第36話
「旦那、ヤベーぞ! 奴が来た!」
ウキウキステップで部屋を出た熊が、血相を変えて舞い戻って来た。
「今回はえらく早いな。いや、元から張っていたとすれば妥当か」
熊からの報告にリーゼルトが、色眼鏡越しに両目見開いたのも束の間、ちらりとイッキを流し見た。
「え、俺のせい?」
「誰のせいでもない。強いて言うなら、お前は利用された、が正解だろう。だが、ちょうどいい。昔から言うだろう。ピンチはチャンスだと」
来いと、リーゼルトは外に出るよう促してきた。
階段を登り、地上に出た時、空には黒く小さな穴が開いていた。
黒穴より、台風のような強風が吹き荒む。
住人たちは慣れた顔つきで、黒穴から離れるよう退避している。
誘導するのは、警察衣装と背に翼持つ乙女たちだった。
その一人がリーゼルトの元へと翼をはためかせて舞い降りる。
「リーゼルト、奴が来た!」
「把握している。それより避難状況は!」
「ヴァルキュリア警察機翔隊を舐めるなよ! ほとんどが避難済みだ!」
数語やりとりした後、飛び立つ間際、乙女はイッキを見た。
「お前、ほう」
まるで値踏みされるような目線。ほくそ笑んだかと思えば背を向けて飛び去っていた。なんだったと呆ける隙すらない。
「元凶にとって、この
人目を忍んで平穏な生活したいからではない。
素人目だが、スラムの住人は、誰もが相応の実力者だ。
仮に実力ある
「元凶から身を隠すため。ライザスラムが、世界の残滓の吹き溜まりなら、元凶はスラムの存在を許さない」
人の出入りが増えれば、移動しようと元凶に居場所を掌握される。
だからリーゼルトは公表しなかった。沈黙を選んだ。
たどり着ける者拒まず、襲う者は拒む。
現に、元凶の魔手が文字通り伸びていた。
「正解だ」
吹き溜まりの特性を利用して、移動する独自ダンジョンを作り出した。
逃げ隠れしながら生き抜いてきた。
リーゼルトに並走する形でイッキは駆ける。
「ボスは二体、倒しているようだな」
「ああ、最後の一体に繋がる鍵を探していたら、ここだ」
「ならちょうどいい。奴を倒せたら、課題はクリアだ」
素直に喜ぶイッキではない。
この切迫した状況で課題を出すなど、ろくでもない展開なのは経験則で分かっていた。
「なんであれ、ここにたどり着けたお前なら、今度こそ超えられる!」
リーゼルトは瓦礫から大砲を錬成すれば、イッキの首根っこを掴んで頭から砲口に押し込んだ。
唐突に視界が暗くなったイッキは、もがきあがく。
「お前なら勝てる!」
大砲は炸裂する。
リーゼルトが何か言ったようだが、砲身に詰められたイッキは聞こえないし届かない。
解放されたのは、既に撃ち出された後。
見る見る視界から遠ざかっていくリーゼルト。
生身ならば発射の反動で死んでいたが、ここもまた
この程度で死にはしない。
リーゼルトは遠ざかっていく弟分を眺めていた。
「さて、避難は上々、後は……」
懐から取り出すは一枚の呪符。
呪符を放り投げれば、煙に包まれる。
煙が晴れれば、中より細長い身体を持つキツネが現れた。
陰陽師が使役する式神が一種、クダギツネだ。
「では手筈通りに頼むよ?」
小さな手に持たせるのは、配信用撮影カメラ。
イッキには内緒だが、再起の際に渡した仮面には撮影カメラとリンクする機能が仕込んである。
リーゼルトが信号を送れば、イッキのSeフォンが自動で中継器機として生配信を開始する仕組みだ。
――こくこく
クダギツネは何度も頷いては、カメラを抱えてイッキが飛んで行った方角へと飛んでいく。
「予定と違ったが、前々から準備していた甲斐があったな」
クダギツネは、ここの住人から借り受けたもの。
偵察に良し、憑りつき、祟るのも良しと汎用性が高い。
今回は、撮影クルーとして働いてもらっていた。
イッキは嵐の中を飛翔していた。
リーゼルトの無理難題など、今更だが、今回は輪にかけて酷いと愚痴る暇はない。
網膜を圧迫する風圧から目を保護せんと、仮面をつける。
空間が鳴動する。嵐が巻き起こる。
黒き虚より黒き球体が降りてくる。
球体は、陽炎を宿しながら揺らめき、地に降りる。
そして姿を変える。
黒き鎧に、黒き兜、その姿は紛れもなく――
「黒、騎士だと!」
イッキは、出現した黒騎士に絶句する。
イレギュラーな存在かと思ったが、よもや元凶の刺客だった。
いや、もしかしたら、ダンジョン内に入り込んだ人間の排除を請け負う役目を担っているかもしれない。
イッキが大小二振りの剣を宙で構えた時、黒騎士は大剣の切っ先を向ける。
先端から柄にかけて縦へと割れる。
生じた隙間より伸びるのは長い筒。
槍、ではない――筒に丸い穴があると気づいた瞬間、本能がイッキの身を丸めさせていた。
空気抵抗が減ったことで降下速度が増す。
「ぐっ!」
けたたましい銃声が黒騎士の武器から鳴り響く。
ほんの数秒前までイッキが降下していた位置を、ぶつ切りの線が幾重にも貫いた。
「発砲した! それに! いや、そんな!」
身体に染みこむ本能が驚愕と怖気を走らせる。
黒騎士が武器を元の大剣に戻す。左足で大地を砕く。
舞い上がる土片を黒き左手が掴んだ瞬間、黒き金属質の武器に変貌していた。
修練の時、嫌ほど的にされた二連式水平ショットガン。
「土を、かえ、こいつは、まさか!」
ショットガンを土より錬成した。
衝撃と銃声が同時に走る。
「うおっ!」
弾道は正確無慈悲の直撃コース。
イッキは両手の剣を交差させて受ける。
「冗談だろう!」
黒き銃弾を受けた二振りの剣は、刀身が粉々に砕け散る。
衝撃は柄を通してイッキの腕にまで響き、痺れを走らせる。
「んなくそっ!」
着地、同時に右へと身体をよろけさせる、と見せかけて左に跳ぶ。
右に向けて、無数の銃声が響き渡る。
黒騎士の左手にはサブマシンガンが握られている。
片手で発砲しようと、固定砲台のように一切のブレがない。
狙いは正確であり、イッキの足跡を追従している。
「間違いない、こいつの動き!」
驚愕が足を縫い留めにかかる。
それでもイッキは必死に足を動かしては、迫る銃弾の嵐から逃げ続ける。
「リーゼルトの動きと戦い方を学習したな!」
錬成も、銃火器の扱いも、その挙動一つ一つが、身に染みこんだリーゼルトの動き。
この
リーゼルトは自身の冒険日誌、<幻界見聞録>で語っていた。
『奴は接触した相手との戦闘経験を蓄積する、いわば学習能力がある』
つまりは、度重なるリーゼルトとの交戦にて、黒騎士は、最強の
混ぜるな危険が、厄災レベルにまで至っていた。
「くっそったれえええええええええっ!」
走る。走る。絶叫しながらイッキは走り続ける。
黒騎士が動く。新たに錬成するは連発式グレネードランチャー。
ぽんぽんと間抜けな発射音が宙をかける。
「うおおおおおっ!」
撃ちだされた砲弾は、弧を描き、引き寄せられるようにして、イッキの頭上に降り注ぐ。
爆発の瀑布が瞬く間に広がる中、イッキは身を焦がされようと、呑み込まれていない。
走りに走るがついに逃げ道を塞がれる。
故に、イッキは自身を囲む形で土壁を錬成した。
視界は塞がれるが、爆破の衝撃も防ぐ。
「ほっ、じゃねええええええええっ!」
安堵など一瞬のこと。
本能が身を沈ませたと同時、土壁は、黒騎士が振るう大剣の横薙ぎにて粉砕された。
殺意ある剣圧は肌をかすめ、地面に深き亀裂を走らせる。
「一撃でも受けたらアウトだ、うお!」
生存に成功しようと怖気が冷や汗を出し、足を笑わせる。
だが、活を入れては、再度、果敢にも走り出す。
右に左にと振り回される大剣を紙一重で回避。明らかに重量があろうと片手で軽々と振るう膂力。以前、対峙した時は、鎖による攻撃もあった。
「倒せとか、勝てるとか、むちゃくちゃだろう!」
リーゼルトは、無茶な課題は課すも、無理な課題は課さない。
まともに受けようならば、腕どころか身体が粉砕される。
実際、黒騎士が大剣を振るう度、生じた剣圧が衝撃波となり大地を砕いていた。
「んなくそっ!」
地面を蹴り、後方に飛び去ったイッキは、着地と同時、両手を力強く殴りつけた。
地面ならば土、土は珪素、珪素から硬質ガラスを錬成すれば、鋭利な刃として撃ち出した。
案の定、放たれたガラスの刃は、大剣の一振りにて起こった突風に全て砕かれた。
仮に届こうと、粉末化したガラスが黒き鎧に降り注ぐだけだ。
「いや、これなら!」
咄嗟の閃きがイッキに錬成を行わせる。
宙に漂うガラスの粉末を媒介にして、黒き鎧に付着したガラスの破片を凝固させる。
細かな粉末は鎧の隙間、それも間接部にまで入り込んでいる。
黒騎士の動作が鈍る。
動作を阻害された瞬間を狙おうと距離を詰めない。
円の動きで周囲を駆け抜け、地面から錬成した石礫を放っていく。
硬い金属質の音がする。
幾重にも響く音一つ一つをイッキは聞き逃さない。
「ここだ!」
全身鎧の一カ所だけ、音が異なった。背面、右肩胛骨。黒騎士が全身を震るわせ、関節に詰まった異物を砕かんとする。イッキが背後から間合いに飛び込まんと急接近した。
錬金術を応用した構造破壊で硬き鎧を砕く。
手の平を突き出した。
「がっ!」
次の瞬間、イッキは吹っ飛ばされていた。
いや正確には、黒騎士の動けぬ右肘の一打で弾き飛ばされた。
関節詰まりで動けぬはずの一打を受けたイッキは、受け身を取ることもできず、一直線に大地を横転する。
「げほげほ、なんで!」
衝撃で肺の空気が絞り出され、酸素を求めて激しくせき込んだ。
「誘い、こまれた!」
軽く頭を振るい意識を際立たせる。
罠だと気づいのは、黒騎士の各関節部を凝視した時だ。
関節部は同色のカバーで覆われ、粉末が入り込むのを防いでいる。
「関節部にシーリングか、よ……!」
シーリングとは、構造上生じる隙間に防水性と気密性確保のために、ケーブルやゴムで施す処置のことだ。
現実でも、産業機械に長期的な信頼性確保のために使用されている。
イッキがシーリングを知っているのは、幼き頃、アウトドア商品の製造ラインを見学した際、工場責任者から教えられたからだ。
「リーゼルトめ、関節狙ってブっ倒したな!」
兄貴分に届かぬ恨み節を吐く。
黒騎士が大剣を両手で握りしめ突撃する。
黒き足先が大地に亀裂走らせ、飛散する破片を無数の銃弾に錬成してイッキに蹴り放つ。
「ぐっ!」
ただ物理法則に則って飛来する銃弾。
本来の発砲とは違う使用だが、身体を打ち付ける銃弾の群れはイッキはその場に縫い付ける。
「ぐううっ!」
イッキは全身に走る激痛の中だろうと、両手を力強く地面に叩きつけた。
砂煙が舞い上がり、黒騎士の視界を塞ぐ。
黒騎士の進撃は止まらない。止められない。
砂煙の中、動く影に向けて大剣が振り下ろされた。
ザンとの音が、イッキを頭頂部から股関節にかけて真っ二つにする。
イッキの身体は、ガラス細工のように砕け散った。
命が――終わる。
そして砂煙を突き破る爆音が走る。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
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