File8 巻いた尻尾と戦略的逃走
踏切を越えるまで、僕はとにかく全力で走った。
途中何度か星崎が何かを言っていた気がするけれど全部無視してひたすら走った。
踏切を越えて、辺りの空気に日常のにおいが漂い始めた頃、僕は星崎の手を握りしめていたことを思い出して、慌てて掴んでいた手を離した。
星崎は肩で息をしながら上気した顔で途切れ途切れに言った。
「空野……ハァ……ハァ……わたしは……ハァハァ……女子……! 運動……苦手……ハァハァ……危うく……空野に……殺されるところ……!」
「ご、ごめん……でも、あれは普通じゃない……あのまま行てったら……」
続く言葉を吐き出すのが怖くて言い淀んでいると、星崎は握られ過ぎて赤くなった手を擦りながらこちらを見据えてつぶやいた。
「空野も……少しは理解ったみたいだね……死ぬってことの恐ろしさが」
「……」
第二図書室での会話を思い出し、僕は星崎から目を逸らした。
星崎は呼吸を落ち着けようと大きく深呼吸を繰り返してから、再び口を開いた。
「でも、わたしも少し焦りすぎた。無策で突っ込むのは無謀だった。空野が尻尾を巻いて逃げてくれたおかげで助かったと思う」
「はあ⁉ 尻尾なんて巻いてない!」
思わず大きな声が出た。
そんな僕を見て星崎はニヤニヤと笑いながら言う。
「いや。あれは尻尾を巻いた犬の逃げ方だった。その証拠にわたしの声も聞こえてなかった」
「聞こえてたけど無視したんだよ……! あれは……戦略的撤退だ!」
星崎はムカつく顔で口を尖らせながら両手の人差し指をこちらに向けてなおも続けた。
「じゃあわたしがなんて言ってたか言えるはず」
「咄嗟のことで覚えてない!」
「声が大きいよ空野くん? 弱く見えるぞ?」
思わず地団駄を踏みそうになる自分を、僕は拳を握ってなんとかやり過ごした。
悔しいが彼女の言っている内容は、客観的に見れば的を得ている……
ここは冷静に……冷静に……
相変わらず星崎はニヤニヤしながら何か煽っている様子だったが、無反応な僕に飽きたのかいつもの無表情に戻って咳払いをした。
「とにかく、次は一度昼間に現場を調べてみようと思う。日時は追って連絡する。明日の放課後第二図書室に集合」
「おい⁉ まだ続けるのかよ?」
「当然。空野もわかったはず。わたし達の街で良くないことが起こり始めてる。警察に相談しても相手にしてくれない」
「そうかもしれないけど……僕たちに実害があるかなんてわからないだろ?」
「そうかもしれない。でももし実害が出て、取り返しのつかないことになったら……きっと後悔する」
少しだけ伏し目がちにそうつぶやいた星崎を見て僕は思った。
僕は後悔するだろうか? と。
先ほど生まれて初めて覚えた、生命が脅かされる感覚を少しだけ思い出し、僕はその自問の答えを先送りすることにした。
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