出会い2
丘の上に着く頃にはすっかり周囲は暗くなっており、青藍の空には星が煌めいていた。私は台車を置いて軽く伸びをして、空を見上げる。
「流相お爺ちゃん……私、ついに天文時計を完成させたよ」
占いの師でもあった流相お爺ちゃんは、三年前に病で虹の橋を渡り、私は広い屋敷の中でひとりぼっちになった。
屋敷の中にはお父様の仕事仲間や下女達も沢山いる。平民であるにも関わらず、貴族のような裕福な暮らしをしている自覚もある。しかし私にとって趣味や本音などを心から話し合える人は、流相お爺ちゃんしかいなかったのだ。一緒に星を見上げ、日々の他愛もない出来事を報告し合う時間が、何よりも大切だった。
私は滲んだ視界を長衣の袖で拭いた。そして天文時計の文字盤と夜空を実際に見比べてみようとしたところで、何者かに後ろから軽く肩を叩かれる。
「そこの女人。少し聞きたいのだが」
「ひゃっ!?」
周囲には誰も居ないと思い込んでいたので肩の感触に驚き、前に飛び出してしまう。そして台車に足を引っ掛けてしまい、私の体は地面に向かって傾いたが、正体不明の男性に後ろから支えられる形で難を逃れた。
「すまない。驚かすつもりはなかったのだが」
そんなことを言われたって、突然後ろから触れられたら驚きもする。心臓がバクバクと大きな音を立てたまま、身を捩るようにして男性の方を見た。
「こんな暗闇で触れられれば、誰だって驚き……あら?」
私を支えているのは、街中で占い師三人組に囲まれていた男性であった。この煌龍帝国では一般的な黒髪だが、その腰まである長い髪には艶があり、髪紐で一つにまとめられている。服装は旅人のようだが、どことなく気品が漂っており、只者ではない雰囲気であった。私の腹を支えるような形で後ろから巻き付く腕は細身でありながらも力強く、私を捉えたまま離さない。
(わ……満月のような金の瞳! 綺麗──)
思わず見入ってしまうが、私はすぐに正気を取り戻す。
「は、離してください。叫んで人を呼びますよ」
見知らぬ男女という二人の関係。そこに相手の容姿など関係ない。
「俺は転びそうなのを助けてやっただけなのだが、不審者扱いか?」
「離してくれないのなら、立派な不審者です!」
何故か離してくれない男性と言い合っていると、聞こえる訳のないガタガタという音が耳についた。ハッと気がついた時にはもうすでに時遅し。恐らく躓いた時に動き出してしまったのであろう……天文時計が乗ったままの台車は、勢いよく坂を下っていた。
「きゃ──ッ!? 待って待って、待って!?」
全力で男性の腕を振り解いて、台車目掛けて駆け出す。しかし全力疾走も虚しく、坂を下り切った台車は一本の大木にぶつかって転倒。乗せていた天文時計も宙を舞って地面に叩きつけられるようにして落ち、バラバラに壊れてしまった。
ショックで言葉も出ない私は、壊れた天文時計の前でただただ呆然と立ち尽くした。
六年間の努力の結晶がこうも簡単に壊れてしまっては、やるせない気持ちで埋め尽くされて動けない。私を追いかけてきた男性は、目の前の状況に気まずそうな声を絞り出した。
「……すまなかった。俺のせいだな」
気持ち的には「そうです貴方のせいです! 弁償してください、責任とってください、時間を巻き戻してください!」と叫びたいほどであるが。……私は、もう大人だ。それが相応しくないことくらい理解できる。
──だから。しゃがんで天文台の部品を拾いつつ、涙を堪えながら返事を返した。
「気にしないでください。私の不注意もありましたし、せっかくなのでもっと改良して作り変えます」
「……どうして君は、そんな前向きになれるんだ? 様子から察するに、その機械は君の大切な物だったはずなのに。俺を罵倒したりもしない」
予想外の質問に手を止める。そして私は振り返って、立ち上がった。
「そんなことをしても、天文時計は戻ってきませんから。『失敗も糧にして、次こそ最善の一手を』ってお父様も言っていたもの。だから悲しくても前を向いて、顔を上げるの」
それを座右の銘に掲げているお父様は、成功している大商人だ。日本で暮らした記憶を取り戻し前向きになった私は、そんなお父様の言葉も心の支えにして、あえて前向きにあろうと努力している。……再び引っ込み思案な自分に戻ってしまわないように。
「良い父上だな。……ちなみに天文時計とは? 聞いたことのない言葉だが」
「月や太陽、星の位置などを自動的に合わせて今現在の空の様子を表してくれる、西側諸国由来の機械です」
「そんな凄いものだったのか……壊してしまって本当に申し訳ない」
「気にしないで。これはきっと、龍神様のお告げなの。もっと良いものを作りなさいと言ってくれているのよ」
母が生まれた国では日本と同様に「天の神様のお告げ」と言うらしいが、この煌龍帝国ではそれを「龍神様のお告げ」と言う。そうやって物事を人の手の及ばない所からのお告げと捉えて納得する方法は、よくある思考の一つであるが。……その言葉に、男性は整った顔を歪めた。
「龍神である龍帝が黒き龍だから、こうも悪いことばかりが起こるのだろうな」
「えぇ……?」
(なんだかやけに後ろ向きな人ね……そういえばこの人、黒き龍について占ってもらっていたわ。龍皇帝陛下の関係者なのかしら?)
そう考えれば、身なりに反して気品ある雰囲気漂う理由にも納得がいく。貴族出身の官吏とか、龍皇帝陛下の側近とか、そういった類の人なのかもしれない。きっと今の治世に悩み、この国の行く末を危惧して、藁をも掴む思いで旅人に扮し街に降りてきたのだろう。
(別に、龍帝が黒き龍だから悪いことが起こる訳ではないと思うのだけど……この人、よっぽど気が滅入っているのね)
男性の様子からして無体を強いられることはなさそうだ。そう感じた私は彼に近づいて長衣の袖を指先で摘み、天を指さした。
「あの明るい星、見えますか? そこから星をこう繋いだら……あれは蛇座。昔悪事を働いた蛇が龍神様に投げられて、そのまま星になったのですって。龍神様って凄いですよね」
「……蛇が投げられた?」
「ちなみにあっちの、東の空から登ってきているのが麒麟座。麒麟ってご存知ですか? 伝説上の生き物で──」
呆然とする男性を他所に、私は星座の説明を続ける。流相お爺ちゃんが亡くなってから誰も星の話なんて聞いてくれなかったので楽しくなってしまい、ついつい熱を込めて話しすぎてしまう。
「ほら、あの星とあの星を繋げると、麒麟の尻尾に見えるでしょう?」
「分からないな……俺には獅子に見えるし、そんな逸話は初耳なのだが……」
男性はそう言いつつも枝を拾って、ガリガリと地面に星座を描いていく。
「ほら。こう繋げると、麒麟ではなく獅子だろう」
「わぁ、本当! これは新発見だわ。むしろこの角度から見れば獅子の方が似ているかも」
手を叩いて喜ぶ私とは対照的に、男性は相変わらず困惑顔で首を傾げる。
「それで──君は何が言いたい?」
私はあえて淡く微笑んだ。この国では珍しい西側諸国由来の容姿を持っているからこそ、微笑が神秘的な雰囲気を醸し出す。
私には、天才と言われた流相お爺ちゃん程の才は無い。日本でも占いにはノータッチだったので持ち越した知識も無いし、なんなら異世界なので夜空に浮かぶ星座すら異なっている。
だからこそ、珍しい容姿から作られる雰囲気で神秘性を増して、お客様が顔を上げられるように前向きな言葉をかける。占いをベースにしつつもそこに前向きになれるような言葉を足して……むしろその励ましをメインにした、占いと言えるのか怪しいような手法が私の『占い』
見えた事実を率直に伝え注意を促す占い……言わば警告のような占いが主流であるこの煌龍帝国では、こんな占いでも「元気が出た」と喜んでもらえることが多く、私の売りとなっていた。
だから私は空に向かって両手を伸ばす。この旅人風の男性を励ますために。占いではなく、ただ占いのフリをした前向きな言葉を贈る。
「青藍の夜空は、黒き龍である龍皇帝陛下のようだと、私は思います。陛下の色の中で、きらりと輝く星達。それって私達、民のようだと思いませんか?」
「夜空が龍帝で、星が民……?」
私の視線に釣られて、その男性もまじまじと夜空を見つめる。先程まで曇っていた金の瞳に、月の光が差した。
「星の姿は、昼間は見られません。でも夜になるとこんなに輝く。同様に今の陛下の治世だからこそ輝く人だっているはずです」
陛下の関係者として悩んでいるのであろう彼に、精一杯の励ましを送る。お金も貰っていないし、そんなことをしてあげる義理は全くない。しかし少なくとも日中からはずっと悩んでいるのであろう彼に対して……哀れみの心が沸いたのだ。
(見た目で悪く言われてしまうのは、私も身に覚えがあること。黒き龍である陛下だって辛い思いをしているはずだし、その側で仕えているこの人も大変なはずよ)
「君は……黒き龍が空を舞うとどうなると思う?」
昼間占い師三人組に投げかけていたのと、同じ質問。それを問う低い声は、僅かに震えていた。
「それは星占いをご希望ですか?」
「……ではその観点からの意見をお願いしたい」
生憎今は天体観測をしにきたので、占いの道具は持っていない。しかし私の星占いの長所は『前向きな言葉での励まし』で、売りはそこである。黒き龍であっても空を舞う姿はきっと美しいだろうと思い、私は口を開いた。
「黒は就寝する時の、安らぎの夜空の色です。他にも、恵の雨をもたらす雲は黒ですし……黒き龍が空を舞うと不幸が舞い落ちるなんて話は嘘で、私たちの生活を影から支えてくれると思います。もしかすると私のような下々の者は知らないだけで、既に陛下はそうやって私たちを支えてくれているのかもしれません」
金色の龍だった先代龍帝が非常に目立つお人で、太陽に例えられていたのを考慮しての発言のつもりだった。
少しも占いではない、ただの前向きな言葉は……彼の心に刺さっていた棘を引き抜いたのだろうか? 彼の頬には一筋の涙が伝う。
まさか泣かれると思わず狼狽えるが、男性はそんな私を掻き抱くようにして抱きしめた。
「ちょっと……!?」
「……すまない。少しだけ……あと少しでいいから、このままで」
私の肩に埋められた彼の口から、掠れた声が漏れる。その声で余計に哀れみの心が増した私は、そのままの体勢で彼が落ち着くのを待った。
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