横から会話に割って入るなど、非常識だろう」

「な……お前なぁ!!」

「とりあえず虎鉄さんは落ち着いてください。明昊様、向こうで話しましょう!」

 

 とりあえず無駄な喧騒だけは避けたい。だから私は明昊様の手を引いて市が立ち並ぶ地区を駆けた。ひとまず虎鉄さんに嗅ぎつけられない場所に行かなければ、話がややこしくなる!

 その思いで必死に走ってやって来たのは、帝都を囲む城壁だった。城壁の上はその高さのおかげで星見の特等席。私は時折りこの場所で星を眺めていた。傭兵が登るための梯子を使って上に登り、周囲に人影がないことを確認してから、明昊様にも上に登ってくるように声をかける。

 

「ふっ……まるで逃亡劇だな。逃げずとも俺の権力を持ってすればあんな男、どのようにでも出来るのだが」

「笑い事ではありませんよ。それに、明昊様は身分を明かしたく無いのでしょう?」

「そういう訳ではないが……伝えるのならば、今では無い方が良いとは……思った」

「──? まぁ何でもいいです。ここならゆっくり占えますから、何を占いたいか教えてください」

 

 城壁の上で向かい合って座り、私は麻袋から金貨を一枚だけ取り出して、袋を彼に返す。


「これは全て星蓮に支払った代金だ」

「こんなに頂いたら私、一生明昊様のお側で働く羽目になってしまいます」

「甘美な響きだな」

「ふざけるのは辞めてください。……それで? 明昊様はまた何を悩んでいらっしゃるのですか? 私の占いで少しでもその心が軽くなればいいのですけど」


 私の言葉で、明昊様は憂いを混ぜた笑みを見せる。


「星蓮はすごいな。うちに勤める占い師達より優秀なんじゃないか?」

「人は皆、悩みがあるからこそ占いに頼りたいのですよ」


 そして私が悩みの詳細を尋ねると、彼は言葉を選びつつゆっくり話し始めた。

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