第34話 Welcome to

 ダメよ、このままだと!

 間に合わなかった、いや、それなら!

 何をするの!

 この子を、別世界に送る! この世界が終わるなら、終わっていない世界に賭ける! 奴が世界を取り込む特性を逆に利用して、この子を紛れ込ませる!

 けど、下手するとこの子が、その世界を喰らうわ!

 大丈夫、そのための鎖だ。制御と起爆剤を兼ねた鎖なら暴走なんてしない。信じよう、俺たちの子を、最後の子を!

 でも大丈夫かしら、この子と並ぶ資格ある者なんて。

 問題ないさ。資格なんて一つだよ。

 それはなに?

 それはな――


 イッキは夢を見た。夢だと分かる夢を再び見た。

 世界が消失する中、垣間見た男女の語らいであった。

「お、目覚めたか?」

 聞き覚えのない男の声がイッキの鼓膜を揺する。

 身体は仰向けなり、背面より伝わる羽毛のような心地よさが心身を沈めてくる。

 だが、穴に落とされ、ノイズに呑まれた瞬間がリフレイン。

 瞼を力強く見開いた。

 網膜に鶏顔が大きく映り込む。

 赤い鶏冠に嘴と紛れもなく鶏だ。

「ぎゃああああああ、チキンが化けて出たああああ!」

 食べたからこそ、食べられる悪夢だと絶叫しては飛び起きる。

 絶叫が、夢見たことすら、記憶の彼方へと吹き飛ばしていた。

 イッキの前に対面するのは、鶏頭から下は人間の身体を持つ生き物だ。

 赤のジャージをしっかり着込み、鳥の割には袖や裾から羽毛が見えない。いや足先に至れば、便所サンダルに人間の足指。奇抜な獣人系の魔物モンスターかと身構えた。

「失礼な奴だな。お~い、小僧が目覚めたって旦那に伝えてくれ」

 鳥頭は軽い嘆息後、扉を開けて外に呼びかけている。

 改めて周囲を見渡せば、よくある一人暮らしマンションのような一室だった。

 ベッドがいくつも置いてある。

 医務室ではないようだ。

 何故なら、特有の消毒液臭さがない。

 追加するが鳥臭さもない。

 強いて言うなら鶏頭は人間臭い。

 鳥臭くない。

 鳥臭くないが、カフェイン――エナジードリンク臭さはあった。

「あれ、この姿?」

 一騎ではなくイッキの姿に戻っている。

 ベッドの脇にSeフォンが置いてある。

 手に取れば起動しており、バッテリーもまだ七割残っている。

 装備や電子礼装アバターもデータを確認後、タッチすれば装着された。

 仮面は外しておく。

 第六感だった。

「ようやく目覚めたのか?」

 ドアが外から開き、今度は茶色い熊が二足歩行で入ってきた。

 一〇歳児ぐらいの体躯だが、声には老齢さがあり、こちらはタンクトップに短パン姿である。

 ヒグマか、ツキノワグマかとまたしても身構えるイッキだが、鼻がまたしても人間臭さを掴む。

 熊臭くない。

 むしろフローラルな香りである。

「こっちだ。ついてきな」

 熊はただ丸っこい手で手招きするだけ。

 状況をまったく把握できないイッキは目を白黒させる。

「いいからとっとと来い!」

「ぐおっ!」

 警戒を解かぬイッキに業を煮やした熊は、小さな体躯を裏切る跳躍を行えば、丸っこい手で首根っこを掴んで、部屋の外に引きずり出した。

「え、なんだよ、ここ!」

 部屋から引きずり出されたイッキは、眼前に広がる光景に絶句する。

 空に輝くは眩き太陽。

 そのお膝元には、白亜の墓標が無数に立ち並んでいる。

 だが、それは立方体の集合住宅だと、人影の出入りで気づく。

 大通りには簡易テントによる商店が立ち並んでいる。

 見下ろす形だが、人という人が行き来していた。

 市場か何か、活気ある声がすれば、値を交渉する声もする。

 右を見れば廃墟が広がり、重機で瓦礫を片づける姿がある。

 左を見れば広大な畑を鍬で耕す巨人の姿がある。

 影が射せば上を向く。

 羽の生えたイルカが群をなして荷物を運んでいた。

 何より瞠目するのは、誰もが人であって人の姿をしていないことだ。

 先の鳥頭や熊のように、人間の身体を持とうと、本来の人間の姿とかけ離れている。

 頭部がまるまる動物であれば、耳が尖っている者、尾だけある者、背面の翼を羽ばたかせて飛ぶ者、小鬼ゴブリン、オーク、恐竜、機械人間もいれば、天使のような輪っかを頭部に持つ者、中には薄っぺらいテクスチャーのように一枚絵のような者までいる。

 風が吹こうと吹き飛ばされず、商店で買った肉まんを歩きながらほおばっていた。

 文字通り多種多様の姿があった。

 そして、誰もがダンジョンで戦った魔物の姿と瓜二つであった。

「あ〜一応、言っておくがここにいる全員、魔物モンスターじゃなくて人間だからな」

 熊が丸っこい目を鋭利に細めて釘を差してきた。

 ――魔物モンスターではない。

 だが、あの姿が人型ではなく、人間とカテゴライズされるのに、理解が追いつかない。

「坊主、こっちだ」

 熊は顎でしゃくれば、ついてくるよう指示を飛ばす。

 動かねば、今度は引きずられると直感したイッキは、不満顔だが後を追う。

 小さき体躯を裏切るように、熊は屋根から屋根を飛び歩く。

 イッキもまた離れぬよう後を追う。

 追いながら疑問を抱く。

 旦那とは誰か、聞こうと論より証拠だろう。

 身体能力は幻界ムンドと同じであり、ここは幻界ムンドなのか疑問を抱くも、これまた論より証拠の水掛け論だ。

「余所者だな」

「ああ、余所者だな」

「旦那の客だってよ」

「旦那のか、なら自力で来られたのに納得だ」

 足下からひそひそ声がする。

 ただ敵意はない。

 不思議と好意的な目線が多いのに困惑する。

 全てを把握したわけではないが、見渡す限り、このフィールドはダンジョンだと仮定しても相応に広い。

 たどり着いた先は、廃墟の一つだった。

 爆撃にあったかのように立ち並ぶ廃墟。戦争映画で見た町並みだった。ただ標識や看板の残骸に文字があろうと、脳内の外国語と一致しない。Seフォンのカメラで読み込もうと、ネット接続は切れており翻訳できずにいた。

「ったく、どこぞのどいつだ! 旦那の部屋の出入り口だってのに! 管理しとけ!」

 熊は苛立ちながら短い足で瓦礫を粉砕する。

 瓦礫は吹き飛んだ瞬間、軟体生物――スライムになる。

 大あり小ありのサイズが、飛び跳ねながら四方八方に散り散りとなった。

「これも、人間?」

「んなわけねーだろうが、ただの原生生物だっての。あ~触んじゃねえぞ、細胞一つ、金属片一つあれば、完全複製した分裂体を出してくるぞ~」

 ゼリーのようなプニプニ感は触るのを誘発させるが、熊の一言に指を引っ込めた。

「ぎ、擬態じゃなくって複製? 物騒じゃないの?」

「ああ、物騒だぜ。けどよ、このスコピペは、上手く飼育すれば、銃弾とか鏃、消耗品の製造に使えるんだよ。ご丁寧に、一度完全複製させれば、他と混ぜない限り、本物と遜色なく使えるんだ」

「もし混ぜたら?」

「ヤベーもんができる」

 熊は牙を剥き出しにして仄暗く語る。

 ヤベーの定義は分からないが、仄暗さから、相応に危険なのは察する。

「ちぃと前に集団脱走する事件があったんだよ。六匹ぐらい逃げてあれこれてんてこまいでさ。最後の一匹が見つからないときた」

「え、それもヤバくね?」

「まあ、詳細は旦那にでも聞いてくれ」

「スコピペか……」

 ただ初見の原生生物に興味を抱いたのは事実。

 幻界ムンドのダンジョンを何度も探索してきたが、擬態を行う生き物と遭遇経験はあろうが、完全複製する存在に驚きを隠せない。

 生物を消耗品製造に用いるなど、毒も薬も使い様というわけか。

 立ち話も程ほどに、熊は鉄製の扉を開いて、地下への階段を降りる。

 イッキのまた遅れず後を追う。

「旦那、連れて来たぜ!」

 体感的に二〇メートルほどか。

 階段を下った先、扉を開けば、インクと紙の匂いがイッキを出迎える。

「図書館、いや……」

 ただ元来の図書館からは、かけ離れていた。

 図書館とは文字通り、本棚に本が収納され、カテゴリーごとに並べられているもの。

 だが、この部屋では本そのものが空間を形成している。

 壁も本、見上げるほど高い天井を支える柱も本、床も本であり、机や椅子ですら本だ。

 どこからか本をめくる音、ペーパーノイズが聞こえてきた。

「お~い、旦那、いないのか!」

「ん? ようやく来たか」

 熊に返すように真上から知った声がした。

 聞き覚えのある声が、硝煙とスパルタの記憶を刺激する。

 間違いない。

 旦那だから男だと分かっていたが、その相手は紛れもなく――

「リーゼルト!」

 ペーパーノイズを音源に位置を掴む。

 イッキが見上げた天井に逆さの男がいた。

 洋書を立ち読みする男が――リーゼルト・スケアスの姿があった。

ようこそ、ライザスラムへWelcome to『Rrhize Slum』

 本を閉じたリーゼルトは、柔和な笑みでイッキを出迎える。

「この世界でたどり着いた人間はお前で二人目だ」

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