第16話 氷世界の出会い(後編)
「うがあああああっ! おまえらかああああああ!」
声がした。
年端もいかぬ子供の怒声がした。
ボスザルの前を灰色の影が貫き走る。
ガキン、と硬い音がした時、ボスザルの首から上は消える。
ペッと吐き捨てる音に次いで、ゴロリと重い何かが氷の床の上に転がった。
転がっているのはボスザルの頭部。
目を見開き、何が起こったのか、把握できず、自分の白き身体が床の上に倒れ伏す瞬間を目撃させられる。
手下のヒヒザルたちは、倒れ伏すボスザルに鳴き出し騒然となる。
「おう、おまえらか、さんざんバンバンガンガンバシバシしてくれたのは!」
イッキは、氷の床に足をつける四つ足小動物に瞠目した。
灰色の毛並みを持つシベリアンハスキーのような小型犬。
引き締まる顔立ちは狼に近いが、体躯と相まって犬にしか見えない。ただ、犬と決定的な相違点は、喋ること、背中よりコウモリのような羽根が生えていることだ。
ボスを失い統率力を失ったヒヒザルたちは、自分より小さな獣に怯え腰だ。
ティラノサウルス、お前もか。
「なら、おまえか!」
小さき獣は、犬歯むき出しにイッキを睨みつける。
未知なる恐怖はあるが、以外にも心は冷静でいられた。
だから――
「いや、あいつら」
素面顔のイッキは、左右の手で、残ったヒヒザルの群とティラノサウルスを指さした。
咄嗟の嘘で窮地を乗り越える選択をとる。
意志疎通が可能ならば、口八丁でどうにかできると思ったからだ。
ヒヒザルの群れとティラノサウルスは、指差しの意味に気づいたのか、口をあんぐり開けて絶句、誰もが顔を青くした。
すぐさま身振り手振りで、身の潔白を証明しようとする。
「がぶごろす!」
残念にも潔白は徒労となる。
後はもう蹂躙だった。
小さき体躯を裏切る俊敏さと膂力、咬力、目測で三〇はいたヒヒザルだが、一〇秒も経たずして全滅していた。
ティラノサウルスですら、一飲みにできるはずが、噛み砕かれ、噛み砕かれ、噛み砕かれと、逆に仕留めてられている。
さっきまで命だったものが、辺り一面に転がっていた。
「くんくん、ここどこだ? ちがうこおりのにおいがするぞ? っておれだれだっけ? ん~」
獲物を蹂躙して冷静さが戻ったのか、獣は小首を傾げている。
傾げたのも束の間、イッキに気づき、小さき顔で見上げていた。
「っておまえだれだ?」
「いや、お前こそ誰だよ?」
人語を発する獣は初めてだ。
これがコンタクトか、エンカウントかは、今後の行動で左右されるだろう。
(あの容器の中身、で間違いないようだ)
案の定、容器を見れば、内側から食い破られた痕跡がある。
とんだ堀出し物と喜びたくとも、状況が喜ばせない。
「くんくん、くんくん」
獣は尻尾を逆立て、警戒しながら鼻をヒクヒク動かし、イッキの足まわりから匂いを嗅いでいる。
膝に前足を置かれて匂いを嗅がれようと、イッキは動かない。
未知である故、下手な動作は悪手だ。
(羽根はあるが飛べないのか?)
それでも観察は欠かさない。
パタパタと背中の羽根は動くも、鳥のように飛び立つ気配がない。
ダチョウやニワトリのようなものか、それともペンギンのように別なる使用用途があるのか、類推を怠らない。
獣は嗅ぐだけ嗅げば、離れて首を傾げてきた。
「おまえだれだ? においしないぞ?」
「いや、だからお前こそ誰だよ?」
「おれはおれだっての!」
「返答になってねえぞ!」
「だから、おれはおれ! おまえはおまえだが、おまえだれだよ!」
押し問答が続きに続く。
互いに業を煮やして、取っ組み合いのケンカが勃発するまで三分もかからなかった。
がぶりと、イッキは右足首を噛みつかれた。
食いちぎられると怖気を走らせるが、ただ痛覚が走るだけで右足は無事だ。
理由はわからない。
もっとも、すっかり頭に血が上っている一人と一匹は、理由を推察する思考などない。
噛みつかれ、殴られ、叩かれ、振り回されと、先の光景から一転、子供じみたケンカが続く。
短い前足でバシバシ額を叩かれようならば、イッキは報復として尾っぽを掴みあげ、頭上でヘリコプターのようにグルグル回す。回されたのならば回し返す。獣は尾を鞭のよう振るい、力付くで拘束を解いた。イッキの襟首に噛みつき、自分よりも体躯差のある身体を振り回す。
回されてたまるかと、イッキは両手で獣の顔をがっちり掴む。両足で力強く氷の床上で踏ん張り、エビ剃りの姿勢で回転を止める。
「どっせい!」
横ならば次は縦に。獣がもがこうと両手は離さない。イッキは背面の筋肉をバネに起き上がり、勢いのまま鼻先から獣の頭部を氷の床に叩きつける。
「がじがじがじがじがじ!」
獣の鼻先が床に激突する寸前、口端が裂けんばかり開かれる。鋭利な歯が、氷をかき氷のようにきめ細かな粒に変えてしまう。
硬き氷の床を瞬く間に粉砕する咬力。
粒は氷のクッションとなり、獣の頭部を守る。
与えるべき一撃を外された間隙を、獣は氷の吐息で突いてきた。
「うっえっ!」
吐き出される息が肌を切り裂いた。
イッキは凍てつかされると咄嗟に腕でガードする。肌に張り付くのは無数の氷の粒。獣が先に噛み砕いた氷の床の残滓だ。気持ち悪さを感じるよりも先、額に強かな一撃が走る。
「あいたっ!」
強かな猫パンチならぬ犬パンチが、イッキの額に炸裂。ジャブの効いた一撃は脳天を揺さぶり、手を離してしまう。
獣がジャブの反動で氷の床を滑り距離をとる。
イッキも気合いで意識を振るわせ、起きあがれば体勢を立て直した。
「「おまえやるな!」」
見事に重なった声が氷の空間に響く。
たたえ合っているよう聞こえるが、実際は叩き合っている現状である。
このワーストコンタクトが、イッキとうるすけの
結論を言えば決着はつかず。
殴り合いを続けた結果、体力ゲージは削りに削られてゼロになり、一人と一匹揃って
互いの体力ゲージが共有であるのを知らなかったのが原因であった。
その後、
紆余曲折あって獣は<うるすけ>とイッキの妹ハルナから名付けられるのであった。
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