出会い3
彼に抱かれたままになること数分。近くでよく見れば彼の髪は黒色ではなくて、少しだけ青み掛かっていた。
「貴方の髪、よく見れば濃紺なのですね」
「……え? あぁ……そうだな。この国の民のような真っ黒、というわけではないな」
「素敵ですね。青藍の夜空とお揃いで羨ましいです」
私の肩から顔を離した彼の目は見開かれ、より満月に近い形となる。
「羨ましい? 俺にとっては憎くてしょうがない色なのだが」
「私にとっては大好きな夜空と同じ色。しかも金色の瞳は満月のように綺麗だし……だからって訳では無いですか、もう少し自分に自信を持って、前向きに──ッひゃぁ!」
私は突然額に接する柔らかな唇の感触に驚いて悲鳴をあげた。
「な……!? え? どうして」
「君の名前を、教えてくれないか?」
「えぇ!? ただの平凡な町娘ということで、お忘れください!」
「頼む。俺を励ましてくれた恩人の名前を知りたいんだ」
「嫌です!」
「では、教えてくれるまで離さない」
「は!?」
占いで感謝されることはあれども、泣いて感動されるなど初めて。しかもそれで抱きしめられたことなんて無いし、接吻なんてごもっともだ。警戒心から身を固くするが、彼はどこまでも自分のペースを崩さない。
私は、彼を哀れんだ数分前の自分を殴り飛ばしたいような気持ちで、自分の名前を渋々口にした。
「蘇星蓮です。夜空に輝く星に、蓮の花と書いて、セイレンと読みます」
「そうか、君らしい名前だ。空を見上げて笑う様が蓮の花のように美しくて、まさしく名は体を表すといった具合だな」
「……西側諸国の響きだと、馬鹿になさらないのですか?」
大抵この名を初めて聞いた者は、私見た目も相まって「西側の血を引いているのか?」と、他国の血を引いていることを話題にする。この煌龍帝国の民は龍神様の治める国に暮らす自分たちに誇りを持っているので、他国民は下に見る傾向があった。龍神は明るい色の方が尊ばれるのに対して、帝国民は黒々とした墨の色が基本なのだ。
「どうして馬鹿にする必要がある? 君らしい素敵な名前じゃないか。君の両親は先見の明がある人なのだろうな」
名前から両親を褒められたのは初めてだった。むしろ「娘を帝都に放ったらかして商売ばかりの守銭奴」と噂されがちなお父様を、初対面の人が褒めてくれるなんて今までに一度もなかった。
たったそれだけのことが、彼への警戒心を緩やかに溶かす。
「……ええ。商いが上手で、私にいつも土産話を持って帰ってきてくれる立派な人なのです。母は早くに亡くなったので顔は覚えていませんが、父曰く髪色がそっくりなのだとか」
「さらりとしていて輸入物の絹糸のような髪だな。指通り滑らかで、いつまででも撫でていたくなる」
名前を教えたのに抱きしめられたまま、手櫛で髪を梳かれる。どこからどう見ても星空の下で抱き合う恋人同士のような甘い雰囲気に、私は切羽詰まった声を出し、身を捩った。
「あの、いい加減離してください。ちゃんと名前教えたのに!」
「星蓮。君の大切な物を壊してしまったお詫びをさせてくれ」
「離す離さないは、お詫びと関係ないですよね!?」
「離せば逃げるだろう? 暴れずに大人しくしてくれれば、少しは考慮するかもしれないが……それとも後日正式に家まで押しかけた方が良いのだろうか。何を手土産として持参するか悩ましいな」
こんな気品が滲み出る男性が手土産を持って屋敷に押しかけてきたら「ついに星蓮様にも恋人が!?」と、下女達が勘違いして騒いでしまうに決まっている。気前は良いが脅しでしかない言葉に、必死に逃げ出そうとしていた私の動きは止まった。
「だから、壊したのは貴方では無いので、お詫びは要りません……!」
「俺が驚かせたのだから、俺が壊したも同然。だからお詫びとして君の願いを叶えさせてくれ」
どうやらこの男性、なかなか頑固な上にマイペースだ。抵抗しても無駄だと気がついた私は、彼の提案を受け入れた方が話が早いと、方向転換する。
「……本当に何でもいいのですか?」
「ああ、何でもいい。死人を蘇らせろとか、理を覆すものは不可能だが……最大限努力はする。その壊れた機械を元に戻せと言われたら出来ないが、職人を手配することならできるし、その費用だって工面できる」
(……つまり恐らく貴族である彼は、その財力でお詫びをすると言っているのね)
ならば……と考えた私は、半分冗談で大きすぎる願いを口走った。
「じゃあ私専用の天文台が欲しいです」
「天文台?」
「天体観測をし易い構造をした特別な建物よ。天文時計を作り直す費用はまだ自分で稼げるけど、天文台を建設する費用は工面できないもの」
前世から憧れていた天文台。建設費用が莫大なものになるだろうから半分冗談だったのに、彼はその大きすぎる願いを了承した。
「分かった。専用の天文台だな?」
「ええそうです、天文台……って! 冗談ですよ!? 高額すぎます!」
「しかし、欲しいという気持ちに嘘はないのだろう?」
「それは……そうですけど……」
「ならば叶えよう。星が一等綺麗に見える場所に星を見易い建物を用意してやる。それよりも……もう少し星の話をしてくれないか? 星蓮の話は興味深く面白いから。そうだな……龍神に投げられた蛇座はその後どうなったんだ?」
戸惑う私に話題を振りつつ微笑む男性は、変わらず甘い雰囲気を漂わせたまま、私を捉え離さない。
「ちょっと、約束が違いますよ? 願いを言えば離してくれるのではなかったのですか!」
「叶えたら離すと言ったんだ。まだ叶えていないから解放できないな。だから俺が満足するまで星の話をしてくれたら解放しよう」
「……は!?」
「それで? 蛇座は、自身を投げ飛ばした龍神を恨んでいないのか?」
「……もう。じゃあ少しだけ話しますけど、そもそも蛇座の蛇が龍神様に投げられたのは、龍神様の妻に懸想して怒りを買ったからで──」
普通なら叫んで逃げ出すような状況でも、私は何故かそうしなかった。
天文台をちらつかされているからとか、名前を褒めてくれたからとか、きっかけは複数あるかもしれないが……
(楽しく星の話を出来る人って、流相お爺ちゃん以来だわ)
私に星座や星の逸話を教えてくれたのは全て流相お爺ちゃんだった。そしてこの煌龍帝国の人々は、星の話を好まない。明るい太陽のような先代龍帝を崇めていたことからも分かるように、夜空の静かな輝きに魅力を感じてくれないのだ。
たったそれだけの理由が、彼が私の心に滑り込む理由となった。
「──それで貴方は……って、これでは話しづらいわ。貴方の名前も教えてくれませんか?」
「……明昊だ」
一瞬彼の表情が固まったように見えたが、気のせいだったのだろうか?
「メイコウ様ですね。字は?」
「明るい『明』に、空を指す『昊』だ。……名前負けしていると俺自身も思っているのだが」
「素敵な名前ですよ。誰が何と言おうが、私は好きです。明昊様」
前向きな言葉をかけたはずなのに切ない表情を浮かべる彼の気持ちが、私には分からなかった。
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