第2話 幕開け
目を覚ますとそこは見覚えのある天井、見覚えのある部屋、ついさっきまで刃を交えた女。
「俺は......負けたのか.....?」
どうにも記憶がハッキリしない。
しかしまあ気を失ってたみたいだし女、結城の方は無傷だ。
「そうか。俺は負けたのか......。」
そう結論づけるのは至極当然だ。
だが結城は何か言いたそうな顔でこちらを見つめる。
改めて結城の姿を見る。
腰あたりまで伸ばした黒髪を後ろで結んでいる。
ポニーテールと言うのだろうか。
女子の髪型には詳しくないからもしかしたら違うかもしれないがなんにせよ長い髪を後ろで結んでいる。
それにより見えるうなじは綺麗で色気がある。
切れ長の目はややキツそうな印象を与えるが全体的整った顔は綺麗だ。
こんな人が今まで戦ってきたのかと思うほど身体は細い。
モデルのようにシュッとしていてスタイルが良いと言うべきか。
それなのになんというか.....出るところは出てる。
他意はないがデカイ。
服装としては無地の白い半袖Tシャツと下は黒いチノパンでお世辞にもオシャレとは言い難い。
結城は少し気まずそうに口を開く。
「もうあなたにバカなことは提案しません。一緒に戦ってくれますか?私の.....」
何かを言い淀む。
何かは分からない。
けれど悲しそうな顔をしていたから。
だから敢えて笑って答える。
「十分バカな提案だろ。俺の弱さはあんたが身をもって知ったろうに。」
ケラケラと笑ってみせる。
笑って欲しいから。
「答えは言われなくても戦う。初めからそのつもりだ。そして、もしお前が一人で背負いきれねぇってんなら一緒に背負ってやるよ。」
そう言って笑った。
結城は口角を上げる。
しかしその目から一粒の涙がこぼれたのを俺は見逃さなかった。
襖を開くと廊下には妹が仁王立ちしていた。
「何してたの?何をするの?」
今にも泣き出しそうな声で疑問を口にする。
「心配かけた。すまん。」
だが美沙に話すことはできない。
話せるわけがない。
何も知らないままいつまでもたった一人の妹であってほしい。
「待ってよ.....。」
その場を後にしようとする俺の手を掴み引き止める。
「そんな身体中傷だらけにしてそんなのを見過ごせない!おじいちゃんとそこの女の人が連れてきたときお兄ちゃん血まみれだったんだよ!死んじゃうんじゃないかって!心配......したんだよ.....。ねぇ......何をしてるの?」
いつぶりだろうこんなに泣きじゃくる美沙は。
昔転んで膝を擦りむいたとき?
俺と一緒に稽古をしてキツくて嫌になったとき?
友達に俺と仲がいいのをからかわれたとき?
そう言えば昔から泣き虫だったな。
何も言えない罪悪感に苛まれる。
安心させてあげられない自身の無力さに腹が立つ。
「ごめん。」
それしか言えない。
「私に言えないことなの......?なんで......?嫌だよ......。私お兄ちゃんまでいなくなったら......嫌だよ......。」
今朝だって美沙を怒らせた。
でも美沙は一度だって本気で俺を拒絶したこともなければ嫌ったりもしなかった。
思春期の女の子だ。
何かしらのタイミングで避けられるようになると思ってた。
友達にお兄ちゃんと仲がいいのをからかわれたと泣いてたときこれから妹には避けられるんだとそう思ってた。
でもそんなことはなかった。
俺達兄妹は物心ついた時から母親がいなかった。
亡くなってしまったのかただ離婚しただけなのか。
何も知らない。
父さんが母さんの話をしたことは一度たりともなかった。
その父さんも俺が10歳、美沙が9歳のときに失踪した。
俺達は祖父母に育てられた。
祖父母は二人ともあまり多くは語らない人達だ。
美沙にとって、いや俺にとって血の繋がりを実感できる家族は美沙だけだった。
きっと美沙も同じように俺を見てくれている。
きっと。
だから俺達は軽口を叩き喧嘩はしても一度たりとも「嫌い」という言葉は口にしなかった。
俺がいなくなったら美沙はどうするのだろうか。
そんな想像はあまりにも残酷だ。
「ねぇ......。なんで何も言ってくれないの.....?何とか言ってよ!お兄ちゃん!!ねぇ......お兄ちゃんはどこにも行かないよね.....?」
美沙は俺にしがみつき縋るように見上げる。
「ごめん......。」
妹が望んだ答えを俺は出せなかった。
出せるわけがなかった。
だってそれは嘘になってしまうから。
「お兄ちゃんのバカ......!お兄ちゃんなんか......大っ......嫌い!!!」
妹は、美沙は走り去ったおそらく自室に。
お兄ちゃんなんか大嫌い.....か。
その言葉を反芻する。
遂に言われてしまった。
言わせてしまった。
あの子が一番言いたくなかったであろうその言葉を。
何度も何度も反芻する。
身体中に刻まれた傷痕と共に自分への戒めとして。
夕飯の席に美沙の姿はなかった。
いつも通りただ淡々とろくな会話もなく飯を食べる。
今日は俺が夕食の当番だったはずだが夕食はきっちり用意されていた。
美沙の味だ。
あの子の作る優しい味だ。
なんでもないただの焼き魚と味噌汁。
だがそれは確かに。
涙がこぼれそうになるのを堪える。
泣いてはいけない。
今泣いていいのは俺ではない。
俺は泣かせてしまった側だ。
どうやら結城は泊まっていくらしい。
客間に案内するよう爺ちゃんに頼まれた。
長い廊下に並ぶいくつかの部屋、そのひとつの襖を開く。
「ここは縁側から庭、池、月が見えるいい部屋だ。ここにしとけ。」
しかし結城はなかなか部屋に入らない。
「どうした?ここ気に入らないか?」
逡巡した末に結城は口を開く。
「このままでいいのですか?」
なんのことだ。
そうとぼけようとしたが口が動かない。
「妹君のことです。このままで良いのですか?差し出がましいのはわかっています。ですが......」
言いたいことは分かる。
俺も結城の立場ならこのままでいいわけがないとそう言っただろう。
だけど
「いいんだよ.....。これで......。大好きなお兄ちゃんがいなくなるより大嫌いなお兄ちゃんがいなくなる方がいいだろ......?」
そう言って無理に笑ってみせる。
いいわけがない。
だがどうにもできない。
こんな話は妹にできない。
巻き込みたくない。
結局話しても止められて、それを振り切って、最後に大嫌いと言わせてしまう。
それは変わらない。
なら何も知らないままでいてほしい。
こんなものに穢されてほしくない。
翌朝の朝食にも美沙は姿を見せない。
朝食はいつもコーヒーとトーストだから当番もクソない。
「あのさ、今日早速行くんだよな?」
トーストを齧りながら結城に確認する。
「ええ。もともともっとスムーズに行く予定だったので今日の夕方のチケットを押さえてあります。」
ふーんと返事をしてコーヒーを煽る。
「しかし、意外ですね。朝も和食だと思ってました。」
外国人みたいな偏見だな。
「まあこんな家だしな。でも俺たちは別に和食至上主義じゃないよ。俺は米よりパンの方が好きだし。」
結城は心底意外そうな顔をする。
「美沙も結構洋食の方が好きだな。パスタとか。ボンゴレとか良く作ってやってるぜ。じいちゃんはビーフシチューとか大好物だな。あとにんにくたっぷり入れた餃子。まあばあちゃんは和食至上主義だけど。それでもほら、今も俺達に合わせてトースト食ってくれてる。」
二人ともこっちの話には全く反応しない。
名指しで話を振らないと反応しない人達だ。
だからぶっちゃけ俺はこの二人が苦手だ。
「皆さんはとても仲が良いんですね。」
そう言って結城はフフッと笑う。
なんつーか美人の笑顔ってのはすごいな。
そんなこんなで朝食を済ませ
「さてと、じゃあ行くか。」
旅立ちへ腰を上げる。
「まだ早くないですか?」
最もな意見だ。
「俺がいちゃあ美沙がいつまで経っても朝飯食べられないだろ?そろそろ食わないと遅刻するぜ。」
襖を挟んだ向こうにいるであろう妹に声をかけて玄関へ向かう。
じいちゃんもばあちゃんも見送りには来ない。
二人ともきっとこれから俺が何をしようとしてるのか知ってる。
きっと何度も俺のような人を見てきた。
ばあちゃんはじいちゃんを。
じいちゃんは父さんを。
だから。
二人とも知ってるから。
行くな、生きて帰ってこい、そう言うのは簡単で、だけど無粋で無責任なことだと。
そして何よりそんな言葉をかけなくても大丈夫だと。
悪いとこ出てるよなぁ......。
俺は父さんやじいちゃんみたいに強くないんだけどな。
俺の個人的な気持ちでは声をかけて見送ってほしかった。
でも一番それをしてほしかった人とは
「喧嘩別れになっちまったな。」
だからこそ生きて帰らなければならない。
「いってきます。」
そうつぶやき玄関の戸に手をかける。
「待って!」
なんでだよ......。
「待ってよ!お兄ちゃん!私.....私謝らなくちゃ......。ごめんなさい。大嫌いなんて言って。」
聞こえるはずのない。
一番聞きたかった声が。
「これだけは謝らなくちゃって.....!お兄ちゃんが何する気なのか知らない.....。だって教えてくれないし!でも.....なんかただならないことしようとしてるってことは分かる。だから.....そんなの絶対に嫌だけど!このまま二度と会えなかったらきっと昨日のこと一生後悔するから......。だからちゃんと伝えなくちゃって......!」
ああ本当にこの子は......。
涙がこぼれる。
決して特別なことがあったわけではない。
何か特別なことをしてあげられたわけではない。
それでもこの子は
「お兄ちゃんのこと......ずっとずっと大好きだよ......!!!これまでも!これからも!きっと.....何があっても!だから......だからね、生きて帰ってきて!約束して!!!!」
美沙も泣いていた。
その声を聞いて覚悟は肥大するばかりで。
「ああ.....。ああ!当たり前だ!必ずまた.....一緒にボンゴレ作ろう!」
振り返って愛しい妹の顔を見たいと、目に焼き付けたいと。
それを振り切る。
きっと今ここで振り返ったら歩けない。
戸を開け、昨日よりも少しだけ柔らかくなった秋晴れの光へ足を踏み出した。
空港へは電車で直通の路線がある。
それに乗って向かうわけだが電停への道でその男と出会う。
「藍染拓未......だな?」
ツンツン頭の少年―恐らく同い歳くらいだろうか―に声をかけられる。
「なんだかデジャヴだな。」
隣の結城に目を向けると露骨に目を逸らす。
「で?あんたはなんの用?今度はどんな陰謀なの?」
さすがに2日連続で襲撃は精神的にも肉体的にも堪える。
少しでもポジティブにいようとおちゃらけてみせる。
少年は至極真面目に
「俺は島崎晴也。あんたを殺しに来た。」
なんてことを言う。
俺と結城はその言葉を聞き臨戦態勢に入る。
が島崎晴也と名乗った少年はコミカルな動きでまあまあとこちらを制する。
「だったんだけど、気が変わった!昨日一日あんたをストーキングしてさ、見たんだよそこの女との戦いを。一方的に嬲られてるようにしか見えなかった。」
余計なお世話だ。
要するに弱い者いじめは嫌だから殺すつもりだったけどやーめたってか?
なんだこいつ。
「だけどさ、俺かっこいいと思った。どんだけボロボロになっても立ち上がって、何度でも立ち向かう。いつかテレビで見たヒーローみたいだった。あんたらが何で争っててどっちが正義だったのか知らないけど、俺あんたに惚れた。俺あんたに勝てないと思った。まあ剣の腕では負けるつもりはないし俺の方が強いってそれは譲る気はないけど。でもあんたと戦っても俺は負けると思った。」
ペラペラと聞いてもないことを喋る。
しびれを切らしもう一度尋ねる。
「で、結局なんの用だよ?」
すると島崎は膝と手を地につき
「俺を弟子にしてください!!」
終いには頭も地につけ土下座した。
「「は?」」
俺と結城がハモる。
互いの顔を見る。
こいつは何を言ってるんだろうかと唖然とする。
「いやあの弟子はとってないから。うち一子相伝の剣術だし......。」
とりあえずお断りしてっと。
「いや、俺は剣の弟子にしてくれとは言ってないよ。さっきも言ったけど剣の腕は俺の方が上だし。ただ.....なんて言うの?人として......?その精神性......?精神力?根性?なんかそういうの。そういうのが学びたいの。だから弟子にしてください!!」
なんだこいつ勝手すぎるだろ。
こんなこと言えるなんてお前のメンタルは十分強いよ。
「おいどうするよこいつ。」
「で、弟子にしてあげては?口だけでもそう言えば大人しくなるでしょう。」
結城と耳打ちする。
「いやそんなことしたら絶対今後ずっと着いてくるって。他人事だと思って適当言うなよ。」
「しかし、これ多分引かないタイプの人ですよ?」
うーむ......一理ある。
だけどなぁ......嫌だなぁ.....めんどくさいなぁ......。
なんて思っていると
ドゴオオォォォォンッッッッッッ!!
と轟音が響き渡る。
三人揃って音のした方を警戒する。
あっちは.....!
「学校の方角だ!確認しに行く!!結城!」
即座に駆ける。
「わかっています!」
結城も俺とほぼ同時に動いていた。
そして
「じゃあ俺も行く!」
一瞬遅れて島崎も動き出した。
来なくていいのになぁ.....。
面倒事がいっぺんに来るなぁ......。
ん?待てよ?
「学校と言えば昨日校門くぐったとき妙な感じがしたんだが!お前らどっちかが何かやったか?」
二人に問いかける。
「私は学校には何も......。そっちの不審者では?」
どうやら結城は違うらしい。
「俺も学校には何か仕掛ける理由がねぇ!ていうか俺小細工とか苦手なんだよ。」
どうやら違うらしい。
正直100パーセント信用はできないが、さっきの口振りから昨日登校したタイミングでは、あいつは俺に正面切って勝てると思ってたっぽいし確かにそんなことする意味はあまりないかもしれない。
まあ保険のために何か仕掛けた可能性は否定できないが......。
「じゃあやっぱり俺の勘違いか......?」
そう呟く。
「いや、そうとも限らないかもしれねぇ!師匠!もっと具体的にどんな風に変だった!?」
こいつ勝手に師匠呼び始めてるし。
まあ今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
「なんか寒気って言うか......とにかくなんかいつもとは違う感じ、こう、上手く言えないけど......一瞬車酔いみたいに気持ち悪かった......かな?」
上手く言い表せないが感じたことを率直に言う。
「わりぃ!専門外だ!女ァ!お前は分かるか?」
なんだこいつ適当すぎるだろ。
話を振られた結城はだが本当に心当たりがあるようだった。
「もしかすると.....結界術の類かも知れません。」
「結界術ってなんだぁ.....?」
本当に専門外らしい弟子志願者がアホっぽい声を出す。
「魔術の基本的な術の一つですよ。昨日使った人払いもその一種です。極めれば固有結界という強力な術を使えます。」
「昨日の人払いみたいなのって.....要は人の出入りを制限するもんか?」
率直な疑問をぶつけると結城の反応は鈍い。
「もちろんそれも基本的な要素の一つですが.....。」
なんだか歯切れが悪いが
「でも別に昨日の学校はそんな風ではなかったぞ?人も全然普通に出入りしてたし......。」
「そうですね。あくまで基本的な要素の一つであってそれ自体が目的でないものもあるというか......。例えば固有結界は自身と設定した対象意外は何人たりとも中に入れません。しかしそれはメインの機能ではない。固有結界はその術式を組んだ人特有の効果が必ず付与されています。自身の攻撃は必ず当たる。回復系の魔術は使えない。魔術の使用が制限される。etc.....その人の好み次第です。」
マジかよ.....。
固有結界チートじゃん......。
でもそれだけの力なら......
「そんだけ強力な力なら代償もあるんじゃねーか?」
島崎は俺と同じ疑問を持ったらしい。
「ええ。それはもちろん。通常は馬鹿みたいに膨大な魔力を消費するだけです。しかし、魔力の消費を抑える代わりに結界の強度を下げたり、出入りの制限をとっぱらったり、寿命を消費したりでも使えます。」
つまり.....
「学校には固有結界が張られてる可能性もあるってことか?」
だとしたらやばいのではないか?
「いえ。その可能性は限りなく低いでしょう。そんなものが張られたら私が気づきます。私が感知してないということは決して強力な結界ではないと思います。」
なら一体どんな結界だ?
「おい結論をハッキリ言えや!結局なんだよ?」
俺以外にも素人がいるのはある意味心強いな。
「ドンピシャで"これ"というのは分かりませんが......。出入りを制限しないとなるとそれ以外がメインの効果。そうなると認識阻害や常識改変のようなものの類かと。」
どんなエロ同人だよ。
「どんなエロ同人だよ!リアル催眠モノじゃねーか!」
まさか同じ感想を抱くとは.....。
あいつも思春期男子だな。
後でオススメのサークル聞いてみよう。
「なっ......!?ひ、人がマジメな話してるときに!!」
結城は顔を赤らめ動揺する。
大人っぽいと思っていたがこういうのには免疫がないようだ。
三人で校門をくぐる。
瞬間やはり感じる違和感。
「これは.....!間違いありません。結界が張られています!」
「ああ!?わかんねー!俺はなんにも感じなかったぞ!」
バカには感知できない結界らしい。
鈍感バカは無視して話を進める。
「結界を破る方法は?」
「術者に解かせるか殺すかですね。」
なんにせよ戦う必要はありそうだ。
「じゃああいつをぶっ倒せば解決するんだよな!?」
バカが校庭を指さす。
ああ。
俺もさっきから気になってた。
殺気ビンビンに漂わせてる男が一人。
遠目でよく分からなかったが右手に大剣を持っている。
「おいお前さっさと藍染拓未連れてこいや!おお!?」
何も知らないであろう男子生徒に大剣を突きつけて脅す。
男子生徒は短くヒッと悲鳴をあげると腰を抜かし尻もちをつく。
「だ、だからし、知らないですって!そんな人。な、何年何組の人ですか......?」
震えながら応答する。
「あぁ!?俺が知るかよんなこと!早く答えろよ?」
あまりにも理不尽すぎる。
「それなら俺のことだなぁ!!」
背後から殴りかかる。
しかしそれを易々と躱され右手首を掴まれる。
「お!やっと出てきたか!」
そしてそのまま裏拳を食らう。
「うがっ......!」
後方に飛ばされる。
男子生徒は腰が抜けて動けないか。
しかしそれを島崎が即座に回収してその場を離れる。
判断が早い。
「随分と必死に藍染拓未をお探しのようでしたが......。どのようなご用件で?」
結城が天叢雲剣を構える。
彼女を視界に捉えた男は急に態度を変え仰々しく芝居がかった動きと喋りになる。
「おお!これはこれは聖人様じゃあねぇですか!いやはやすいませんね礼儀知らずなもんで用件を言う前に殴ってしまいました!まあ用件なんて言うほどのことじゃあねーんですけどね。要は死んでもらおうとね。あ、自己紹介を忘れてましたね!ドイツはアイスレーベンで牧師やっとりますランドルフ・ディートリヒと言いますわよろしく!」
空気感のよくわからんやつだ。
要するに俺を殺すってか?
なんのために?
そういえば俺自身に価値がなくても鬼神には利用価値があるって話だったな。
「俺を殺したところで鬼神を利用なんてできないぞ。」
鼻血がドクドクと流れるのが分かる。
これは折れたな。
「ん?鬼神?ああそういやなんかそんな話あったな。まあそんなことどうでもいいし。てか知らねーし?」
は?と素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
聞いてた話と違うぞと結城に目で訴える。
しかし彼女は彼女でランドルフの言葉の真意を図りかねているようだ。
「俺は目的とかは知らねーよ?ただ上から殺せと言われたから殺す。それだけだぜぇ?ん?なんかおかしいか?」
上つまりは教会からの指示を実行するだけ......か。
「あなたはそれでいいのですか?」
彼女には思うところがあるらしい。
声のトーンが下がる。
「はい?何がですかぁ?俺ァ聖人様と違って頭ァ悪ぃんでハッキリ言ってくだせぇ!」
こいつやっぱり敬ってるようでバカにしてる。
やっぱり教派が違うからか?
「目的も理由も分からない。つまり、自分の成したことが何を起こすのか分からないまま何を考えてるか分からない人の言いなりになって、都合のいい道具になってよいのですかとそう聞いています。私も似たような境遇で悩んできたので。」
それでも結城は大真面目に真剣に向き合おうと
「これはこれはさすがは聖人様だ!なんとお優しい!!答えはクソ喰らえだ極東の猿が!なんの因果かたまたま主の祝福を賜っただけの異教の猿ごときが俺様の心配たあ笑わせるぜ?似たような境遇?ちげぇよバーカ!俺ァ自分でこの道選んだんだよ!流されるままのお前とは違ってなぁ!」
そんな結城の気持ちを踏みにじるかのように大剣を振るう。
「結城っ......!」
しかし結城は動揺の色一つ見せず。
ただ淡々と。
「そうですか......。分かり合えず残念です。」
大剣を難なくその神器で受け止めてみせる。
そして右肩が光りランドルフの身体が切り刻まれる......
ことはなかった。
全くの無傷だ。
しかし驚くことではない。
わかっていたことだ。
おそらく幾度も経験してきたのだろう。
結城にも動揺はない。
「おいおい.....そんなもんでどうにかできると俺は思われてたのかよ?さすがに敵の頭がお花畑すぎると悲しくなるぜ。」
ランドルフは心底バカにするように嘲笑う。
「わかってたよな?通用するはずないって。それともお前俺をなめてんのか?」
ただ実際防ぐのは簡単だ。
「魔力障壁......。」
魔術師の基礎中の基礎。
「お?さすがに極東の無知なクソガキでも知ってるか!ていうか猿でも対処法がわかる能力しか与えてもらえないなんてお前本当に神に愛されてんのかよぉ?」
ランドルフはゲラゲラと笑う。
魔力障壁は魔術師の基礎中の基礎だ。
そもそも魔力とはなにか。
人の身体に流れる超常の源。
ヘモグロビンや白血球よろしく体内で生成され身体中を巡る。
魔力量とは要は普段どれだけこの魔力が流れているか、どれくらいの速度で生成できるかである。
一度生成された魔力は使わなければ無限に蓄積されていくのか。
答えは否である。
個体差はあれど人間の身体はあまりにも膨大すぎる魔力を溜め込むと文字通り崩壊する。
そのため一定の魔力が貯まれば魔力の生成は中断される。
そのためのセンサーのようなものが脳にはある。
それが魔力受容量である。
さてでは魔力障壁とは何か。
詰まるところは魔力による結界である。
結界術の基礎、皮膚を包むように魔力を放出し結界にする。
イメージとしては日焼け止めだ。
日焼け止めを身体に塗って紫外線から身を守るように、魔力を身体に塗って魔術から身を守る。
その日焼け止めが身体の内側から染み出してるようなものだ。
そう考えると気持ち悪いな。
だがそれが魔力障壁だ。
結城の"不可視の斬撃"は対象を指定し、直接斬撃を与える魔術である。
一見すると強すぎる魔術である。
いわゆるバリアのようなものを張っても関係なく身体を切り裂かれる。
しかし魔力障壁は話は別だ。
肉体と結界が引っ付いているようなものだ。
つまり対象の肉体に傷をつけたければ魔力障壁を破らなければならない。
それ自体は難しくない。
しかし結局初撃はダメージが魔力障壁に肩代わりされるような形になる。
二撃目を放つ前には魔力障壁を再展開される。
つまり結城はある程度以上の練度の魔術師を相手にすると分が悪くなる。
それでも本来は聖人の膨大な魔力量でイニシアチブを取れるはずだが。
ランドルフのこの余裕は不気味だ。
「何も私の力はこれだけではないので。」
それでもやはり経験があるのだろう結城は決して動揺はしない。
想定内だと。
それでもまだ戦う術はあると。
それはそうだろう。
聖人は身体能力が人間の限界まで底上げされている。
結城とランドルフが幾度となく切り結び、鍔迫り合いに発展する。
「身体強化ですか.....?」
そうランドルフは身体能力が底上げされているはずの結城についていっているのだ。
「ああ。基礎中の基礎だろ。」
確かに身体能力を向上させる身体強化は魔術の基本ではあるが。
「では我慢比べといきますか?」
結局それはそこまでしてやっと聖人と同じ領域に立ったにすぎない。
魔力障壁も身体強化も基礎的な魔術でありそう消耗が激しいものでもない。
しかし結城はノーリスクで身体強化をしている。
その上不定期に不可視の斬撃を放つことで魔力障壁も度々展開させている。
つまり今この戦闘の主導権は結城にある。
削り合いなら結城に分がある。
そんな今の力関係を打破するには短期決戦に持ち込むしかない。
「我慢比べも嫌いじゃねーんだけどなぁ......。ガキ一人殺すのに長々やるのも性に合わねぇ!だからこんなのはどうだぁ!?」
不意にランドルフは結城から目線を逸らし校舎を見る。
「殺とった......!」
それを隙と見た結城の剣が一閃する寸前。
ランドルフは不敵に笑うと
「バァーカ!」
大剣を振り下ろし破壊の奔流が校舎を襲う。
「しまっ.....!!」
まだ昼前だ。
校舎には多くの生徒や先生がいるだろう。
結城は咄嗟に剣戟を止め校舎の方角へ飛び出そうとする。
だが俺だってただ見てるだけじゃない。
鬼神の力を僅かとはいえ借りられる今ならできる。
両足を肩幅よりやや広く右足は斜めに引いてそして腰を右へひねりながら落とし右手には適当に抜刀した長剣。
後ろへ引いていた長剣を前に突き出す。
「青龍砲ッッッッッッ!!!!!」
こちらも神話の時代に猛威を振るっていた青龍という伝説上の生物。
いや聖物と言うべきか。
大量の魔力でそれを模したものを大砲のように射出する技。
かつて父さんにやり方だけは教わっていたが魔力が足りず使えなかった技。
ありったけの魔力を長剣から放出しランドルフの魔術にぶつける。
地面を抉りながら校舎に襲いかからんとしていたそれを辛うじて相殺することに成功した。
ビリビリと空気が震える。
ぶっつけ本番で何とかなったか。
しかしこれで俺は戦力外だ。
魔力の補充は鬼神から借りれば容易くできるが、それを続ければ身体はすぐに限界を迎える。
「チッ.....!極東の猿にしてはなかなかどうして。殺すのが惜しくなった......りはしないな。一発が限度じゃあなァ!」
魔力を使い切り倒れ込む俺を見て鼻で笑う。
「じゃあとっとと目的を果たそうか。」
ランドルフが再び大剣を構え、結城が俺の前に立ちはだかる。
「お前に防げんのかよ?」
キッと互いに睨み合う。
「私は聖人です。力を授かった者。それすらできなければなんのために今まで生きてきたのか。」
「知るかよォ!!!」
再び破壊の奔流が地面を抉り、暴風を吹き荒らし、轟音と共に襲いかかる。
「天にまします我らの父よ、我らを悪より救いたまえ。どうか主の御心のままにありますように。」
瞬間結城の右肩が眩く光る。
そして破壊の奔流は消し飛ぶ。
「羨ましいぜ。聖人様の祈りは神に届くんだなぁ!不公平にもほどがあるだろ?俺の祈りなんて何一つとして聞き入れられなかったのになぁ!?でもそれ無制限には使えないだろ?」
結城は無言で答える。
当然だと。
「聖人様だけは祈りが届くんだよなぁ?その是非は置いといてよ。とりあえずそれはもうないと思っていいはずだ。で、だ。俺はまだまだ撃てるぜ?防げんのかよ?」
二人の間に沈黙が流れる。
この場面で沈黙が意味するのはつまり。
打開策は何か......何かないのか......?
「何話してっか知らねーけどよ?そろそろ俺も混ぜろよ!」
ランドルフの横から島崎が奇襲をかける。
二人の刃が激しく絡み合う。
剣閃が飛び交う。
「おもしれぇなお前。望み通りお前からミンチにしてやるよォ!!」
破壊の奔流が再び猛威を振るわんとする寸前、島崎の剣がランドルフの大剣の軌道を変えそれの行き先を変える。
校庭の地面が捲り上がり正しくめちゃくちゃになっている。
「なあ師匠。ガキどもは全員校舎内に避難させてきた。師匠に会いたいってのがいたから会ってやってくれ。こいつは......俺が倒す!」
無茶だ。
結城ですらアレへの対処ができていない。
そんなやつと魔術の魔の字も知らない奴を戦わせるわけにはいかない。
でも俺に会いたいって.....莉子.....?
「師匠、そんでさ.....俺がこいつぶっ倒したら正式に弟子にしてくれよ。」
島崎はそう言ってニヤリと笑う。
「あぁ.....。約束だ。その代わり絶対に死ぬなよ......!」
島崎はより一層笑みを強くし
「ああ!任せろや!!東棟の校舎裏にいる!話が終わったらちゃんと校舎内に避難させろよ!」
ランドルフへと飛びかかった。
東棟の校舎裏に行くとそこに待っていたのは
「莉子っ......!」
「あ?誰だそれ?」
ではなかった。
黒い短髪はあちこちに跳ねていて目つきが悪い。
身体は鍛えられており筋肉質である。
「誰だお前!?」
しかしその少年はこちらの問いには答えず睨みつけたと思えば胸ぐらを掴んできた。
「お前が藍染拓未ってやつか?」
不良だ怖い。
「そう.....だけど。なんか話があるとか......?」
「お前無視しただろ。」
おっと?何の話だ?
ガン飛ばしてただろではなく無視しただろ?
心当たりがなさすぎてわけがわからない。
今はこんなことをしている場合ではない。
「なんの話か分からなくて.....えっと......とにかくごめん!俺今それどころじゃ.....」
話を切り上げて自称弟子の援軍に向かおうとすると
ドカッと
殴られた。
「いっ.....!テメッ.....!何しやがる!」
怒り心頭の不良少年は俺にマウントポジションを取ると再び拳を振り上げ
「こっちはマジメに話してんだ。それを何の話か分かりませんだぁ!?もう一発食らうか?おぉ!?」
脅してくる。
「そんなことを言われても......。心当たりがないんだよ!ちゃんと話してくれ!」
少年はチッと舌打ちすると気恥しそうに
「ラブレター.....。昨日下駄箱に入ってたろ。」
ラ、ラブレター!?確かに昨日入ってたか?莉子が騒いでたような.....。
「ああ!あれお前がっ......」
思いっきり殴られた。
「んなわけねーだろ!あれは......その......俺のダチがお前に書いたんだよ......。あ!ちゃんと女子だぞ!しかも世界一かわいい!」
どうやら俺は世界一かわいい女の子からラブレターを貰っていたらしい。
「ごめん.....。昨日は色々あって.....正直それどころじゃ.....」
「あぁ!?俺のダチより大事なモンがあんのかよ!?ねーよなぁ!?」
そんなことはないだろ.....。
「本当に悪かったって!このとおり!」
しかしこれは実際俺が悪い。
誠心誠意謝らなければならない。
「チッ.....!こんなやつのどこがいいんだ......。」
あまりの言い草だがまあ実際そうだろうな。
「本人に直接謝罪したい。会わせてくれないか?」
チッという舌打ちがまた聞こえてくる。
「今なんかやってんだろ。それが終わってからだ。」
少年は不機嫌そうに言い残し背を向けた。
「ありがとう。恩に着る。」
フンという返答を背に再び戦場へ戻る。
先程の少年との会話中に轟音が数度聞こえた。
ランドルフがそれだけあの魔術を使ったんだろう。
俺と結城がそれぞれ一度ずつようやく防いだものを島崎は幾度も凌いでいることになる。
一体何者なのか。
俺を殺そうと思っていたらしいが。
なんのために?
そして俺の弟子になりたいと。
なぜ?なんのために?
いや今はそんなことを考えている場合ではない。
戦場は校庭へと移り変っていた。
まあ最も校庭はもはや見る影もなくなっていたが。
「よう。話とやらは終わったか?」
ランドルフは島崎を足蹴にこちらを向いた。
その顔は狂気的な笑みが浮かんでいた。
「いや〜お前の弟子とやらはよくやったぜ?俺の攻撃をことごとくいなしやがった!なかなかに楽しめたぞ?そこの聖人とは違ってな。」
結城は昨日の俺ほどではないが全身傷だらけでボロボロだ。
辛うじて剣に体重を預け立っている。
「まあおかげで俺の方も余裕はなくなっちまったが......お前一人殺すくらいならまあ大丈夫だろ。てわけでさっさと死ね。」
ランドルフが大剣を振るう。
来る.....!
しかして結城が動く。
「今の私にできること。それはこれくらいですから。」
天叢雲剣を両手で握りしめ高く掲げる。
すると魔力が剣先に集まっていく。
「今から放つのは魔術ではない。ただただ魔力を集めてぶつけるだけの大質量をぶつけるだけの攻撃......!」
結城が神器を振り下ろすと大質量の魔力が解き放たれる。
破壊の奔流と魔力の奔流。
「魔術とは魔力を効率的に運用するためのもんだろうが!それを放棄するとは頭おかしくなったかぁ!?」
「私に限っていえばこれが最も効率的だぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁ!!!!!」
二つの力がぶつかり合いいずれ弾ける。
爆風に飛ばされまいと腰を低くし踏ん張る。
聖人の切り札はしかしてランドルフは依然立っており結城は地に伏している。
「ま、こんなもんだ。所詮最弱の聖人だってことだよ。」
未だ絶望に喘ぐ俺をよそに、彼はさてと続ける。
「お前にとってはいい知らせだ。俺もかなり限界に近い。この一撃を凌げればお前の勝ちだ。さっさとケリを着けよう。」
まるで先ほどまでとは別人のように落ち着いている。
体力が限界に近いからなのか。
しかしそれならまだ可能性がある。
俺が足下にも及ばなかった聖人すら退けた男。
それがあと一歩のところまで追い詰められていると言うのだから。
島崎は本当に何者なのだろう。
「ありがとう。島崎、結城本当にありがとう。」
二人のおかげで勝てる......!
「鬼神.....!!魔力の補充を!!!」
頭に直接声が響く。
『いいのか?お前の身体は十中八九保たないぞ?』
知ったことか。
魔力の過生成及び大量使用は身体を内側から壊す。
だからどうした。
「今ここでこいつを倒せなきゃ一緒だ!!ならやるしかねぇ!!ぶっ込めぇぇぇぇぇー!!!!」
フッと笑い声が聞こえる。
『お前のそういうところは存外好きだぞ小僧。』
明らかに自身の受容量を超過した魔力が身体を駆け巡るのを感じる。
「ぐあぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁっ.........!!!」
全身に激痛が走る。
昨日の傷が開いたのではないかと錯覚する。
意識が飛びそうになる。
それを気合と根性だけで踏みとどまる。
「お前も狂ってんのかよ......。」
ランドルフはそう呟き大剣を振るう。
俺も魔剣"フルンティング"を"抜刀"し迎え撃つ。
「っ......!!青龍......砲ッッッッッッ......!!!!!」
蒼き龍が翔ける。
破壊がそれを呑み込まんとする。
「「あぁああああああああああああああぁぁぁ!!!」」
二人の最後の力を振り絞った破壊がぶつかり、その衝撃の余波がズンっと腹に響く。
ランドルフも俺も言語ですらない何かを叫びながら。
それでも俺の身体の限界を無視して鬼神が魔力を流し続けるおかげで青い龍が優勢となった。
青龍はいずれ破壊を喰らい尽くしてランドルフを穿きこの戦いは幕を引いた。
そしてまた新たな戦いの幕が開ける。
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