第2話 さらばジャージよ。
「エルナ、もうこの辺で降ろしてくれ。どうせ行く宛てもないし、適当にぶらついてからギルドに行くから」
「ぎるど…?」
語尾を疑問形にしながら人通りの少ない道に入っていき、エルナは
この世界にギルドという概念が存在しないことがなんとなく予想できる反応だ。
「シンテクニアのことかな?昔っからいるって聞いたことはあったけど、まさか君がその部類のヒトだとは思わなかったなぁ」
「その部類?」
「うん。シンテクニアのことをぎるどって呼ぶ人がいるって聞いたことはあったんだけどね。私、200年近く生きてきて初めて会ったよ」
「200年!?」
「あ、言っちゃった…。そう、私はもうすぐで200歳になるの」
200歳…。俺と同じくらいの若さに見えるが、この世界のエルフ――もといエルフィンドとエルフィーナはどれくらい生きる長寿種族なんだ?
「そ、それはめでたいな」
「まあ、200年も生きてるのに、まだ、アレが…」
エルナは少し頬を赤らめて俯く。
こういうのはきっと何かしらのコンプレックスだ。深掘りは遠慮するに限る。
「それで、そのシンテクニアっていうのは?」
「住民登録とか出生届とか婚約届とかなんて一般人でも使う書類の手続きとか、ティコディオテスの登録や彼らが討伐したモンスターの死骸の換金とかができる場所だね」
ティコディオテス?
換金って単語が出てるあたり、きっと冒険者のことだろう。これ以上墓穴を掘って異世界人だとバレるのは面倒だ、訊かないでおこう。
「『パルセナ・ポエモス』だけじゃなくシンテクニアも知らないなんて、一体どこから来たの、フータは。そんなんじゃ悪い大人に騙されちゃうぞ?」
あー、仕草とウインクで絶賛無双中のロリババア可愛い。いや、エルフはロリババアの対象になるのか?
分からん。とありあえず考えるのをやめた。
「まあ、俺の10倍以上生きてる身からすれば俺のことは心配なんだろうけど、心配ない。俺だってどっかのヤベェ男にホイホイついてったりするほど馬鹿じゃないから」
「そっか。じゃあ、もしも他の街に連れてってほしかったらぜひとも私に声をかけてね」
「ああ、そうさせてもらうよ。サンキューな」
「さん、きゅう?」
「あ、ありがとう、ってことだ。分かんない言葉使って悪かった」
「いいよ。君は世間知らずのわりには私の知らないことも知ってるみたいだし、いつか色々訊いちゃおうかな?」
「別にいいけど…」
「じゃあ、私は仕事に戻るね」
この世界に来て初めて知り合った人物、美少女エルフィーナのエルナは行ってしまった。
てかエルフィーナのエルナって、結構名前とかでイジられたりしてないだろうか。正直、心配じゃないと言えば嘘になるが…。
200年も生きてるんだ、そんなことがあってもきっと彼女なら克服しているだろう。
*
さて、これから俺はどうしようか。
とりあえず、街――アルシーをブラブラしてこの世界の事情などを把握することにした。
やはり街中は多種多様な種族で溢れていて、数えられるだけで20種類近く、中には人間と若干の違いを持たない種族なんかもある程度いるようだった。
金銭に関しては貨幣が導入されていて、その多くは銅から作られているようだったけど、生憎日本円の貨幣とはかけ離れたデザインで少し寂しい。
この世界に馬車や竜車はないらしく、鳥車が長距離移動の手段らしい。それにしても、皆シマエナガのようにシンプルで可愛らしい。もし人に化けるなら物静かで清楚な
故郷が恋しくなった俺は人通りのない路地裏に入ってひとまず、ポケットの中身を確認する。
スマホとイヤホン、自転車と家の鍵、財布と30082円(諭吉2枚、梅子1枚、首里城1枚(これは生涯使わない)、英世2枚、500円1枚、100円玉4枚、50円玉1枚、10円玉改めギザ十12枚、5円玉1枚、1円玉7枚)、そして、エルナから貰った謎のお菓子らしきもの。
スマホの充電は34パーセント。あるとも無いとも言えない超絶微妙な数値。
この世界にスマホやバッテリーなんてものは存在しないだろうから、この充電が尽きたらこれはただの板――ながら故郷を記憶しておく為の大切な家宝――になるのだ。
スマホと財布は万が一の時の為に尻に挟んでおこう。そうすれば
自転車と家の鍵、日本の通貨は珍しいものだろうし、骨董品屋にでも売ってみようか。いや、使い物にならないゴミだと突き返されるのがオチだろう。
昼ごはんは久々のハンバーガーが食べられる予定だった…。
のに今はこのお菓子らしきものしか食べられるものがない。
ピクトグラムや記号で危険性を示すものはパッケージに印刷されていない。
これはただの不親切と受け取るべきか、それとも普通に食べられるものだと受け取るべきか。こうしてみると文字が読める読めない以前に故郷の世界がどれだけ発展した文明なのか痛感させられる。
いや、エルナは至って普通の
袋を開ける。
中から出てきたのは、甘味料の甘い香りを漂わせているオレンジ色のごく普通なクッキーだった。
やはり人は疑いすぎるものではない。
クッキーにかじりつく。
食感はサクホロで、舌触りにも何の問題もない。異世界だからといって別世界にいた俺たちがこちらのものを食べられないわけじゃないと分かったのは安心だ。
クッキーを食べ終え、ご馳走様を呟いて立ち上がった俺は、腹部に少しの違和感を覚えた。
痛いとも痒いとも違う、感じたことのない不快感。
そこから広がってきたのは、焼けるような感覚と警鐘、死を直観した時と同じような虚無感に似た何か。
「う、うぅぁ?!ぐぅぅっ…」
何が起きたか分からず、地にうずくまる他なかった。
腹部を確認しても、背後から刺されたわけでもないらしく、血のようなものは一切見当たらなかった。
今朝の期限切れの納豆や昨日の晩ごはんの牡蠣が当たっていなければ、原因はさっきのクッキー以外に考えられない。
だとしても腹痛が来るのが早すぎるし、それにこれはどう考えてもただの腹痛ではない。
きっと、あのクッキーには魔法か呪いの類いでもかけられていたのだ。それか、虫でも混入してたのだろうか。せっかくのファンタジー世界だし前者であることを祈る。
背後の道から人が入ってきたらしく、複数人の話し声がする。
頼むから、悪人じゃないと俺に信じさせてくれ。
けど、話してる内容――「さっき掏った」とか――からして、悪人で確定だろうか。誤字であってくれ。人のモノを掏ったんじゃなく、人にゴマをすった、そうだろ?
「おいおい、こんなところに
「しかも見たことないような服装してるなぁ。旅のモンだなぁきっと」
「この身ぐるみ剝いだら高く売れるか?苦しんでるし抵抗されないだろ」
「間違いねぇな」
どうやらコイツら――多分4人組――はジャージに目をつけてくれたようだ。今助かるには、これしかねぇ。
「お、おまえら、パンツ以外の全てをくれてやるから、命だけは、勘弁して、くれないか?」
俺の要望に対し、4人組は何やらヒソヒソと話している。
「おうおう、命が惜しけりゃそうするのが正解だな。兄ちゃん、分かってるじゃないか」
「ほらほら、ならさっさと脱ぎな」
腹痛と戦いつつ、パンツの中のスマホと財布に気づかれないように俺はジャージを脱いだ。
「ほら、言った通り、パンツ以外の全部だ」
「金目のモンはねぇのか?」
「こちとら一文無しだ。本当に命が惜しけりゃ金も全部出してる」
「そうか、そこまで言うなら信じてやろう」
俺のことをあっさり信じた4人組は俺のジャージを抱えて去っていった。
てっきりボコボコに蹴られ殴られするかと思っていたんだが…。
さようならジャージよ、またいつか会う日まで。
まあ、どっかの物好きの大富豪に買われて額縁に入れられて末代まで出てこないのだろう。
少し不満を感じる俺は曇り空の下、腹をかかえてパンツ一丁で地を這っていた。
異世界に来て早々これじゃあ、生きていけそうにない。
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