File39 錆びた車輪と動かぬ足

 廊下の奥は蛍光灯が割れているのか深い闇に閉ざされていた。

 

 そこから聞こえるキュルキュルと言いう軋み。

 

 その音はまるで、神経を錆びた鋸で掻き毟るような……そんな残忍さを孕んでいた。

 

「星崎……逃げるぞ……」

 

 カン……カン……!

 

 警告が鳴り響く。

 

「もう少し……正体を確かめる……」

 

「馬鹿か……⁉ ヤバいやつに決まってる……!」

 

 カン……カン……

 

 鮮烈な火花が飛散する。

 

 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる……

 

 音はとうとう影と光の境界線にまでやって来た。

 

 星崎の手を掴むと同時に、きゅる……と最後の音がして怪物は光の中に姿を現した。

 

 そこにいたのは車椅子の少女だった。

 

 両足は血で赤く染まったギプスに包まれ、襤褸雑巾のような入院着を着た少女。

 

 肌は腐乱しているのか紫に変色し、目は白く濁っている。

 

 その少女が濁った眼でこちらを見据え、にこっりとほほ笑んだ。

 

 ゾクゾクゾクゾク……!

 

「走れ……!」

 

 弾かれたように駆けだすと、けたたましい笑い声とキュルキュルと耳障りな車輪の音が僕らを追いかけてくるのがわかった。

 

 ヤバい……あれは……あれは……

 

 飛び降りた少女の……

 

 幽霊……?

 

「星崎……! 政府は幽霊の研究を⁉」

 

「幽霊では……ない……ハァハァ……! 実体が……ある……!」

 

「じゃああれは何なんだよ⁉」

 

「ハァ……! ハァ……! ゾンビ……!」

 

 エレベーターに向かうとドアは閉じていた。

 

 慌ててボタンを押すもエレベーターは死んだように無反応だった。

 

 きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる……

 

 音が、あいつが、迫ってくる。

 

「どうする……? どうする……? どうする……?」

 

 その時だった。

 

「にゃぁぁお……」 

 

 一つの病室からかすかに猫の声が聞こえた。

 

 僕らは顔を見合わせ、咄嗟にその病室に飛び込んだ。

 

 部屋に入るなり鍵をかけ中を見渡す。

 

 開いた窓の縁には、体の下に四肢を収納してこちらを見据える、あのキジトラがいた。

 

「ドラリオン……」

 

 キジトラは窓の脇に置かれたサイドボードをちらりと見やってから、外の夕闇へと消えてしまった。

 

 慌てて窓に駆け寄ったけれど、猫の姿はすでにどこにもない。

 

「三階なら降りられないかな……?」

 

 そうつぶやきながら窓の外を眺める僕を、星崎が強引に部屋の中に引き戻す。

 

「何だよ⁉ びっくりするだろ⁉」

 

 顔を顰める僕に星崎が青い顔で告げた。

 

「窓の外にさっきのスレンダーマンがいた。今出ていくのは危険……それに」

 

「それに……?」

 

「一瞬目が合った気がする。気づかれたかも……」

 

 最悪だ……

 

 マネキンだけでも手一杯な上にゾンビだか何だかわからない化け物……

 

 そこにスレンダーマンも……?

 

 一体この街はどうなってんだよ……⁉

 

 そう叫びそうになった時、僕らの耳にまたしてもあの音が聞こえてきた。

 

 きゅる……きゅる……きゅる……

 

 僕らは息を殺して、ゆっくりとベッドの下に身を隠した。

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