第32話 追いかける者・去る者

「ひいいいいっ!」

 明菜は必死の形相で駆けていた。

 ジャージにサンダル姿で駆けていた。

 髪を振り乱して、捕まるものかと現実の世界を全速力で駆けていた。

 道行く誰もが何事かと顔を向けるが、追跡者である猪突猛進の熱血突撃バカ娘が鬼のような形相をしていることから、誰もが我が身大事に顔を逸らす。

「待てや明菜ああああああああっ!」

「いっやああああああああああっ!」

 烏尾燐香。三烏兄妹の末妹。スカジャンとファスナーが閉まらぬ胸部が特徴の幻界ムンドにて突撃隊長の異名を持つデカチ基、ナントカに刃物娘!

 元チームメイトであろうと今は別チーム同士。

 顔を合わせば、どうなるか分かり切っていた。

「もう最悪!」

 ちょっとコンビニへと寮を出たのが運の尽き。

 突撃娘の縄張り外だから完全に油断していた。

 まさか、いや、突撃娘の名の通り、リアル突撃してくる可能性を失念していたのは、こちらのミスだ。

 寮とは反対方向に駆けだしたから、文字通り遠ざかり、身的フィジカルは、あちらが上のせいで相対距離は縮まっていく。

 だからといって大人しく捕まり、詰問されるわけにはいかない。

 拷問尋問もお断りだ。

 今は誰にも語るわけにもいかなければ、勘づかれる訳にもいかない。

「こうなったら!」

 Seフォンは幻界ムンド仕様だが、現界リアルでも使用できる。

 道路の前に立った明菜は手をまっすぐ挙げて叫ぶ。

「へい、タクシー!」

 まるで示し合わせたかのように、明菜の前を一台のタクシーが停車する。

 ドアが開かれるなり、後部座席に乗り込んだ明菜は、シートベルトを即座に締めては口早に言う。

「び、病院! こ、ここの総合病院まで!」

 病院なのはハルナの顔が浮かんだからだ。

 奇病に犯されようと賢明に生きる妹分。

 昔みたいに二人で活発に遊び回りたい。

 イッキの支えになりたい、未来の義ゴホン――妹分を助けたい。

 だからこそ危険を承知で探索者シーカーの道を選んだ。

「ごめん、燐香!」

 届かぬ謝罪を口にしながら遠ざかってく燐香の姿。

 タクシー運転手は、ちらりと目線を向けるが、個人の事情などで口を挟まない。

 ただ黙々とハンドルを握り、安全運転でタクシーを走らせる。

 後部窓を振り返れば、今なお追いつかんと走り続ける燐香の姿が映る。

 大通りに入れば、しばらく直進、そのまま信号でタクシーは停止するも青になれば発進する。

 燐香が息を切らそうとまだ走っている。

「怖っ!」

 ここ来て明菜は、改めて燐香の突撃底なしを痛感することになった。

 ※一〇分後、ようやく燐香の足は止まったとさ。


 同時刻、シグマインテリジェンスのホームでは事件が起こっていた。

「辞めさせてもらう」

 代表を名乗る探索者シーカーが執務室に押し掛けてきた。

 手短に、なおかつ確かな言葉の後、シグマのSeフォンにとてつもない額が電子送金される。

「何だ、この金は?」

 シグマは鋭く詰問しようと、相手はたじろぐことなく真っ直ぐな目と言葉で返す。

「文字通り違約金だ。俺を含め、これから辞めるメンバー全員のな」

 各チームから優秀な探索者シーカーを資金力で引き抜き、結成した。

 だが、結成しようと、話題になったのは最初だけ。

 各自がシグマの指示を聞かず、好き勝手な行動ばかり。

 お陰で周囲の評価は下がりつつある。

 マナーとモラルがない。

 個々の実力は高かろうと、今まで問題が起こらなかったのは、移籍元のチームリーダーの統制力があったからだ。

 だが、シグマにはそれがない。

 資金力に物を言わせているだけで、当人の統制力は皆無。

 原因があるとすればこの点だった。

「勝手に辞められたら困るのだが?」

「金は払ったんだ。問題ない」

 相手は聞く耳など持たない。

 グッとシグマは不快に歯を噛みしめる。

「なにかあれば散々違約金を突きつけてきたんだ。金の問題なら金で解決だろう?」

 チームを辞めるであろうメンバーリストにシグマは絶句する。

 一万人を越えていたチームは、今や四分の三が抜けた。

 活動資金も装備も過不足なく提供している。

 叱責を受けたのは、提供に見合わぬ成果を出したからだ。

 辞める理由が叱責された程度なら、どうかしている。

「どこでこれほどの大金を!」

「辞める奴らで出し合った。それだけだ。それに安心しろ。チームの活動資金は一切手を着けていない」

 塵も積もれば山となる。

 チームの活動以外でも探索を行い、資金を用意した。

 話は単純であった。

 相手はシグマに背を向けたまま語る。

「イッキ、お前が黒騎士ぶっ倒して新チーム作るとか、最初は楽しくてワクワクしたぜ。お前とは何度も共闘したし、なんだかんだ助けられた。お、フリーの奴がようやくかと。けどよ、お前、人が変わりすぎだろう。俺の、いや俺たちの知るイッキは、誰だって助けたし、どんなミスしても叱責なんてしなかった。金と権力は人を変えるというが、本当のようだな」

 男は失望の声のまま部屋を出た。

「使えない奴らが!」

 シグマはSeフォンを震える手で握りしめる。

 追いかけるのは容易い。容易いが、違約金が支払われた以上、チーム在籍を縛るのは法的に認められない。裁判になればシグマが不利だ。

 何故という疑問と使えぬという失望感が憤怒と混じり合う。

「どうしてだ! どうしてあいつのことばかり、どいつもこいつも!」

 理解できない。雇われたのならば黙って上の指示に従い、手足となって動けば良いだけの話。何故、指示通りに動けない。動くだけの頭が足りないとしか言いようがない。

「まあいい」

 シグマは思考を切り替える。使えない奴が金を払って勝手に辞めただけ。金によってふるいにかけたと思えば安いもの。

 ここ最近の視聴者数や攻略率は下がっているが、辞めた奴らが原因ならば問題ない。

「だが、あれは邪魔だ。これ以上、活躍されては迷惑だ」

 仮面で素顔を隠そうと丸わかりだ。

 間宮イッキ。

 お前さえ存在しなければ、全ては上手く行っていた。

 単独ボス討伐を為すなど、どんな卑劣な手を用いたのか、知らないが、その活躍もここまで。

「ああ、あなたか」

 気配なく現れた人物にシグマは驚かない。

 今回の協力者故に、口調は柔らかくなる。

 彼の者がいなければ、事は上手く進まなかった。

 こうして確固とした立場を築くことが出来た。

「いい加減邪魔なので排除します。別にいいですよね?」

 協力者からの返答はない。

 だがそれでいい。沈黙は肯定だ。

探索者シーカー幻界ムンドで行方不明になるのなんて、別段珍しい話じゃないですから」

 シグマは、口端を弓なりに曲げて笑った。

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