第2話 桜

「学校にパトカー忘れちゃった!」

猪爪の告白に芒崎もやっべ、と恐る恐る霧月を見ると、案の定呆れと怒りが混ざった絶対零度の目を向けていた。

「お前たち......挨拶もせず学校を飛び出した挙句忘れ物まで。しかも車とは。呆れてものも言えない。」

「ごめんって~てことであたしとノギすんはパトカー取りに戻るから先帰ってて!」

「指令を出すのは俺だ。お前は俺と学校、芒崎と萩坂はこの車で帰ってろ。いいな?」

霧月はそう言ってネクタイの位置を直しながら車を降りた。

「りょーかい。運転は私でいい?」

「ああ、頼む。」

萩坂が霧月からキーを受け取り空いた運転席に乗り込む。エンジンの音を背に霧月は歩き出し、猪爪も慌ててついて行く。

「ねえ、なんでノギすんじゃなくて椿が来たの?」

「お前たちの代わりに責任者として挨拶と謝罪をしに行くんだよ、まったく。」

猪爪の問いに霧月はまたため息をついて答えた。

「ごめんって。でも緊急要請来てたからさ~」

猪爪の言い訳に霧月はキッと猪爪を睨みつける。

「緊急要請は全て俺たちが行くと事前に言っていただろう!お前たちは訪問先の学校に失礼がないよう今日はそちらの業務に専念しろと!二人もいてどちらも話を聞いていなかったのか!」

堰を切ったように怒鳴り散らす霧月にうへぇと猪爪は耳を塞ぎ霧月から距離をとった。その行動がさらに霧月を刺激する。

「だから、話を聞けと言っている!」

「耳塞いでても聞こえてるっての~!ほら、学校ついたからもう終わり!」

まだ言い足りないといった様子で霧月はチッと舌打ちをし、曲がってなどいないネクタイをまた直した。






旭は目を刺す西日を瞼で遮り電柱に寄りかかる。避難区域の外に出たはいいものの、二人とも自宅は避難区域の向こうだった。祟魂はもう征伐されたとはいえ後処理が終わるまで避難区域には入れない決まりになっているし、あんな経験をしたあとではこっそり帰ることもはばかられた。

「学校戻るか。腹減ったし。」

嶺岸がうーんと伸びをしながら提案する。

「確かにな。学校の自販機のパン食う方がコンビニ行くより近いし。」

旭も頷き、二人はゆっくりとまた歩き出した。

学校には部活動に勤しむ生徒と、避難区域に住む生徒の安全確認に奔走する教師が残っていた。二人は目当てのパンを買い食堂の席に座る。パンの袋を開けようとしたちょうどその時、スマホが鳴る。

「んだよ、タイミング悪ぃな。」

避難警報の解除を知らせる通知に旭は緩慢な動作でまた立ち上がる。

「じゃ、食いながら帰るか~」

嶺岸も袋から出したあんぱんを戻し、二人はまた下足室に戻る。靴を履き直してやっとパンに口をつけると、校門から向かってくる人影が見えた。旭が目を凝らすと、歩いてくるのはさっきの女捜査官と写真で見た「ボス」だった。女は旭に気が付き手を振ってくる。

「おーい少年!さっきのクラスにいたよね!窓際でつまんなそーにしてた子!」

「ウッス。つまんなくはなかったっスよ、別に。」

さっきは気が付かなかったけど、この女、俺より背がでかい、と旭は向かい合った猪爪に茶化されてちょっと居心地が悪くなる。しかも隣にいる「ボス」は威圧感が半端ない。透き通った陶器のような肌に鋭い目つき、艶やかな長髪の重厚な黒は近寄り難いオーラを放っている。人形みてえだな、とその一ミリも動かない口角を眺めながら旭は思った。嶺岸はその「警察」の雰囲気に怖気付いたのか一メートルほど後ろで立ち止まり様子を伺っている。

「で、おねーさんなんか用ッスか?」

「ん、ちょっと忘れ物しちゃって!ま、そもそもパトカー忘れてたんだけどね~!」

衝撃の発言に旭は一瞬理解が追いつかず、パトカーってあのパトカーだよな、と自分に問いかけた。

「は?まて、お前パトカー以外にも忘れたのか?」

旭と違うことに驚いて霧月が猪爪を睨みつける。なんでパトカーには驚かないんだよ、と旭はさらに混乱した。え、パトカーってあのパトカーだよな?

「え、うん、パソコン。」

「はあ。もういい、俺は校長先生に挨拶に言ってくるから、貴様はさっさと忘れ物とやらを取りに行ってこい!」

「えー、教室の場所わからんのですが.......」

スっと自分に向けられる視線に気がついて、旭は我に返る。

「あ、良かったら俺が案内しますケド。」

「ワオ!少年〜!助かるよ!」




旭は教室に向かう階段を上り、その後ろを猪爪が大人しくついてきた。最後の一段をぴょんっと飛んで登った猪爪が旭の顔を覗き込む。

「ね、うちのボス美人っしょ?ちょっとヒステリックだけど。」

「あー、まあ、はい。」

どういう反応をしたらいいのか分からず、旭は目を逸らして煮え切らない返事をした。

「ところ構わずキレ散らかすとこ以外は良い上司なんだけどね〜あと小言が多いのとかはやめて欲しい。」

「俺に上司の愚痴言っちゃっていいんすか?」

「いいのいいの〜あ、てかさ、キミの学年で一番運動神経良い子って誰か知ってる?全国一位の子がここにいるって聞いてね、ぜひうちに入ってもらいたくて。まあ直接スカウトするのは認められてないから授業聞いて自分から応募してもらう以外ないんだけどね。」

思いがけず自分のことが話題に上がり、旭はぱっと猪爪を振り返る。

「え、それ俺っす!」

「......マジ!?」

「俺応募しましたよ、もう!」

「ええ!マジか!好都合すぎるな、君もう合格だわ。」

「え、マジっすか。合格?」

「うん、だって全国一位だし。てか、じゃあ避難区域で木登りしてたのもキミってこと?ワルイコだなぁ。下手したら死ぬとこだったよ。」

猪爪はそう言ってじとっと旭を見つめるが、旭の耳には入っていない。「合格」の言葉に目を輝かせ遠くを見つめる旭の様子に、猪爪は自分の仕事に久しぶりに誇りを感じて少し嬉しくなった。

「じゃ、これあたしの名刺だから、一週間後の月曜日に警視庁に来て!」

具体的な予定を伝えられた旭ははっと我に返り、あまりにトントン拍子に進む話に猪爪を少し訝しむ。

「マジで言ってますよね?冗談とかじゃないっすよね?あ、ここっす教室。」

「あった!パソコン!うん、マジの大マジだよ!あ、やっぱり辞めたいってなったら名刺の番号に連絡してね。」

受け取った名刺にはあの桜のマークが描かれており、旭は大事に財布にしまった。

「げ、椿もう待ってんじゃん。」

猪爪は窓の外を覗いて道路脇に停めたパトカーの横で神経質そうに腕時計とにらめっこをしている霧月を発見し、顔を顰めた。

「じゃ、あたし急ぐから。また来週!これからよろしくね、少年!」

旭が返事をする間もなく猪爪は嵐のように去って行った。呆気にとられて立ち尽くす旭は、なんとなくもう一度財布を開いて名刺の存在を確認した。じわじわと湧き上がる実感と期待で宙に浮いたような心地のまま旭は教室を後にした。

「あ、嶺岸。」

帰ろうと下足室に戻ると嶺岸があんぱんを頬張りながら待っていた。

「おっせーんだけど。」

今の今まで嶺岸の存在を忘れていた旭はそんな自分に驚き目を見開く。嶺岸は旭の異変を感じ取ったのか、ふっと笑って旭の背中を叩いた。

「なんかいい事あったって顔だな、俺の事忘れるくらい。」

「ごめん、マジで忘れてた。」

「ひっでえ、俺待ちくたびれてあんぱん三つ食っちまったよ。」

嶺岸はそう言って空の袋を校庭のゴミ箱に捨てた。吹奏楽部のアンサンブルと野球部の監督の怒声を背に二人は校門を出る。旭はまだ心ここに在らずといった様子で沈みかけた太陽をぼうっと見つめる。今起こったことを嶺岸に話したかったが、自分自身でまだ咀嚼しきれていないため上手く伝えられないと思い、何も言わなかった。結局他愛もない話ばかりをしていつもの十字路で別れる。また明日な、と手をふる嶺岸に旭も振り返して、いつも通りの一日の終わりをなぞった。授業が終わってから今まで起きたことの全てが「いつも通り」とはかけ離れていたせいで、旭は無意識に詰めていた息をふっと吐き出した。祟魂の姿は、やはり何も思い出せなかった。

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魂鎮めの巫覡 熊谷うたた音 @utatanemunemu

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