幕間:1 黒き異形の騎士

 幻界見聞録<第二巻 第三章 黒騎士邂逅より>


 四葬掌テトラハンド

 奴を一言で形容するならば、黒い西洋甲冑の姿をした敵性個体だ。

 魔物、と形容しないのは、魔物から一線を越えた脅威故。

 奴はダンジョン内ならば、忽然と姿を現し、私に襲いかかった。

 次なるダンジョンへと渡るのに必要な鍵を所持する隠しボスより強大であり、何度も窮地に追い込まれる。

 これでは、グリズリーから追いかけられたほうがマシだと何度思ったか。

 最初の邂逅は濃霧包まれた深い森の中。

 ひと休みせんとコーヒーを淹れていた時だ。

 背後から気配なく忽然と現れ、己の背丈以上の大剣で切りかかってきた。

 やむを得ず応戦し、体力ゲージ一桁でどうにか倒す。

 安堵は早計だったと、痛感したのは次なるダンジョンに移動した時だ。

 灼熱砂漠を進む中、奴は真上の太陽から垂直落下するように現れた。

 別個体かと私は警戒したが、奴の兜の右側面には、私が撃ち込んだ銃弾がめりこんでいる。どうにか流砂りゅうさに誘い込み、沈めることに成功する。

 どうしてそこまで私を狙うのか、訳が分からない。

 次なる邂逅、いや襲撃は雪と氷のダンジョンを進む最中。

 現実世界ならば、犬ゾリがなければ進めぬ劣悪な環境だが、防寒用アイテムを製造していれば寒さと凍傷を防ぐことができ、普通に進むことができる。

 電子礼装アバターの副次的な恩恵か不明だが、身体能力も現界リアルと比較して向上している点もあるだろう。

 立ち塞がるように、今度はクレバスより飛び出してきた。

(※クレバスとは氷河や雪渓せっけいにできる深い割れ目のこと。万が一落ちれば助からないし助けられない)

 不安定な足場の世界で、そんなことすればどうなるか。

 クレバスは、亀裂を枝分かれのように肥大化させ広げていく。

 いつ総崩れが起こってもおかしくない。どうにか私は崩れつつある氷の足場から足場へと必死で飛び移る。

 後方から迫る奴は、と振り返った瞬間、卑怯だと思わず叫んでしまう。

 奴は、ホバークラフトのように足裏を浮かせ、不安定な足場を気にかけることなく追いかけている。

 こっちは常時、次の乗れる安定した足場を必死で探しているというのに、卑怯すぎる。

 恐らくだが、奴は学習したのではないかと推論を立てる。

 以前、砂漠で追い立てられた際、私は奴を流砂りゅうさに誘い込んで事なきを得た。

 故に奴は、こう学習した。

 浮いていれば落ちる事はない、と。

 そんな浮遊能力、私が欲しいほどだ。

 あれば滑落時の保険になる。無い物ねだりだとして私はどうにか現状を打破しようとする。

 迂闊に戦闘を行えば作戦の癖など思考パターンを追加学習される。

 かといって逃げ続けていれば私が終わる。

 文字通り進退きわまった状態。

 ここで私は奴の浮遊能力を逆手に取った。

 対抗するのに必要な素材は無限に等しくある。

 まず氷を砲弾に錬成加工して撃ち出し牽制。奴は大剣を片手で振るっては砕いてくる。時にはバッターのごとく振りかぶっては剣の腹で打ち返してきた。

 氷の砲弾は打ち返した反動で砕け、散弾となって私の頬をかすめる。

 その程度で恐れおののく私ではない。

 右手では氷の砲弾を錬成すれば、左手で別の錬成を行う。

 散々追いかけ回したからか、奴も下手に打ち返さなくなり、一定の距離を保ってきた。

 錬成した氷の足場から下手に動かない私に対して、逆に攻め込むチャンスのはずだが、あの判断、やはり高い知性を有している。

 踏み込まないのなら、踏み込まないで好都合。

 少々下準備に時間がかかる故に。

 打って打ち返されて何十回、いや回数が一〇〇を越えた時だ。

 唐突に氷の砲弾を撃つのを止めた私に、奴は警戒を高めて身構えたが、もう襲い。

 私は左手で錬成した氷の鎖二本を両手で掴めば、力の限り引っ張った。

 現実なら不可能だが、ここはダンジョン。身体能力は現実以上に飛躍しているからこそできた。

 左右の氷山から轟音がしようともう遅い。

 元々は奴のせいで一面は崩れやすくなっている。

 私はただ氷の鎖により、より一層崩れやすくしただけだ。

 もちろん、崩すだけで奴をしとめきれないのは百も承知。

 とどめとして、左右から氷の壁面が、奴を挟み込むよう仕込んでおいた。

 流砂に落とされたせいで、足下を警戒していたからこそ、左右に対する警戒は薄れている。

 私の目論見通りだが、奴はしぶとい。

 左右から氷河に挟み込まれようと、奴は両手両足で踏ん張り、潰されるのを免れている。

 ならばと、今度は前後から潰すのみと新たな氷の鎖を錬成した時だ。


 奴の背中から不気味な沸き立つ音がしたのは。


 一瞬だけ、私は奴の変異に呑まれ、反応を遅らせてしまった。

 注意一秒の怠りが致死に至るのが、幻界ムンドたる世界。

 本能のまま、横転する形で安定した氷の台の上から飛び降りた。

 黒き閃光が走ったのは、その直後だ。

 無数の砕ける音が響き渡り、私が氷の鎖を使って這い出た時、奴は氷の束縛から解放されていた。

 何より目を見張るのが、その姿。

 奴は背中、人間で言う肩胛骨から一対の黒き腕を生やしている。

 人間の腕と変わらぬとも、その掌に走る禍々しき黒きプラズマは、異常としか言い切れない。

 何より奴からは、先ほどまでの冷静さは消え失せ、殺意マシマシで私を睨みつけているような気がしてならない。

 いや、あれは完全に殺る気だ。飢えに飢えたグリズリー以上の脅威だ。

 しかし、一方的に散々私を追いかけておいて、いざ反撃され痛い目にあったから逆ギレしてくるなど、自己都合がよすぎないか? と文句を言いたいが、知性はあろうと言葉は通じぬ相手。

 すぐさま私は、遠方に聳える山頂めがけて氷の砲弾を撃ち込んだ。

 氷の砲弾は吹き付ける強風により山頂に届かず、その手前に着弾する。

 心なしか、奴が黒い兜の下から鼻先で笑った気がしたが、勝手に笑えばいい。

 暴れ回ったせいで氷の大地には亀裂が四方八方に走り、揺れは激しさを増している。

 着弾にて生じた振動など、微々たるものだと奴は気づかない。

 奴が動いたのと、頂上付近の山肌からひときわ大きな轟音が響いたのは同時だ。

 私はすぐさま奴に背を向けては、山頂目指して走り出した。

 当然のこと、奴は追いかける。背中から生えた腕の掌から黒き光線を放つおまけつきだ。

 すさまじい光線だ。触れただけで氷山の一角が消失している。

 電子礼装アバター纏う身に直撃しようならば、一撃で葬り去られるのがオチだ。

 この時の私は追われる状況だろうと、笑っていた。笑ってしまっていた。

 冒険とは未知と危機の邂逅である。

 未知に踏み込むという事は、それ即ち危機にも自ら踏み込むことになる。

 頭がまともな人間であるならば、危険に踏み込む仕事などお断りのはずだ。

 この肌を凍てつかせる恐怖、その恐怖に立ち向かわんとする意志。

 踏み込むにも、踏み出すにも、己の意志がなければ成り立たない。

 未知を既知に変えるのは意志。

 意志あるところに道はある。

 かっこいいように聞こえるが、恐怖に足掻きもがき進んでいる現実がある。

 実際、あの時の私は背後から迫る奴と、正面から迫る雪崩の板挟みであった。

 雪崩に遭遇した場合、背後から迫る雪崩から逃げるのではなく、雪崩に対して左右の横に逃げることが、生き延びる確率を上げる。

 雪崩は文字通り上から押し寄せる雪の津波。雪という質量が傾斜を利用して圧壊させんと押し寄せるもの。

 一度飲み込まれれば、その質量が全身の骨を砕き、仮に助かろうと次は押し寄せる雪が呼吸を奪う。

 圧死か、窒息死の二つしかない。

 だが、私はあえて雪崩に正面から立ち向かい、山肌を駆け上がっている。

 現実ならば不可能だが、ここが現実でないからこそできた動き。

 着地と同時に錬成にて足場を安定化。跳躍と同時にその足場を錬成にて分解。分解させた氷の足場は、置きみやげとして奴にぶつけている。

 もっとも背後から迫る奴は浮遊しているし、直撃しようと小雨が当たった風体で止まりはせず、気休めにもならないときた。

 もし氷鉛問わず砲弾をぶち込んでも止まらないだろう。

 加えて厄介なのは、背中から生えた腕だ。

 掌から放つ光線は一撃で致命打となる。

 あれだけ強力ならば連発はできぬと踏むが甘かった。

 例えるなら、威力絶大の艦砲をサブマシンガンのような連射速度で放っているレベル。

 今まで一発もかすめなかったのは、恐らくだが、私の悪運以前に、奴の命中率が著しく悪かったと思い返してしまう。

 だが、奴がノーコンだとしても、学習すれば自ずと当ててくるようになる気がしてならない。

 すでに眼前には、雪崩が轟音をあげて急迫している。

 顔に飛び散った雪がかかり、前後に死の圧迫を感じた瞬間、私はその身を反転、今度は奴めがけて走り出していた。

 当然、まさか私が逆走するとは思ってなかったようで、一瞬だけ立ち止まってしまっている。

 やはり間違いない。奴は接触した相手との戦闘経験を蓄積する、いわば学習能力がある。

 経験を元にして戦闘を行うのならば、奴に一度も見せたことのない動きを見せればいい。

 奴の兜を足場にして高く飛び上がれば、即座にハングライダーを錬成する。

 山肌から吹きつける風を受けて、瞬く間に上昇すれば、奴が雪崩に飲み込まれて押し流される姿を見届けた。

 どうせ無傷でいるだろうと、このダンジョンは雪と氷の世界。

 雪崩に押し流され、相応の距離が開かれている。

 今一度、私に追いつくのには時間がかかるはずだ。

 その間、私はハングライダーで風を掴んでは、そのまま山頂を集会する形で滑空する。

 降り立つにちょうどいい場所を見つけ、ハングライダーをパラシュートに錬成し直せば、その場所に降り立った。

 一安心だろうが、山頂には両開きの扉が一枚設置されている。

 この扉の奥にダンジョンボスがいる。

 背後から追撃を確認した私は、扉を両手で押し開けた。

 下方から獣のような叫びが聞こえたが、その時には扉を硬く閉ざしていた。

 ここのダンジョンボスは、絵に描いたような巨大なシロクマだった。

 愛護団体が知れば、虐待だろうと騒ぐが、一〇〇メートルを越える熊をどう保護できるのか、見物である。


 探索を繰り返し、鍵を見つけては各ダンジョンのボスを倒して更なる奥に進む。

 その度に、奴は私の前に立ち塞がった。

 執拗すぎる。

 一方で私は一つの疑念を走らせた。 

 まさか、黒騎士は、最奥にたどり着くのを妨げているのではないかと?

 ダンジョン世界の最奥には何がある?

 ――いや、何かがある。

 その何かを突き止めるため、今日もまたダンジョンを私は進む。

 ただ未知をりたいがために。

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