3)突然、熱風

 さっきの子はなんなのよ。

 何かもらってたじゃない。

 あたし、見てたんだから。


 唐谷くんはいつも煮え切らない。言葉が少なくて、笑ったり怒ったりしない。あたしをちゃんと好きなのか、全然わからない。


 ずっと隠し事されてるみたいな気分になる。

 それが不安の種なの。


 これって、付き合ってる?


 唐谷くんが考え込んでる間に、ただ時間が過ぎて行く。 


「もういい」


 あたしは椅子を鳴らして立ち上がった。

 鞄を掴んで、痛みを堪えて扉に向かう。ずっと顔は伏せたまま。


 ドアのレールを踏んだ足が止まった。


「ねぇ、唐谷くんは……、私のこと、好き?」


 こんな確認、したくないのに。

 だけど、次の瞬間。


「うん。好きだよ。好き好き」


 間髪入れないほど早い返事は、事実かもしれないけど、全然気持ちがこもってないように聞こえる。


 あたしは床を蹴った。


 決して振り返らない。

 だってきっと彼は、困ったなって顔をしてて、それがすっごく格好良くて、可愛くて、寂しそうで、あたしの頭は真っ白になっちゃうんだ。


 やっぱり彼は、追いかけて来てくれなかった。


「それが答えなんじゃないのかな……」


 家に着いたあたしは、自室のベッドで大の字になっていた。


「あいつ、何考えてるんだろう……」


 怪我のこと、ちゃんと心配してくれてるのかな。

 あたしのこと、ちゃんと好きかな。

 本当はどう思ってるんだろう。

 怪力太眉バット女とか思ってないよね?


「君のこと、ちゃんと知りたいよ……もうちょっと、仲良くなりたい……」


 そう思っているのに結局いつも、口から出るのは可愛げのない言葉ばっかりなんだ。


 あたしも良くない。

 それは、わかってるんだけど……




 翌日の天気は、あたしの気持ちを知ってるみたいな曇り空だった。


 唐谷くんとのことは、すっごく気まずいんだけど、でもあたしから会いに行かないと、彼からこっちへ来てくれることはない。前に試してみようと思ってじっと堪えていたら、一日まったく顔を合わせずに過ごしてしまった。


 こんなに一方通行なお付き合いってある?

 やっぱりおかしいよね?


 昨日捻った足はまだ痛むし、決心がつかなくて彼のクラスまで行かれずにいたら、午後から大雨でさらに気分が塞ぎ込んでいく。


 今日は体育館が使えないから部活も休みだって連絡が届いて、いよいよあたしは諦めムード。


 もう帰ろう。


 トボトボと歩き出す。


 いつもと同じ家まで数キロの道のりが、雨のせいもあって永遠に思える。

 川沿いの暗い道なんて、普段ならなんてことないのに、まるで地獄の入り口みたいだ。


 俯きがちに歩いてたら、正面からパチャパチャと軽快な水音が近づいてきた。

 こっそり傘を傾けたら、スーツを着た細身の男の人が、先の尖った革靴で濡れたアスファルトを鳴らしていた。


 道の端に寄ってやり過ごそうとしたのに、足音は徐々に緩んで、すれ違った真後ろで止まってしまった。こんなときに限って、周りに人の気配がない。


 心臓が早くなる。


「ねえ、足、ケガしてるの?」


 怖くて肩が跳ねた。


 甲高い声は、どう考えてもあたしに向けられたもの。

 だけど、聞こえない聞こえない。


「ねえ、送ろうか? そこに車あるから」


 声はどんどん近づいてくる。走り出したいのに体が言うことをきいてくれない。


「雨だし危ないよ」

「大丈夫です!」


 正面に回り込まれて、驚いて顔を上げてしまった。

 その腕を掴まれる。


 怖い。

 気持ち悪い。


 でも本当に親切な人だったら?


 そんなわけない。

 親切な人は、高校生の腕を掴んだりしない。


「おい!」


 恐怖で何も考えられなくなった耳に、聞き慣れた声。

 反射的に振り返ったら、唐谷くんがそこにいた。


(来てくれた……!)


 でも、なんだかおかしい。


 唐谷くんは大雨の中だというのに、傘を差していなかった。それなのに少しも濡れてなくて、しかも全身から湯気が立ち昇っている……ように見えるのだ。


 でも、あたしがそれをよく観察するよりも早く、「友達?」って男がバカにしたように笑った。


 そうだ。あたし今、ピンチなんだった。


 腕から手が離れたから、あたしは走って逃げようとした。


(痛っ……)


 そうだ。捻挫。

 もうっ、こんなときに。


 ところが、次の瞬間。


 一瞬にして、一直線に熱風が吹き抜けた。


 あたしは衝撃でよろけて転び、ナンパ男の方は吹き飛ばされて、川辺のガードレールにぶつかって倒れた。呻いてるから死んではいない。


(落ちなくてよかった……)


 川までは角度のあるコンクリートブロックの斜面で、結構な高さだ。

 ほっとしたら、急に視界がひらけて見えた。


 背後がやけに明るい。雨に濡れた地面が、オレンジ色にキラキラ光ってる。


 いきなり夕焼け?

 雨は?

 まだ降ってる……よね?


(……火だ)


 振り返ると唐谷くんは、見たことないほど怖い顔をして立っていた。


 燃え上がる炎に包まれて。


「唐谷……、くん……?」


 名前を呼んだら、唐谷くんは目を閉じて、一回、二回と深呼吸した。


 彼がいつもの無表情に戻ると、炎も消えた。


 あっけにとられているあたしに向かって、彼は遠慮がちに、でも小走りで寄ってきて、スッと手を差し出してくる。


 それが熱くないのかなって一瞬迷ってしまったら、唐谷くんが引っ込めようとするから、あたしは慌てて掴んで、立ち上がりざま、彼に抱きついた。


「助けてくれて、ありがとう……!」


 唐谷くんは固まったまま、やっぱり黙ってた。


 きっと今の彼、ぬーっとした顔なんだろうな。


 

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