第12話 『  』は開かれた

「燐香!」

 全員に恐怖が衝撃となって走る。

 頭部を失って石畳の上に落ちる燐香の肉体。

 血は出ない。脳漿をぶちまけることはない。ただ電子礼装アバターを構成するデータが塵となって仮初の肉体を消失させていく。

 即死だった。

 一瞬にして体力ゲージを消し去られた。

「リザレクション!」

 動いたのは明菜だ。杖を振るえば、先端に集った白き光を倒れ伏す燐香に向けて放つ。

 光は瞬く間に潰された頭部を完全に回復させる。

「ぐうっ、こいつまさか!」

 燐香はすぐさま背面の筋肉を使って飛び起きる。

 間髪入れることなく石畳を両足で力強く蹴り込み、その反動で椅子から距離を取った。

「助かった、明菜!」

「後、五回だからね!」

 本来、ダンジョン内で死亡すれば、電子礼装アバターは消失し、生身の肉体は転移門ポータルの出入り口まで強制排除される。

 ゲームに定番の蘇生アイテムなど、幻界ムンドに存在せず、死んだら文字通り終わり。

 その終わりを覆すのが、明菜が所持する杖型アーティファクト<アルイクシィー>であった。

 回復やバフ効果をブーストさせる効果があろうと、その本質は死者蘇生。

 一日に六回だけ、死亡から一分以内ならば、ダンジョン内にて蘇生を可能とする。

 六回の回数制限があろうと、死者蘇生は強力なアドバンテージだ。

「待て待て待て!」

 イッキは口を開いて絶句する。

 牛の口が内側から強制的に引き裂かれ、露わとなる黒き異様。

 すでにボスは死んでいた。死体を中より操る存在がいた。

 頭の先から、つま先まで、漆黒の鎧に身を包んだ異形の存在、黒騎士――四葬掌テトラハンドが。

「ヤバイな、何も、見え、ない」

 万禾は唇と指先を震えさせる。

 心臓を鋼の糸で縛りつけられたような恐怖が走る。

 探索者シーカー最強と謳われる、あのリーゼルトですら、退避を最善とした異形の騎士。

 黒き騎士が<レイブンテイル>の前に現れた。

 恐怖に喰われかけてもなお、万禾が今一度解析を行おうと、全てが<UNKNOW>と表示されている。

 種族も属性も弱点部位も――何一つ分からない。

「よりにもよってボス部屋で出るか!」

 悪態つくイッキ。

 通常のダンジョン内ならば、煙幕やら閃光で撒けるだろうと、ここはボスがいる部屋。

 一度入れば、倒すか、倒されるかの二つしかない。

 倒すしか道はなかろうと、現状、倒される未来しか見えない。

「バン兄、セン兄、どうす――」

 風が凪いだ時、兄二人の気配が消えていた。

 燐香が咄嗟に顔を向けた時、そこには見覚えある足首しか残されていない。

 粒子状に消えていく足首の側には、黒騎士の腕から伸びる鎖が突き刺さっていた。

「リザ、レ――」

 素早く動いた明菜だが、最後まで言い終えることはなかった。

 後方から飛来した黒き大剣に背面を刺し貫かれたからだ。

 大剣の束には鎖が巻かれ、黒騎士が指先を少し動かしただけで、その身を細切れにする。

 血肉はない。電子礼装アバターであったのを示す電子の残滓が火花のように散っていく。

「こい、がっ!」

 燐香が踏み出した時、視界が反転している。網膜に映るのは自身の身体。首から上がなく、切り落とされたと気づいたのは、頭部が石畳に上に落ちた時だ。

 いつ斬られたと思考する間すらなかった。

「燐香まで! こいつ!」

 うるすけは黒騎士に飛びかかり、敵の足首に噛みついた。

 だが、硬き音が響くだけで亀裂どころか傷一つ走らない。

「嘘、だろ、うるすけの噛みつきで傷一つつかないなんて」

 絶句する。

 うるすけの咬力は強い。

 本気で噛みつこうならば、魔物の中でも硬き分類に入る甲殻類の殻すら易々と噛み砕く。

 黒騎士がうるすけを噛みついたまま放置するのは、文字通り歯牙にもかけぬ相手と判断したからか、噛みつくうるすけに皮肉すぎた。

「くっ!」

 脳裏に走った兄貴分の声が、恐怖に縛られたイッキを突き動かした。

 立ち止まるな!

 立ち止まった瞬間、止まるのは命!

 今は如何にして生き残るか、その術を見つけ出せ!

 師であり兄貴分であるリーゼルトの言葉だ。

 逃走ではなく攻撃。

 逆手に構えた大小二振りの剣を逆手に構えて切りかかる。

 右に、左に、飛び上がっては全身をひねり、回転を加えた連撃を叩き込む。

「効いてないか!」

 攻撃全てが突き出された黒き右腕一本で防がれた。

 まるで格下を弄ぶかのようだ。

「にゃろっ!」

 速さよりも一撃に賭けると、大小二振りの剣の束と束同士を連結、両側に刀身がある一本の武器とする。

 意志を込め、錬成にて刀身の幅と質量を増大させる。

 取り回しにやや難があるも、リーチはあり一撃の威力は重い。

「おっらっ!」

 握りしめた束を回転させて威力を増す。

 力強く踏み込めば、黒き右腕めがけて槍の如く鋭い切っ先を突き入れる。

 黒き五指が動く。

 真っ正面から来る一撃を、掌一つで難なく受け止めていた。

「だあああっ!」

 攻撃はまだ終わっていない。

 イッキの手には剣ではなく鉄槌が握られている。

 槍のように長い杖と段ボールサイズの硬質金属。

 普段はポーチ内に錬金術にて縮小されていた。

 剣同士を連結していた束と束が、イッキの意志により分離、黒き手が掴む剣を杭に見立て、渾身の一撃を鉄槌で叩き込む。

「がああああっ!」

 硬き衝撃が走った時、イッキは顔面を石畳に叩きつけられていた。

 黒騎士は異常だった。

 ゲームにあるような、絶対に勝てない戦闘イベントを強要されているようなものだ。

 敗北を定められた焦燥、無駄なあがきだとする徒労、一矢報いようと、一死に至るのは避けられない。

 黒き甲には鋭き剣先が突き出ている。

 ダメージが入っているのか、そもそも痛覚があるのか怪しいもの。

「なっ!」

 黒騎士は、掌を突き抜けた剣を抜き取れば、暗闇に放り投げる。

 その時には、イッキの眼前に刺突痕ある掌を突きつけていた。

 鼻先に接触するギリギリで停止した五指。

 動くとする予兆すらなかった。

 黒き手が震える。

 悪寒に晒されたように、激しく震えれば、白き粒子が帯状となり、一つの閃光となって疾走、イッキを貫いた。

「ああああああああああっ!」

 全身を、いや脳を揺さぶる衝撃がイッキを襲う。

 幻界内で<喪失>ロストの経験など、ゼロのほうが珍しい。

 探索者シーカーの誰もが経験しており、激痛、苦痛の後、意識が消える感覚だと誰もが口を揃える。

 臨死体験だと誰かが言った。

 だが、これは違う。終わりがない。終わりが見えない。

 意識を無限地獄に閉じこめ、永遠に落下させ続ける。

 消えつつある意識が、うるすけの姿を過ぎらせる。

 だが、うるすけの姿はなく、そこにはまるで空間を切り取られたようなうるすけの形をした何かがあった。


 ――『  』は開かれた。


 空白に浮かぶ文字。それはいったいなにを意味するのか。

 そしてイッキの意識は、文字通り<喪失>ロストした。

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