第5話 イレギュラー

「今日はここまでだ」

 リーゼルトからの宣告。

 イッキは、歯を剥き出し気丈に言い返す。

「なんでだよ。俺はまだやれるぞ!」

「まだやれるから、だ。行けると思った時こそ、潔く引け」

 幾重の経験を刻んだからこそ出せる言葉。

 短期的に見れば良かろうと、長期的に見れば疲労困憊で息詰まる。

 動ける時に動き、休める時に休める。

 実力がまだ至らぬイッキだからこそ、リーゼルトは眼光鋭く言う。

「今はまだいい。だが、いずれ休む時に休めず、不眠不休で戦う時が来る」

「……わかったよ、わかりました!」

 言葉の重みは実体験による重み。

 イッキは不満を口先に宿しながらも、二つ返事で理解を示す。

 なにしろリーゼルトは、幻界ムンド内の数多のダンジョンを単独探索した一年、黒騎士なるイレギュラーと幾重にも交戦している。

 現実世界では、疲労蓄積と精神の磨耗で死んでいてもおかしくなかった。

「何度も言うが、もしダンジョン内で黒騎士――四葬掌テトラハンドと遭遇したら、何が何でも、這ってでも逃げろ。あれは倒せない。倒せるようなものじゃない」

 リーゼルトの口調は重く、色眼鏡越しの目は鋭い。

 コードネーム:四葬掌テトラハンド。通称、黒騎士。

 四つの腕と四つの掌を持つ異形の黒き騎士は、探索者シーカーを呆気なく葬り去る。

 国籍、人種、老若男女関係なく、黒騎士に探索者シーカーが襲われた事例は後を絶たない。

 正体不明、人間なのか、魔物なのか疑われる。

 幻界ムンド探索と資源確保を妨害する異質な存在。

 ユーラシアにある国が、黒騎士を討伐せんと、軍隊一個師団派遣するも一〇分もせず壊滅した。

 過剰戦力だと国外から批判はあったが、広報として生配信していたことで、規格外の非常識だと世界に宣伝することになる。

 一国家、一軍隊ですら相手にならない脅威。

 不幸中の幸いなのは、幻界ムンドから現界リアルに一切現れぬこと。

 万が一、ダンジョン内で遭遇しようならば、戦闘せず、即時撤退を推奨するほどイレギュラーな存在だった。

 もちろんのこと、中には名声上げんと無謀にも立ち向かう探索者シーカーもいるが、誰一人とて一方的に蹂躙されていた。

 もし現界リアルならば、死屍累々の惨劇だと誰もが身震いしていた。

 あえて挑むことで黒騎士の正体と戦法を暴こうとする探索者シーカーもいるが、結果は誰も同じ。

 接敵しようならば、した瞬間に終わっている。逃げようとしても無駄だと、不条理な現実を叩き込んでくる。

(それを何十回もかわしてきたんだから、ハンパないよな)

 イッキは常々思う。

 リーゼルトという男の異常性を、生存率の高さを。

 その根幹にあるのは冒険者として培われた経験と勘、そして尋常ではない精神力。

 聞けば、幻界ムンドの第一人者として、各国から専属契約における教導及び探索のオファーが破格の報酬で申し込まれている。

 ただ当人は、専属は断る一方で、教導の申し出ならば期間限定の条件で引き受けていたりする。

 その教導の結果、動画サイトでは、リーゼルトの弟子を名乗る探索者シーカーが真贋問わず多かった。

(指導料は、めっちゃ高額なのに、俺にはタダでやっている)

 オファーがあれば報酬分以上の仕事はする。

 現に、ダメダメ探索者チームが、リーゼルトの教導により上級チームに成長した例は暇がない。

 では、なぜ、一探索者シーカーであるイッキに、リーゼルトがタダで教導を行うのか?

 単に今は亡きイッキの両親とリーゼルトが旧知の仲だからだ。

(恩返し、のつもりなのかね)

 なんでもリーゼルトが冒険者として駆け出しの頃、飛騨山脈にて滑落事故に遭ってしまった。生死をさまよっていた際、偶然通りかかった両親に助けられた。

 生前の両親は、中規模のアウトドア用品の会社を経営しており、経営者として自社製品のテストのために度々、登山やキャンプに赴いていた。

(そりゃあれこれ助かっているよ。会社のこと、生活のこと、特に妹、ハルナのことも)

 命を救われた恩故、恩人の忘れ形見を助けている。

 知る人が知れば、恩返しだと言うだろう。

 知らぬ者が見れば、特別扱いだと嫉妬するだろう。

 実際、イッキの周囲には、後者として捉えている者は多い。

幻界ムンドの収入は、下手なバイトより稼げる。リーゼルトのお陰で路頭に迷わずに済んでいるのが現状だからな)

 日本国内において、探索者シーカー資格、通称ダンジョンアカウントは一五歳以上ならば、講習と実技試験をパスすることで取得できる。

 危険もあるが、ダンジョン内で死亡しようと、電子礼装アバター及びアイテムや装備類が喪失ロストするだけで、命までは消えることがない。

 死ぬことはないが、肉を切られ、骨を折られ、ハラワタを貪り喰われる痛覚は現実と変わらない。肉体は死なずとも、痛覚により精神を病み、探索者シーカーを引退するケースは多い。

(資源の買い取りだってリーゼルトの名前出せば、足元を見られず快く買い取ってくれるし)

 日本国内において、幻界ムンドで得た資源は、国の認可を受けた業者が査定し買い取るよう法律で定められている。

 地下資源の種類は多かろうと、量の少ないこの国において、国内で資源を賄えるだけでなく、輸出できるのは大きく、低迷していた経済をV字回復させる起爆剤となった。

 国内企業は、買い取り内会社を作り、会得した資源を関連企業に流通させる一方で、認可を偽り、資源を安く買い叩く業者もいる。

 特に新米探索者シーカーの知識の浅さを利用してくるから質が悪い。

(ほんと、何者なんだが)

 冒険者。亡き両親の知人。世界で一番、幻界ムンドの真相に近い男。

 ただメディアには滅多に露出せず、私生活でも謎が多い。

 日本を拠点に活動しているが、住居であるタワーマンションには滅多に戻らず、秘密の拠点があるのは間違いない。

 現実で姿を見せようならば、SNSの存在により、瞬く間にメディアやファンが押し寄せるほど。

 幻界ムンドで得た収入を見たが、リーゼルトは残りの余生を遊べるだけの額を得ている。

 それを自身の著作含めて、寄付に回していた。

 幻界ムンド絡みにて起こった事件事故にて家族を失った者、幻界ムンドに端を発するのために。

「どうしたイッキ? ○んこか?」

「なんでもねえよ」

 イッキは自分を見上げてくる相棒うるすけに素面で返す。

「お口への字で難しい顔してたぞ?」

「そうかい~」

 平坦に返すイッキだが、無意識が左手を動かし、左頬に触れていた。

 母親似の顔立ち、目元はそっくりだと、両親の友人たちからよく言われているのを覚えている。

 記憶にある母は、どこか厳かだが、それは仕事に対するスタンスで、家ではよく笑い、よく喜ぶと表情は豊かだった。

 父も同じだ。穏和な気質だが、仕事となれば別と、その辺で意気投合したのだろう。

 両親の出会いは、よく聞いていない。キャンプ先で意気投合したとしか聞かされていない。

 ただ盆正月になれば、実家に帰省するのは父方のみ。母親は、自分の実家について頑なに語らなかったため、子供心ながら、理由があるのだと察しては、敢えて聞かない振りをしてきた。

 今となって真相はあの世。

 無理に聞いておけば良かったと思うのは、ただの言い訳だ。

「ん、メール」

 イッキはポケットから携帯端末を取り出した。

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