5)恋の炎

 驚いた、なんてもんじゃない。

 爆発する前に心臓が飛び出して死ぬかと思った。


「来てくれてありがとう」


 須藤さんは、俺の背に腕を回したまま、そう言ってきた。


 こんなすごい状況なのに俺ときたら、いつものように、彼女を燃やさないように集中してて、他のことが考えられない。


 とにかく平常心、平常心。

 深呼吸して、顔色ひとつ変えないように。


「唐谷くんって、超能力者なのね!」


 嬉しそうに、あんまりにも素直に受け入れてくれるから、ついに俺の右胸がピンクに燃え出した。


「怒ると焦げ臭くなるから、やなんだよね」


 恥ずかしくて格好つけたこと言ったら、須藤さんが俺の心臓あたりに手を当ててきた。

 ちょうどピンクが噴き出して、緩く跳ねているあたりだ。


「熱くないね」

「見えるの?」


 この恥ずかしい炎は誰にも見えないと思ってたのに、彼女は頷いた。


「ふふ、なんか可愛い。さっきまではすごく熱かったのに」


 彼女は楽しそうに俺の〝恋の炎〟を手のひらでもてあそんでる。


「そういうんじゃないから……」

「どういうこと?」

「なんでもない……」

「わかんないよ」


 思わず首を巡らせた俺の視線を、須藤さんが追いかけてくる。


「わかんないんだから、ちゃんと、教えてくれないと。私、君のこと、もっと知りたいんだよ」


 それは俺の心を甘く溶かすけれど、でも、まるで自分の弱みを掘り返されるみたいで、情けないような、変な気持ちになるんだ。

 彼女のこと、嫌いなはずないのに、なんだかちょっとだけ、疎ましいような。


「とにかく、これは……火傷しないやつなんだよ」


 言えるはずがない。恋の炎だなんて。


 説明したくなくて、眉間にしわを寄せて拗ねてしまった。こういう子供っぽいところも直したいとは思う。思うけど、不機嫌を表明する以外に自分の心を守る方法がわからないんだ。


 気をつけないと何もかも燃やし尽くしてしまいそうになるから。


 言いようのない不安が押し寄せてくるのと同時に、まるでそれに気づいたかのように、俺はまた、須藤さんに抱きしめられた。


「ありがとう……」


 その体は、小刻みに震えていた。


 あ、そっか。

 本当はすごく、怖かったんだ。


 もしかしたら、今になって、ちょっと落ち着いて、急に恐怖がぶり返してきたのかもしれない。


 俺は自分の都合を投げ捨てた。

 だって、大切なのは、彼女だけだから。


「今まで、黙っててごめん」

「ううん。私の方こそ、ごめん」


 彼女は泣き出した。

 唐突で、俺はまた発火しそうになる。


「サヤカは悪くないよ……。なんにも悪くない」


 そう言って俺は突然、彼女を横抱きに抱えあげた。


「え!」

と、驚きの声。


 うん。だって驚かせたかったから。

 ね。

 涙も引っ込んだでしょ。


 俺たちは空に浮いていた。


「と、飛んでる? 飛んでるの?」


 須藤さんは、強い力で俺にしがみついてきた。

 さすがハンドボール部。

 でも大丈夫。絶対落としたりしないから。


 絶対っていうのは、つまり絶対ってこと。


 炎をうまく利用すれば上昇気流を作って、空を飛ぶことだってできる。

 ちなみにこれは、両親に内緒の特大級の技。


「すごい……」


 彼女がぎゅってするたびに、俺は高く飛べそうな気がする。


 眼下には傘を差してうつむいて歩く人々の姿。誰も空なんか見上げない。

 気づく人なんか一人もいない。

 まさか、炎を纏って空を飛んでいる男女がいるなんて。


「おもちゃの車みたい」


 遊覧飛行に慣れたのか、須藤さんが冗談を口にした。


 このまま遠くへ連れ去ってしまいたいけれど、まさかそんなことはできない。

 彼女の家の近くに着地して、夢のような時間はおしまいだ。


「朝、迎えに来るから、一緒に行こう」

「送迎してくれるってこと?」


 須藤さんは手を広げて、空飛ぶジェスチャーをした。顔にはいたずらっぽい笑み。白い歯が溢れる。

 可愛くて、俺の頭の方が真っ白になった。


 答えを言いあぐねたら、彼女の方から撤回した。やっぱりいたずらっぽく。


「さすがに朝から空飛んだら、ニュースになっちゃうかー」

「空飛ぶのはなし。疲れるし」


 本当は、彼女が望めばいつでも、いくらでも飛んであげたい。

 なんだってする。


 でも、言うとおり。ニュースになるのはつらい。

 目立ちたくない。


 正体がバレたら、大変な騒ぎになってしまって、須藤さんと会えなくなってしまうかもしれない。だから、だめだ。


「ふふ。じゃあ、また明日ね!」


 玄関に消えていくまで、彼女は何度も振り返って手を振ってくれた。

 俺なんかが彼氏で、いいんだろうか……

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