第6話




 面接会場で暴れてから二週間が経った。


 竜也=イグアスは、必死になって就職試験を受けた。一日平均三件、多い日は五件。

 来る日も来る日も、エントリして、飛び込んで、そして、全敗。九割以上、年齢でNG。残りは、経歴学歴がないことで、NG。

 俺が、高校に入学してからほどなくして不登校になったので、最終学歴は中卒。スカスカなことに変わりはなかった。

 ただ、見違えるほどの変化があった。履歴書の字が、驚くほどの美文字になった。もともとくそ真面目で几帳面で、しかも向上心があって新しい知識を貪欲に取り入れるタイプで、とにかく勤勉なイグアスは、何度も何度も書き直して、練習して、日本語の文字を書けるようになった。俺の見た目だから当てにはならないが、おそらく、習字のコンクールに出したら入賞、段位も取れるのではないか。


 でも、イグアスのそばには、そのことを一緒に喜んでくれる人はいなかった。


 スマホを見ると、たくさんの通知が来ている。毎日、LIMEでメッセージが届く。

 みなとさんと葵さんから。だけど、イグアスはメッセージを見ようとしなかった。届いたメッセージを、開くことなく、未読無視をし続けた。やがて、一時間に二〜三通来ていたメッセージは、一日に一通、来るか来ないかになっていた。

 確認するのは、企業にエントリして、落ちた通知ばかり。


「かあさん!」

 あの日、病院からの連絡を受け、竜也=イグアスは、慌てて病院に駆けつけた。

 疲れ切って、目の下が落ちくぼんでいたお袋が、白いベッドの上に横たわっていた。過労だとのことだった。腕まで管が伸び、点滴を打っている。

 イグアスが心配していると、怒られた。

「あんた、バイトはどうしたんだい。とっとと働け!」

 とても病人とは思えない剣幕だった。

 その日、バイトはサボった。しかし、お袋から怒られたので、翌日は行った。

 引っ越し屋のバイトは、一週間前から始めていた。イグアスは勇者だった。だから、毎日、俺のなまりまくっていた身体を鍛えていてくれた。だけど、もともと引きこもりだった身体に、すぐにまともな筋力がつくわけはなかった。せいぜい、贅肉が減って、いいダイエットになった程度。筋肉もスタミナも足りず、引っ越しの荷物を運ぶことで精一杯。

 若い社員がトラックを運転し、同じくバイトの高校生と三人で引っ越し先に向かい、荷物を運ぶ。しかし、高校生は要領がよく、社員に気に入られる会話はするが、仕事は手を抜く。そして、社員は、あからさまに、俺を、イグアスを、三八歳の男を馬鹿にした態度をとる。

「こんなのも運べねえのかよ!」「働いてくれよ! 給料払ってんだぜ!」「いい年したおっさんが、バイトとか恥ずかしくないのかよ!」

 どれほどの罵詈雑言を浴びせられても、イグアスは、文句も言わずに働いた。

 仮にも、勇者として魔王を倒し、輝かしい経歴で王国に仕えていた戦士が、引っ越し屋のつんつるてんの制服に身を包み、帽子をかぶり、自分よりも若い連中に頭を下げる。それでも、がんばった。

 そして、一週間。

 たまたま、本当にたまたま、ある現場で、必死になって荷物を運んでいたところ、社員が荷物をぞんざいに扱ったせいで、イグアスの持っていた荷物にぶつかり、荷物が落ち、更に、社員の振り払った手が、イグアスのかぶっていた帽子をはねのけた。

 たいしたことじゃなかったかもしれない。普段だったら、笑って済ませるレベルだったはず。だけど、飛ばされた帽子が、流れ落ちた汗とともに、ゆっくりと地面に落ちるのを見た瞬間、イグアスの中で、何かが切れた。

 侮辱? 違う。そんなことじゃない。俺にはわかる。イグアスの中で、「仕事」に誇りを持てなくなっただけだ。

 たいしたことじゃないんだ。大きな事件はないんだ。

 ただ、ただ、日常のほんの些細なことで、人の心は折れる。

 あのとき、高校に行けなくなった俺のように。イグアスも、勇者も、一人の人間なんだ。

 どれほど高潔な勇者だろうと、ただ弱くてもろい人間なんだ。我慢して我慢して、イライラを抑えるのも、限界になった。イグアスは、帽子を拾った。トラックの荷台で荷物を拾おうとして固まっている、社員を見た。まるで、殺さんばかりの鋭い目つきで。イグアスは、手を振りかぶった。その拳を、トラックの荷台、社員が立っている足下に、振り下ろした。

 が。叩きつけようとして、空中で止めた。

 数瞬。時間が止まる。社員は、固まったまま。いつもは横柄な態度の高校生も、動かない。

 イグアスが、にっこり笑って、

「はい、荷物」

 社員は、「あ、ああ……」とかなんとか、要領を得ない言葉を吐いてから、竜也=イグアスに言う。

「あの、わざとじゃない、ですよ……」

「はい」

「怒ってます?」

「はい」

「あの……」

「荷物」

「へ?」

「荷物、次」

 イグアスは、自分を抑えた。

 面接の時の反省もあってか、この世界のルールに合わせて。力でねじ伏せるのは、この世界のやり方じゃない。もし今ここで社員を殴っても、一瞬はスカッとするかもしれないが、それだけ。解決でも何でもない。そもそも、解決すること自体が必要ない。そんなものに、何の価値もない。

 そう気づいてからは、バイト先からのシフト調整の連絡も全て無視して、行くのをやめた。手元には、この一週間のバイト代、約一〇万円弱だけが残った。労働の対価を得た喜びはなかった。ただ、手元にある紙切れに、異常なまでの虚しさを感じただけだった。

 どうせこの紙も、日々の生活の中で、すぐに消えていく。元いた世界では感じたことのない感覚。だんだん、現実の世界の感覚に染まってきた。

「バイトはどうしたの!?」

 そんなことを知るよしもないお袋は、イグアスを問い詰める。やめた、と言った。働いたら負けだ、と。それはイグアス、お前が言ってはいけない、俺の言葉だ。

「一週間も持たないで! そんなんだから、何をやってもうまくいかないの!」

 病院のベッドの上で、お袋が泣いていた。「情けない、情けない」と何度もつぶやき、怒りながら、泣いていた。

 みなとさんと葵さんの協力を得て、バイトが決まったと報告したときに、喜んで涙まで流したお袋。今は、違う涙が流れている。

 ああ、ごめん。ごめんよ、母さん。俺が悪いんだ。イグアスのせいじゃない。全部俺が悪いんだ。俺は、イグアスのことを、否定できない。可能なら、イグアスを責めないであげてくれ。むしろ、ごめん、ごめんよ、イグアス。異世界では勇者だったあなたに、無職という俺の人生の負債を押しつけてしまった。

「病院なんか来なくていいから、早く仕事に行きなさい!」

 お袋が咳き込んだ。医者から、怒られた。病人を興奮させるな、と。

 家族といえど、面会も制限すると言われた。

 追い出された病室の前。そこに、二人の女性、みなとさんと葵さんがいた。


 二人は、ちょっと前にうちのアパートの近くで合流して、相談してくれていたらしい。

「どうしよう。全然、連絡つかない」

「やっぱり、アパートに行ってみよう」

 葵さんの提案に、しかし、みなとさんはすぐには賛成できなかった。

「でも、着信拒否で未読無視なのに、直接会いに行ったら、余計に問題じゃない?」

「でも、このままじゃ、嫌でしょ」

「うん」

「あたしも嫌だ」

 二人は、アパートまで来てくれた。だけど、そこには誰もいなかった。ドアの前で諦めようとしたとき、隣人の銀杏さんが、部屋から顔を出してきた。

「花さんたち、二人ともいないよー」

「どこに行ったかわかりますか?」

「病院。今、花さんが入院中なんだって」

 二人は、その時初めて、お袋が倒れていたことを知った。


 銀杏さんに病院の場所を聞いて、慌てて駆けつけた二人。しかし、病室には入れないから、立ち往生していたという。

 せっかく来てくれたけど、お袋には会えない。もともと、タバコの吸いすぎで肺の状態があまりよくない。もう、二週間、ずっと入院している。

「毎日苦しそうで、できれば、二人の顔を見て、少しでも元気になってほしいけど、それも難しい」

「面会できない状態って、そんなに悪いの……?」

「わからない。わかっているのは、治癒の魔法も使えない僕が、何の役にも立たないってことだけ」

 イグアスは、深いため息を吐き出した。更に数秒、じっくり考えてから、改めて、深々と頭を下げた。

「二人とも、ごめん!」

 あの日の面接のことを、イグアスは謝った。

 面接は、イグアスのせいでボロボロになった。みなとさんと葵さんも、面接官の感触は、そう悪くなかったのに、台無しにしてしまった。

「ごめん。全部、僕が悪い。顔を合わせづらくて、かあさんが倒れたこともあって、なにより、こんな何もないおじさんにこれ以上付き合わせるのが申し訳なくて……」

 謝罪する竜也=イグアス。でも、みなとさんたちは、思った以上に大人だった。

「やめてください。それ以上言ったら怒りますよ」

「そうですよ。私たち別に、あの事故の時の義務感だけで一緒にいたわけじゃないですよ。もし、あなたのことを嫌がっていたら、とっくの昔にそう言って、勝手にいなくなってます」

「それに、面接のことは、一〇〇%誰かが悪いってことはないと思います。私も、悪かったです」

「みなとさんは、一つも悪くない」

「私、あの面接官の態度が、嫌でした。上から目線で、偉そうで。本当は話を途中で止めるべきだったのに、止めませんでした。だから、責任が少しあります」

 みなとさんは、見た目と年齢以上に、とてもしっかりしている。

「あと、竜也さんが机をぶっ壊したとき、少し、スカッとしました」

「だね。私も気持ちよかったよ」

「ですよねえ! ほんと、あの男、許せない!」

 二人が、興奮気味にあの日のことを語る。

「だから、あんまり気にしないでください。あんな人がいるところで働きたくない」

 イグアスの、竜也の顔から、少しだけ、力みが消えた。

「気を遣ってくれて、ありがとう」

「実はあの面接の後、最上さんから電話があったんです」


 ことは数日前。

 その日も、二人で企業面接を受けに行き、その帰り道で、葵さんに着信があったという。

「あ、最上さんだ」

「携帯番号教えてたんだ……」

 すでに携帯番号を確認している最上のコミュ力がすごい。あいつのことを好きでも何でもないが、そう言う点は見習わないと行けない気もするし、見習ってはいけない気もする。

「仕事関係だからね。面接のこと、謝らなきゃ。もしもし?」

 葵さんが、律儀にも電話に出る。

「面接のこと聞いたよー。大変だったんだって?」

 脳天気にテンションの高い声が聞こえる。

「はい。ちょっといろいろ、合わない部分がありまして——」

「竜也でしょ? 当たり前じゃん」

「え?」

 俺?

「大体さ、あいつ、もう三八歳だぜ? 今から新入社員で何とかなると思ってるんだったら、脳みそお花畑もいいところじゃーん!」

「でも、それだったら、なんで一緒に……?」

「だって、笑えるじゃん。ずっと引きこもってた奴に、就職面接を案内したら、のこのこ出てくるんだぜ? カウンセラーもびっくりだよね。カウンセリング、通ってるのかどうか知らないけどさー」

 最上穣治。

 こいつは、きっと、ずっとこうやって生きてきたんだろうと思う。生き方がうまい。こいつは、ただ単に楽しいからこうやっているだけ。悪意でやっているわけじゃない。ニコニコした笑顔で、人を傷つけていることにも気づかない。

 中学時代は同級生だったけど、高校に入っても、同じ学校の同じクラスだった。一緒に進学したわけじゃない。受験の結果での、たまたまだ。こいつは、俺のことを「同級生になじませてやるよ」と言いながら、中学時代のエピソードを、あることないことネタにして、実際五割増しくらいに盛りに盛って笑いを取り、俺を貶めながら、自分の地位を確立した。俺が小学校時代にバレエを習っていたことを引き合いに出して、「全身白タイツを着てるのを想像したら笑えるよなー!」、とか、ガチでピアノをやってるやつに対して、「こいつもピアノ得意なんだぜ! おい、竜也! 弾いてみろよ! 負けんなって!」と、弾かせておいて、「やっぱたいしたことなかったわ!」とか、無理矢理笑いものにしたり。

 おかげで俺は、高校入学当初から、スクールカースト最下位。

 一つ一つはたいしたことじゃなかった。だけど、それも積もり積もってくると、もう堪えられない。学校に行くのが嫌になり、一日、二日、一週間と休みがちになり、俺の居場所は、自分の部屋だけになった。

 お袋には、自分が情けなさ過ぎて、何も言えなかった。ただ、部屋から出なかっただけ。

 それが、俺の、二〇年。

「カウンセリングには、通ってはいないと思います……」

「まあまあ、竜也のことはいいじゃん。俺は、君に興味があるんだ。ねえ、遊びに行かない? いいところ知ってるんだ」

「遊びに、ですか?」

「そう! 仲良くしといて損はないよー。面接も、通してあげたし。後は、最終の役員面接だけど、これ、俺の親父だから、なんとでもなるんで」

 これは意外だった。俺にとっても、もちろん、葵さんにとっても。

「通した!? えっ、どういうことですか!?」

「だから、きみと、みなとちゃん。二人とも、通しておいた。もちろん、竜也はダメだけど。そりゃそうだよね。面接官に対して、ゲームの話をして、否定されたらぶち切れて机叩き割ったんでしょ? 相変わらず、笑わかしてくれるよね。これは、向こう一〇年は同窓会でネタにできるわ。就職どころか、まず修理代払えって。修理しないか。廃棄して買い換えだ」

 同窓会には行かない。絶対。

 嫌な笑い声が、スマホから響く。葵さんが、耳から離して、スピーカーホンにした。みなとさんも聞き耳を立てる。

「私たち、なんとでもなるんですか?」

「もちろんだよー! で、君たちが入社する前に、気の早い入社祝いで、遊びに行こうよ。パーッと!」

 葵さんが、軽くため息をついてから、ひと言。

「たぶん、言ってると思いますが、一応私、彼氏いるので」

「いたっていいよ。気にしないから。君だって気にしないでしょ? みなとちゃんはどうかな? 男慣れしてなさそうだもんね。いろいろ教えてあげるよ、大人の男の遊び方を。興味あるでしょ?」

 その言葉に一番カチンときたのは、みなとさんだった。

 みなとさんが、スマホに向かって大きな声で叫ぶ。

「私、大人にも、あなたにも、興味ありません! お世話になりました!」

 まさかそこにいるとは思わなかったらしい。慌てて、

「……みなとちゃん、いたんだ。でも、いいの? 内定だよ?」

「そんなことで仕事なんかしたくありません! さようなら!」

「ちょっと! 葵ちゃん! 何とかしてよ!」

「私も同じ気持ちですし、みなとをバカにする人は許しません。二度と会いたくないので、失礼します!」

 それでも最上がそれ以上に何かを言おうとしていたが、葵さんが電話を切って、すぐさま着信拒否をした。

 二人で、ため息をつく。そして、目を見合わせて、

「あああああああ、スカッとした!」

 思い切り、笑ったという。


 その話を聞いて驚いたのは、イグアスだ。

「じゃあ、進めるはずだったのに、断ったの?」

「いいんです。他にも会社はありますから」

 鼻息荒く、みなとさんが言う。力強い。

「私たち、ちゃんと元気です」

 するとイグアスも、ポツポツ話し始めた。

「実は、僕の方にも、あの後、あの企業から、連絡が入ってて……」

 そう。最上からではなく、面接を担当した藤敦夫から、直接連絡が入ったのだ。


「球磨川さん、申し訳ない」

 意外なことに、謝罪から始まった。

「あまりにもたくさんの就活生を見過ぎて、心が荒んでしまっていたのかもしれない。いろんな事情があるだろうに、厳しく言い過ぎた」

「いえ、こちらこそ、すみせんでした」

「ただ、言い方が厳しかったとは言え、間違ったことは言っていないと思う。君を怒らせたのは、確かに私が悪い。でも、必要なことだとも思う。高級なスーツはともかく、社会人としての信用は、まず身だしなみからだ。髪も、メイクも、清潔感をアップして。履歴書の字は美文字じゃなくてもいいが、丁寧に書く。それから、もし、職歴がなければ、そこは致し方ない。だけど、学歴については、高卒資格を取るだけでも意味はある。大検を受ければ、大学受験だってできる。大学に行きさえすれば、立派な履歴書のできあがりだ」

「立派な履歴書」

「ちょっと時間とお金はかかってしまうが、回り道こそが最短の路ということもある。うちの会社での採用は厳しいが、きっと、君に合う仕事が見つかると思う」

「ありがとうございます」

「こんなことを言えた立場じゃないが、がんばってくれ」

 端々にきつい言葉があるので、わざわざ電話してくれたことの真意は測りかねたが、きっと、悪い人ではないのかも知れない、というくらいの電話だった。

 

 三人は、現在の就職活動の進捗を確認した。

 まだ誰も、まともには進路が決まっていない。

 イグアスが、一つの提案をした。

「あの事故の日以来、二人には本当によくしてもらった。本当に感謝してる。だから、もういい。もう、充分、助けてもらった。だから、もう会うのはやめよう」

「は?」

 葵さんの反応には、かなり不快なものが入っていた。

 イグアスが、口角を上げて、にこりと笑う。俺の顔で。俺が俺自身だとわからなくなるくらいの、穏やかな顔で。

「何でそんなこと言うんですか」

 戸惑いながら、みなとさんが確認する。

「僕があなたたちのそばにいても、何にもならない。僕はあなたたちの足を引っ張っている」

「それ以上言ったら怒りますよ」

 しかしイグアスは、もう止まらない。

「僕は、あなたたちと、もう会わない」

「だから!」

 怒っている。怒らせている。でも、

「だから、もう二度と、会いたくないんだ!」

 イグアスの言葉に、葵さんが平手打ちで返した。イグアス=俺の顔が、思いっきりはたかれる。俺自身は痛くない。痛くないけど、痛い。

「葵さん!」

「本気で言ってるんですか?」

「僕は勇者だ。もう何の勇気もないけど。でも、嘘は吐かない。あなたたちとは、もう二度と会わないし、会いたくない」

 葵が、涙目になりながら、イグアスにもう一度平手打ちをする。俺の両頬が真っ赤だ。

 多分、葵さんも、その手が、痛い。

「前言撤回しますか?」

「……この世界では、暴力では物事は解決しないんだろう?」

 その言葉に、葵さんは、完全にぶち切れた。もう一度振り上げた手を、ゆっくり降ろす。

「行こう、みなと。もういいよ、この人。ほんと、花さんが可哀相だわ!」

「……竜也さん」

「さようなら、みなとさん、葵さん」

「竜也さん!」

 みなとさんが、食い下がる。

「……なんだい?」

 みなとさんは、何かを言おうとして一旦飲み込み、そして、もう一度口を開いた。

「……バドちゃんに、ちゃんとごはんあげてくださいね」

 竜也=イグアスは、その言葉に一瞬、ふっと優しい顔になって、

「もちろん」

 約束だ。

 二人は、イグアスを残して、去って行った。


 病室で苦しむお袋の容態は、更に次の段階に入った。


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