幕間:2 ブレイクタイム
日本、東京都心部にあるホテルビル。
その最上階に、レトロチックな雰囲気を醸し出すカフェバーがあった。
内装はシックにまとめられ、窓辺から都心のビル街を一望できる。
昼間はカフェとして、夜はバーとして運営され、どちらの時間も腕利きの職人による高品質の品々が、訪れる客に振る舞われていた。
ただ宿泊客なら誰でも利用できるわけでなく、昼も夜も会員である者だけが利用できる敷居の高い面がある。
「お待たせいたしました」
シックなスーツを着込んだ初老の男性が、カウンター席に座る外国人男性に、一杯のコーヒーを差し出した。
身体のラインにピッタリ調整された深い青色のスーツを着込む外国人男性。
銀色の髪、二〇代後半にさしかかろうと整った若々しい顔立ち、色眼鏡が特徴の外国人男性の名は、リーゼルト・スケアス。
世界で唯一<
元々、業界では名の知れた一探検家だったが、<
曰く、世界最強の
リーゼルトは白磁のカップから漂う芳醇な香りを堪能した後、黒色の液体を口に含む。
「美味いな」
流暢な日本語で感想を述べる。
場所だけに高級志向が強いも、オーダーしたコーヒーは、コンビニでも購入できる豆を使用している。
ここまで芳醇でコクがあり、深き黒みを出せるコーヒーを煎れられるのも、ひとえにバリスタの腕があってこそだ。
「あなた様にそう言ってもらえると、バリスタとして誉れなことはありません」
しわだらけの顔と口端に笑みを隠しつつも、照れくささを言葉に含ませる初老の男性。このカフェバーにてマスターを勤め、バリスタとしても、バーテンダーとしても腕利きの類に入る。
世界各地のカフェバーでコーヒーを嗜んだリーゼルトだが、このマスターの煎れるコーヒーを格別気に入っていた。
「一年ぶり、ですかな、当店を訪れるのは」
「ああ、あちこちコーヒーを飲んできたが、ここのコーヒーが格別だ」
「またまたご謙遜を」
「いや賞賛だよ」
リーゼルトはカップを掲げ、もう一口。口内に濃厚な芳醇さが広がり、黒き深みに誘わせる。
カウンター席に座るのは、リーゼルトひとり。ただテーブル席には、幾人もの客がおり、談笑や商談が行われていた。
(時間的に、ボスの部屋に突入している最中だな)
端末一つで気軽にダンジョン配信を閲覧できるが、リーゼルトは敢えてしていない。
彼の者たちの実力を鑑みれば、結果は見えているからだ。
(それよりも……)
背中に突き刺さる無数の視線。
少し町中を歩けば、どの国だろうとファンや企業に囲まれるのはザラ。何より、この手のカフェバーでアポなく話しかける無礼な輩がいないことが、ゆったりとした時間をコーヒーをお供にして堪能できる。
「あ、あのっ、し、失礼します!」
声がした。右横から子供の声がした。ふと声の方にリーゼルトが顔を向ければ、利発そうな男の子が緊張した趣で立っている。外見は一〇歳前後、ノリの効いたワイシャツにズボンに色眼鏡をかけている。
「何かな?」
振り向いたリーゼルトは、ゆっくりと柔らかな口調で尋ねていた。
目がいくのは、利発そうな顔に不釣り合いな色眼鏡。
アウトドアメーカー<ミヤマ>がスケアスモデルと銘打って製造販売している色眼鏡だ。
子供は両手を背中にやり、何かを隠しているようだが、警戒するリーゼルトではない。外国ならば、警戒するが、ここは日本。他国と比較して治安は良いからだ。
「り、リーゼルト、スケアスさんですよね!」
子供一人で訪れる場所ではない。
入店前でホテルスタッフに弾かれる。
色眼鏡越しに目を配れば、母親らしきスカートスーツの女性がヒールを鳴らしながら、血相を変えて近づいてきた。
「こら、失礼でしょう!」
外国人のようだが、咄嗟に口から出た流暢な日本語に、日本語で返す。
「いえ、お構いなく」
母親を柔和な笑顔で押しとどめたリーゼルト。そのまま席を立てば、膝を屈めて、子供と同じ目線にまで腰を落とす。
「それで、何用かな? 生憎、キミが
ゆっくりと優しい口調で告げる。
子に非はない。むしろ、しっかりと礼節をわきまえている。
どこぞの弟分と違って年齢特有の生意気さがないのは、個人的に好感を持てた。
「さ、サインをお願いします!」
子供は緊張にて張った声で、背中に隠していたものをリーゼルトの前に差し出した。
一冊の本にリーゼルトは瞠目する。
子供の手にはまだ少し重く、分厚い本。
リーゼルトはこの本を知っている。
何しろ自身が<
<幻界見聞録>。
五年前に出版されてもなお人気は色あせず、言語問わず重版に重版を重ねている。
その内容は、リーゼルトがいかにして単独で一年もの間、
「おやすいご用だ」
リーゼルトはスーツの胸ポケットから万年筆を取り出した。
子供から受け取った著書のページを開けば、手慣れた手つきでサインを走らせる。
次に万年筆と入れ替えるように取り出したのは、携帯端末。
仕事用ではないプライベート用の端末であった。
「お次は記念撮影と行こう。マスター、頼むよ」
「かしこまりました」
ロックが解除された携帯端末をリーゼルトはマスターに手渡した。
そのまま子供を抱き抱えれば、サインしたページを開いたままツーショット写真の撮影に入った。
「あ、ありがとうございます!」
まだ端末は所持していない年頃なのか、母親の端末に写真は転送される。
子供は嬉しさを隠しきれず、今に今にと跳び跳ねそうな表情だ。
「本当にありがとうございます。唐突な申し入れなのに」
「いえいえ、この程度。大切にしてくれよ」
「はい、一生の宝物にします!」
子供は背筋の通った声で返す。
純粋に喜んでくれるなら、サインと写真をした甲斐がある。
そのままテーブル席に戻る親子を見送れば、少し冷えたコーヒーに口を付けた。
温度が下がろうと、コーヒーはコーヒー。芳醇さは格別だ。
「お人が悪いですよ」
「ただのファンサービスだが?」
苦笑気味のマスターに、リーゼルトは素面で返す。
リーゼルト・スケアスと言えば、世界最強の
配信活動を一切しておらずとも知名度は高く、マスメディアの取材には応じるも、基本的に人前に姿を現さない。
ただファンサービスはしっかりしており、サインを求められようならば、プライベイトだろうと写真撮影も追加で行うなど、ファンからすれば、至れり尽くせりでしかない。
「同じサインなどひとつもないでしょうに」
マスターは嘆息しながらカップを布巾で磨く。
そう、ファンならばサインとツーショットの記念撮影は、狂喜乱舞。下手な宝くじに当たる確率よりも、<
ファンならば。ファンならば!
「転売対策には打ってつけだろう?」
リーゼルト・スケアスたる男、サインに次いで写真撮影を行うのは転売対策の面があった。
ファンからすれば転売など断固拒否、大金を積まれようと売り払わない。
一方で、著名人故に、金銭目当てでサインをねだる輩もいる。
オークションサイトでは、真贋不明のサイン本が出品されることもしばしば。
対策の一貫してリーゼルトが行っているのが、同じのが二つとないサインと、ツーショットの写真撮影であった。
いかなる形で書いたのか、サインすべてをリーゼルトは把握している。
追加で写真という確固たる証拠により、サインの真贋を証明すると同時に、サイン本の所有者が誰か把握できる。
もしサイン本が、オークションサイトに出品されようならば、応酬としてSNSにファンとの交流のたる形で写真を掲載する。
出展者のリアルの素性は知らない。ファンの顔を隠して載せている。知らないが、善意で義憤に駆られた人たちが勝手に特定してくれる。リーゼルトは指示をしてない。する必要がない。ただファンと撮影した写真を載せただけ。善意を踏みにじる輩が因果応報の末路に至っただけである。
「マスター、コーヒーをもう一杯頼む。しばらくは飲み納めだ」
「今度の冒険は長そうですか?」
「ああ、北米方面に、失礼」
リーゼルトの携帯端末が二つ、競い合うように鳴り出した。
一つはプライベート用、もう一つは仕事用だ。
ただ先に取ったのは、プライベート用。
着信者故に。
「私です。え? なんですって!」
冷静な顔が驚愕に染まる。リーゼルトは呼吸をどうにか落ち着かせながら、マスターに頼んだ。
「マスター、悪いがテレビをつけてくれ、チャンネルは国営、こっちは公共か!」
彼の御仁が口に出すのはよほどのことだと、マスターは壁備え付けの大型テレビをつける。
この国の公共放送チャンネルを開けば、臨時ニュースが流れていた。
<黒騎士襲撃!
このテロップの意味がわからぬ者は、世界にはいない。
「黒、騎士、ですと」
室内にいる誰もが驚きどよめくしかない。
「奴が、現れたのか」
特に、誰よりも険しい顔をしているのは、リーゼルトであった。
「うわっ!」
外からの突発音に次いで、突風が激突したかのような音が窓ガラスを揺らす。
鳥かと誰もが窓辺から警戒して距離を取る中、各所から黒煙が舞い上がる。
窓ガラス越しだろうとパトカーなど緊急車両のサイレンが各所で鳴り響いているのが聞こえてくる。
「火事でしょうか?」
「いや、違う! あの位置は!」
リーゼルトは持ち前の記憶力から、黒煙舞い上がる位置に何があるのか、把握する。
「ホームへの出入り口、
<
立ち上る黒煙、リーゼルトは、これから起こる騒動の狼煙に見えた。
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毎度の応援ご拝読ありがとうございます。
次回より、第二章が開幕します。
星・応援・レビュー、遠慮なくどうぞ!
次回<喪失と再起と>
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