第49話 そしてシグマはゼロになる
「くそくそくそ!」
シグマは生きていた。
全身がボロ雑巾になり、まとう
チームの全財産などくれてやる。
使えぬメンバーなど押し付けてやる。
今回は上手くいかなかっただけだ。
太いバックアップもある。
戻りさえすれば――ところがだ。
転送先が、あろうことか
「何故だ! 本社の座標を登録していたはずだぞ!」
訳も分からず苛立ちを口走る。
不格好なワイヤーフレームで構成されたトンネルを震える脚で進む。
早く脱出しなければ、消滅の危険がある。
だが、生きてさえいれば再起できる。
「そうだ、俺はこんなところで終わる訳には、ん?」
人の気配がない場所で気配がした。
見れば、高台に色眼鏡の男が座り込み、分厚い洋書を読んでいる。
地獄に仏だと、シグマは男に駆け寄った。
「ああ、あんたか! 助かった! は、早く、俺をここから出してくれ!」
色眼鏡の男は、シグマの声など届かぬ様子で本のページをめくる。
「……昔話をしよう。遠い遠い昔の話だ」
唐突に語り出す男に、シグマは困惑するしかない。
「こことは違う世界。遙か遠く高き次元の世界より、一つの種子が落ちてきた。何故、落ちたのか、落とされたのか、今となっては種子ですら覚えていない」
「なにを突然?」
男は質問には答えない。ただ語り続ける。
「種子は芽吹き、世界に住まう人々の意志を取り込み、一本の樹へと成長した。樹には願いがあった。元の世界に、高次元の場所に帰りたいと。帰る方法を樹は知っていた。世界を喰らうことで別世界を渡るエネルギーとした。だが、新たな世界に渡ろうと、そこは樹が帰りたい世界ではない。樹は繰り返した。繰り返し続けた。長い長い歳月、それも宇宙が一〇〇〇は誕生するほど長い時を繰り返すうちに、どこに帰りたいのか、どうして世界を渡るのか、大樹は忘れてしまった。生と死の情報を採集するのも、二つの相反にて生じるエントロピーを利用して、世界を渡るエネルギーとするためだ。ダンジョンも資源も、結局は、ただの寄せ餌でしかない」
「さっきから訳の分からないことを! ビジネスに失敗はつきものだ。次は上手くやる! だから、鎖をくれ! あれさえあればもう一度!」
嘆願しようと色眼鏡の男に声は聞こえない。
ただ、ため息混じりに読んでいた本のページを閉じる。
「別世界では大樹に関する研究は飛躍的に進んでいたからな、それを参考にさせてもらった。薬もその成果の一つ。私は辿り着いた大樹の頂上で持ちかけた。一緒に探して上げると。代わりにこちらの仕事を手伝って欲しいと」
大樹にとって、世界から敵として認識されてきたからこそ、相手からの申し出に驚くも快く応じてくれた。
互いに協力関係を結んだ。
「模索したよ。今の世界はダンジョンの資源なくして成り立たず、かといって大樹が世界から離れれば世界は消える。世界を維持し、ダンジョンを残したまま大樹のみ、元の高次元世界に移動させるか。まだまだ課程だが、
マイナスからの再起より生じるエネルギーの質は別格だろうと、成長による消費は避けられずにいた。
「必要なのは俺なんだ! ちんたら話す暇があるなら鎖を寄こせ! まだ持っているだろう!」
シグマは堪忍袋が切れたように怒り叫ぶ。
「お前はもう役目を果たした」
「なん、だと……」
宣告にシグマは唇と肩を震わせる。
言葉を――失う。
「あの鎖――
色眼鏡の男は、軽蔑を込め、相手をせせら笑った。
「本物と複製を見分けられず、人間を道具として使っていたお前にアーティファクトを使う資格はない。大樹に対抗するために生み出されたからこそ、大樹でさえ排除できず、一人ひとつの制約と封印が手一杯。アーティファクトに選ばれる資格は、ただ一つ。誰かを救いたい、守りたいとする人間的な情感を有する者だ――お前のように、誰かを愛さない者は決して選ばない」
シグマは顔面蒼白となる。
それも一瞬のこと、顔を赤黒く染めて怒鳴りつけていた。
「不良品だっただけだろう! いいから寄こせ! 早くしろ!」
鋭い口調は激しさを増していく。
何が何でも生き抜き、立て直す執念が見て取れる。
その姿に色眼鏡の男が出すのは、侮蔑の笑みを含んだ声色だ。
「確かに再起のチャンスを求める権利は誰にだってある。だが、そのチャンスを、お前は周囲に与えてきたか?」
思い当たる言動にシグマは押し黙るしかない。
シグマを取り囲むように三つの陽炎が立ち上る。
陽炎は全て黒騎士の姿となり、シグマに三方向から大剣を突きつけていた。
「な、なんでこいつが! あいつが、た、倒したはずじゃ! そ、それになんで三体も!」
驚愕するシグマに、色眼鏡の男は嘲り嗤う声を上げる。
「倒した? こいつらはシステム・エフェス。俺が提案し、大樹が免疫機構を元に生み出した教導システムだ。骨のある
だから、と色眼鏡の男は、心からの感謝を告げる。
「礼を言うぞ。シグマ、いや
「ま、まさか、お前は最初から!」
瞳が衝撃と困惑に揺れる。
捨て駒でしかなかったのか!
間宮イッキを倒せと試験を課してきたのは、お前のはずだ。
先駆けとして、間宮イッキの
かつて、買収を妨げられた<マミヤ>を今度こそ買収する下準備として、<マミヤ>の社会的信用を失墜させる計画を実行した。
<マミヤ>に対して、お前は黙過していたはずだ。
表に一切出てこなかったのは、その証明のはずだ。
アーティファクトだと鎖を渡してきたのも。
本社エンジニアに、
レーザービームライフルの素材と図面を用意したのも。
そのバックアップ全てが、進めてきた計画全てが、お前の計画でしかなかったのか!
「二二人……俺がこの世界において、お前を含め
シグマは語られる事実に、肩を震わせ戦慄くしかない。
「残念にも誰もが
「なん、だ、と……」
表情を凍てつかせた。
色眼鏡の男が手に持つのは小さき根。触手のように蠢く根。心臓に寄生し血を吸い取る根。根が握り潰された瞬間、シグマは自分が、この男の掌にいるのではなく、世界そのものが、この男の掌で踊らされている事実に戦慄した。
「結果として、お眼鏡かなうのは、間宮イッキ一人だけだったがな」
死の衝動に耐え切れず、心折れ
至ろうと、超えることができず、燻り続けている。
得た力と金に溺れ、家族を救う元来の目的を見失った。
「間宮イッキは少々周囲に恵まれすぎている。危なくなれば誰かがすぐ助けてくれる。誰かを助け、誰かに助けられるのは普通に生きる上で問題ない。だが
手始めに、大樹の力を借りて、うるすけをイッキの心の中に封じ込めた。
イッキが一定の覚醒域に達すれば、影を扉として解放される仕組みだ。
大樹とて、イッキとうるすけの成長が鍵故、快く力を貸してくれた。
結果として予測を超える成長速度。
シグマに与えたうるすけの複製体が良い囮になった。
この調子ならば、目標達成は秒読みだろう。
「ふ、ふざけやがって! 味方の振りして裏切りやがって!」
「裏切り? ああ、確かに端とみれば裏切りだろうな。何しろ人類を裏切っているのだからな」
もっともと最後は冷酷な声で付け加えた。
「なにが狙いだ!」
「狙い? そんなもの最初の一ページ目に書いてある」
色眼鏡の男は、シグマに背を向けて歩き去る。
「諦めないのだろう? ならお前もまた、間宮イッキのようにゼロから再スタートするがいい」
看取ることすら無駄な時間だからだ。
「ふざけ、ふざけるっ!」
怒りは頂点に達しようと、三つの黒き剣は振り下ろされる。
――断末魔が響くことはなかった。
――――――――――――――
ここまで長い長いご拝読ありがとうございます。
次回、エピローグをもって完結です。
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