第52話 偽りとは思えない


 そのを焼き尽くす炎に、エゼルノワーズは膝をついて胸を押さえる。


 相手の『ソ』にどこまでも纏わりついて離れない『アカルミハエイ』の炎であれば、たとえ覇王であろうと逃げることはかなわないだろう。


 偽物でありながら、本物と同じ術まで使える魔性に対して、エリシナは心底恐怖していた。


 どんな姿にでもなれる魔性と、一体どう戦えば良いのか。


 エリシナが魔性ゲインにやられたように、ゲインが魔性コウにやられたように、相手は的確に弱点をついてくる。


 だがエゼルノワーズはこの国で最も失ってはいけない人間だ。


 ――まずは、陛下をお助けしなければ。


 エリシナは重い体に鞭打って立ち上がり――エゼルノワーズにゆっくりと近づく。


 ――相手が脅威だからこそ、エゼルノワーズを一人で戦わせてはいけない。


「……お前、そんな状態でどうするつもりだ?」


 ゲインに腕を掴まれるもの、それを振り払い、エリシナはエゼルノワーズに駆け寄った。


「陛下!」


「無駄よ」


 助けに入ろうとしたエリシナの前に、魔性アカルミハエイが立ちはだかる。


 魔性は無邪気に笑いながら、エリシナの頭に口を寄せた。


「老師をなめないでちょうだい!」


 嬉々として迫るアカルミハエイの頬を、エリシナは掌で払う。


 油断していたのだろう。


 思いのほか綺麗に決まった平手打ちに、魔性は軽く飛ばされて転がる。

 

 さらにエリシナは、短い詠唱で大蛇に姿を変えた。


 魔性が死体を蹴飛ばして立ち上がる中――大蛇は白い巨体をうねらせながらエゼルノワーズに近づくと――彼の炎を包み込むように巻きついた。


『焔よ、私を食らいなさい』


 コウがエリシナを助けた時のように炎を消せるわけではないが、エリシナにも出来ることはある。


 ――それは、魔術を自分が肩代わりすることだ。

 

 コウのように魔術を捻じ曲げることが出来なくとも、自分には魔術を惹きつけられるだけの『ソ』がある。


 魔性がエリシナを欲したように、炎も自分に食いつくはず――そう考えたエリシナは、身を焦がすことも厭わず、その巨体でエゼルノワーズを抱きしめる。


 そしてエリシナの目論見通り、炎は大蛇を飲みこんだ。


 エリシナは自分に移った炎を抱えて、エゼルノワーズから離れる。


 難を逃れたエゼルノワーズは、肩で息をしながら額から滴る汗を拭った。


「……すまぬ、エリシナ」


「余計なことをしてくれるわね――あんたムカツクのよ!」


 魔性は苛立ちを吐きながら大蛇に迫ると――今度は自分よりも何倍も大きな大蛇に向かって牙をむいた。


 エリシナは魔性からも炎からも逃げることができず。


 その白い尾に牙を受ける――


 が、その時。


 大蛇のかたわらで赤い閃が走る。


 復活したエゼルノワーズが、魔性の背後で剣を振った。


 背中を切り裂かれた魔性は、不気味な悲鳴を上げながらエリシナから離れる。


 エゼルノワーズは間髪入れずにアカルミハエイに剣を向ける。


 だが二度目は容易くかわされた。


 再びコウの姿に変わった魔性は、エゼルノワーズから逃れて距離を取る。


 模倣が得意な魔性も、万能ではないらしく。二つの術を同時に使えるわけではないのだろう。


 魔性が姿を変えると、エリシナを纏う炎は消えた。


 崖っぷちで耐えていたエリシナは、人の姿に戻ると同時に、その場で倒れる。


「エリシナ!」


 ゲインの呼びかけで、意識までは落とさなかったエリシナは、今度こそ邪魔にならないよう、巨柱の陰に移動する。


 遠くでは、魔性コウが屍の剣を拾っていた。


 魔性の無防備な姿を見て――エゼルノワーズが仕掛ける。


 瞬く間に魔性と距離を詰めたエゼルノワーズ。


 投げるようにして斬りつけた彼の剣を、コウは剣で止める――が、刃が滑って剣先を落とす。


 模倣したコウに、エゼルノワーズの剣を受けとめるだけの力がなかったらしく。


 エゼルノワーズの攻撃を防ぎきれなかったコウは、その肩に剣を受け――深く斬られる前に身を転がして逃げ伸びた。


 だが傷を負った事実は消せず。


 魔性は肩を押さえながらその場によろめく。


 コウの動きが悪いことを好機ととったエゼルノワーズは、再び距離を詰めて――コウの頭上に剣を掲げた。


 もはや勝負はついたかのように思われた。


 ――が、


 魔性は不敵に笑い、ベアリスへと姿を変えた。


 グインハルム最強と称されるベアリスを前に、瞠目するエゼルノワーズ。


 そんなエゼルノワーズの胸を、陰気に笑うベアリスが拳で殴った。


 軽く吹っ飛んだエゼルノワーズを、剣で追い詰めるベアリス。



「――――陛下!」



 エリシナが声を振り絞って叫ぶ中、エゼルノワーズはベアリスの剣に何度も斬り裂かれ――その身は呆気なく落ちた。


 目の前で紙のように裂かれた主君を見て、エリシナは声にならない悲鳴をあげる。


 

 ――大事な主君だった。 



 周囲からは冷徹と囁かれていたが、エリシナはエゼルノワーズのことをそんな風に思ったことはなく。殺し合いでやさぐれていたエリシナを拾ってくれたエゼルノワーズを心底尊敬していた。


 そんな主君が――無残に裂かれる姿を見て、エリシナは我を失った。


「エリシナ! しっかりしろ!」


 ゲインの声が聞こえた。しかし、エリシナは国王の躯を目に焼き付けたまま呆然とする。


 何度も呼びかけるゲインの声が響く中――気づけばベアリスの剣が目前に迫っていた。

 

 あまりに受け入れがたい覇王の死。


 現実感のないエリシナは、自分に襲いかかる剣を見つめる。


 ――これでもう、アリシドに託されたモノを守ることすらできない。


 エリシナは無力を痛感し、血が滲むほど唇を噛みしめる。


 だが、その時だった。



「ダメよ。オイタしちゃ」



 透き通る声が耳元を過ぎた時、ベアリスの剣が――まるで焼いた鉄のようにどろりと溶けて床に落ちた。

 

 束の間の沈黙。


 ベアリスが忌々しげに遠くを睨みつける中、エリシナはゆっくりと振り返る。


 散乱する死体の向こうには、蒼い輝きを放つアカルミハエイと、コウの姿があった。

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