第38話 現実を浸食する幻想

 イッキが仰向けのまま目線向ければ、案の定、リーゼルトだった。

 ホールケーキが一つ、入りそうな四角い箱を大事に抱えている。

 あの箱は<ミヤマ>が製品の一つ、食材の劣化を停止させるクーラーボックス(小)だ。

 機能を十全に活用するには、幻界ムンド内で使用する前提があるも、現界リアルにおいても高い保存性を発揮する。

 疲労困憊の今、イッキに中身を気にかける余力はない。

「おつかれ、俺でさえ撃退がやっとだったが、倒すとはさすがだな」

「はぁん、よく言うぜ。いう時点で何度か倒してただろう!」

「なんのことやら」

 白々しくはぐらかされた。

 問い質そうと、のらりくらりとかわされるのがオチだ。

 加えて、激戦による疲労もある。

 まともに相手する気力は残っていない。

「それより、黒騎士から、これが出たんだが」

 Seフォンの画面をリーゼルトに見せる。

 はてと、当人からは小首を傾げられた。

「剣はともかく、鍵は初めて見るな」

 リーゼルトでも知らぬ分からぬアイテムのようだ。

「まあいい。お前が持っていろ。黒騎士から出たんだ。元凶に関したアイテムで間違いないだろう」

「ふむ」

 ならば、家鍵ならぬ元凶の根城への鍵である可能性が高い。

 所持していいのだろうかとの疑問、だったとするリーゼルトの過去形発言から、黒騎士は一体だけなのかという恐怖が並列走行する。

「またか!」

 地面が鳴動する。

 イッキは刺客の第二波だと警戒した。

 そんなイッキをリーゼルトは苦笑しながら諭す。

「落ち着け。これはスラムが移動する揺れだ。しばらくすれば鎮まる」

 襲撃を受けたからこそ、移動するのは必然であった。

 お陰で、黒騎士云々の疑問は吹き飛んでしまった。

「ライザスラムか……そういや、スラムは吹き溜まりだから分かるけど、ライザってなんだ? 昇るとか超えるとかのライジングのライズか?」

 違うと、リーゼルトは頭を振るう。

「ライザはマイカライザMycorrhizae、植物の根に侵入し寄生する菌類からだな」

 他の細胞に侵入しないタイプの菌根を外生菌根と呼ぶ。

「寄生? 菌類?」

「そう、巨大な樹に寄生する菌類。それがライザスラムの由来だ」

 イッキの目尻が鋭くなる。

 ダンジョンを生み出し、生と死の情報を収集する元凶は――巨大な樹だった。

「その樹の名は?」

 リーゼルトは語る。

「現実を浸食する幻想の樹、現実補食樹、あるいは極限の終局樹、その名は――」

 ヤテベオース。

 全てを見通し、全てを喰らう大樹。

 ダンジョンとて大樹の根の中に構成された箱庭空間であり、生と死の情報を効率よく収集する小道具であった。

「おかしいと思ったことはないか? 何故、幻界ムンドの素材は現界リアルに持ち出せる一方で、武器や装備の類は現界リアルではデータ留まりなのか? 何故、現界リアルの武器を幻界ムンドに一度でも持ち込めば、データのまま戻せないのか?」

「そりゃ、そういう世界の法則……って!」

 イッキは両目見開き気づく。

 今の今まで、当たり前すぎて疑問すら抱かなかった。

「あれ、でもおかしいだろう。それなら、うるすけはどうなるんだ?」

 頭がこんがらがってきた。

 うるすけは、フォログラフィーの形だが、現界リアルでは自由気ままに活動している。

 食事だってバッテリーから電気を取得できる。

 アーティファクトという特別なカテゴリーだから、と今の今まで思っていた。

 ――思い込んでいた。 

 落ち着け、落ち着けと疲労により低下した脳を振り絞る。

「……アーティファクトは、世界の、元凶の影響を受けない? なら喪失ロストしないのも!」

 リーゼルトは正解と言わんばかり笑った。

「何故、アーティファクトは喪失ロストしないのか? 簡単なことだ。大樹の浸食から己の世界を守るために生み出されたものこそが、アーティファクトの正体だ。大樹の因果律から外れた存在故、大樹の浸食から逃れ、喪失ロストから外れ、消えることなく手元に残るのはそういう仕組みだ」

 リーゼルトは語る。

「なんで世界を喰らう?」

「さてな、腹が空いたからか、喰らうような存在だから喰らうのか、こればかりは大樹に聞いてみなければ分からないな」

 飄々と答えたリーゼルトだが、表情を引き締め告げた。

「卒業試験だ」

「卒業!」

 唐突な発言にイッキは困惑するしかない。

 心情など知ったことかとリーゼルトは一方的に語る。

「幾多のダンジョンを走破し、大樹の頂上までたどり着け。仲間だろうと単独だろうと方法手段は問わない。期限は特にない。ただし、うるすけと共にたどり着け。そうすればお前は真の探索者シーカーになれる」

 そうしてリーゼルトは、抱えていた小箱をイッキの顔の横に置いた。

「餞別と課題クリアの報酬だ。先に頂上で待っている」

 言うだけ言ってリーゼルトの姿は、忽然と消えてしまった。

 転送系のアイテム使用したのか、残されたのはリーゼルトが刻んだ靴痕のみだ。

「転移アイテムって都市伝説レベルの超レアアイテムだろう!」

 耳にしようと、直にどころか、売りに出されたのも見たことすらない。

 一説には、あらゆるダンジョン、ボスの部屋すら安全に転移できると――聞いている。

「あんにゃろ~頂上とか、たどり着いてたな!」

 イッキは悪態つきながら、どうにか半身を起こす。

 掌の上で踊らされている。

 企みが読めず、不快感が呻く。

 ともあれ餞別兼報酬が気がかりだ。

 箱の中身を開封すれば、薬品アンプルが二〇本、割れぬよう緩衝材に包まれ保管されていた。

「薬? 回復剤か?」

 Seフォンのカメラで鑑定したくともネット接続は切断されている。

 だが、アンプルのラベルに両目を見開いた。

<寄生型吸血根消失剤>

 探しに求めていた薬だった。

 手に入れたのか――いや違う。

 ラベルには製造者としてリーゼルトの銘が刻まれている。

 憶測だが、ライザスラムに集った知識を動員して製造したのだろう。

「わーったよ、たどり着いてやるよ!」

 応えねば男が廃る。

 弟子でもなく弟分でなく、一介の探索者シーカーとして。


「何故、鍵が合わない!」

 シグマは、ヒステリックに叫ぶ。

 ボス討伐に訪れたはずが、肝心な鍵が開わない。

 同ダンジョンの隠しエリアで発見された鍵ならば開くはずだ。

 肩を震わせ、発見者のメンバーを叱責するのは当然のこと。

「分かりません。間違いなく、このダンジョンの隠しエリアで見つけた鍵なんですよ!」

「言い訳はいい! この鍵でないなら、どの鍵だと言う!」

「鑑定データでは、虹色の鍵が必要だと……」

「それはどこにある! とっとと見つけてこい!」

 一時は鎮まった苛立ちが再燃する。

 メンバーは減りに減り、同時視聴者数も資源確保率も減少を辿っている。

 減少に歯止めをかけるため、使えぬ駒のために自ら出張ったと言うのに、この体たいらく。

 これ以上失敗が続くなら、給料減額も視野に入れる必要がある。

「た、大変です!」

 メンバーの一人が血相を変えて端末を見せてきた。

 苛立ちを加速させるのは、流れる映像だ。

 一騎たる錬剣士が黒騎士と激戦の末、討伐した映像。

 あり得ないと絶句する。

 虚穴ホロウに落とした以上、死んだも同然、如何なる術で生き抜き、そして幻界ムンドに舞い戻ったのか。

 何より怒りを増幅させるのは、討伐した黒騎士から虹色の鍵を手に入れたことだ。

「クソがっ!」

 メンバーの端末を奪い取り、地面に叩きつける。

 どうしてだ。どうして、あいつばかり上手く行く。

 幻界ムンドで無理ならば、社会的に抹消すべきだが、後ろ盾は大きい。

 下手すれば他企業と今後の協賛にも響く。

「さてと」

 明菜は背中に隠した手で端末を操作する。

 周囲はシグマのイエスマンしか残っていないから、誰もが泣きじゃくる赤子をあやすように接している。

 だから明菜が端末を操作しようと気づかない。

「契約じゃ、アカウント絡みについて他人に話すのはダメだけど、ダンジョンの状況について話すのはダメだって記載はないものね」

 ガラではないと言われるが、一応は社長令嬢である。

 将来、イッキと会社を運営するために、ある程度の知識はかじる程度だがつけてある。

 特に、企業とは社外秘の情報を扱うもの。

 第三者に知られぬよう情報のプロテクトはしっかり構築するもの。

 偽イッキことシグマが、虹色の鍵を必要な内容メールを母親の元に転送する。

 送信記録は一切残らない。だからバレることもない。

(あとは、あっちの動き次第)

 種は蒔いた。後はどう芽吹くかである。


 余談だが、レイブンテイルと密約を交わした元チームメイトも彼の現場におり、同じような内容メールを送信していた。

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